Saturday, October 24, 2015

"人身受け難し、今既に受く" - 無常観 からの生きる意味

仏教の三帰依文に、“人身受け難し、今既に受く”という言葉があるが、どういう意味だろうか?

人身受け難し、というのは、肉体的な意味での生命、つまり、この世に生まれ落ちてからの人生というのはその肉体(身体)という物質的な器故にあれこれと厄介なことがあるという意味なのであろう。確かに、肉体は諸行無常の中の儚さの象徴的なものともいえる。このことは、誰か身近な人が死に、通夜や葬式に行けばいやでも思い知らされる。また、医療現場や戦場において毎日のように死に行く人達を看取っている人達も痛感させられていることでしょう。嗚呼、人の人生とは何と儚いものであるかと。特に、遺体を火葬場に運び、火葬後、骨上げの儀式をする時、たとえ既に生命のない亡骸であっても、つい一時間ほど前まではただ寝ているように見え、一見してまだ生きていた時と同じような外見を呈していても、火葬により簡単に箸で拾い上げ、壷に収めることができるような白骨という姿になってしまったことを自分の目で確かめれば、より一層、こうした、人身の無常さ、儚さがよくわかるものである。

いつまでのこうした人身に執着していると、病気となり身体の容貌が変化し、死を思い起こさせ、非常に不安となり、絶望的になりかねない。そうであれば、キルケゴールが書いた“死に至る病”をも彷彿させるほどである。しかし、生まれという苦に始まり、生きることに苦あり、苦に病、病という苦を味わい、そして、やがて死という最後の苦、というライフサイクルの現実に絶望しない為に、釈迦は解脱、涅槃への道を八正道の教えで説き、キリストは福音の教えで説いた。つまり、こうした悲観に陥りかねない苦に特徴つけられる身体のある生の中に希望と苦と向き合いながら生きていることに意義を感じる為である。しかし、苦ありの人生において希望や意義を見出せず、絶望したり逃避しようとすると、Viktor Franklが説くNoogenic Neurosis、つまり、スピリチュアルな要因による精神的危機に陥り、これはPaul Tillichがいう実存的危機でもあり、精神分析学の派生である対象関係論でいう自己喪失という究極的な対象喪失でもある。森田療法の観点からみて、こうした精神的、スピリチュアルな危機の背後には、”生の欲望”があり、それが自我への執着により、“人身受け難し、今既に受く”の意図する真実ということに対し盲目にするからであるといえる。

そもそも、四諦の教えの一つに、苦諦があり、その苦を悟る、つまり、避けることや逃げることができない受け入れるべき現実として諦めることの一つとして、生まれてくることがあり、その結果、この世において年をとりながら生きていること、そして、病気となり、やがては死を迎えることである。これは、この世に身体をもって生まれ落ち、行き、病を患い、やがては死ぬという諸業無常の流れの中における四苦であり、それを認識し、悟り、諦めることが解脱への道の第一歩なのである。よって、“人身受け難し”というのは四諦のうちの苦諦にある四苦の認識、悟りを意味するのであろう。

老子の無為自然、つまり、あるがままに現実を受け入れることの教え、は森田療法臨床的根本概念でもあり、ひいては、仏教の四諦の教えにある苦諦の意義へとつながる。よって、人生は苦に特徴つけられるがその取り組みかた、つまり、苦諦の真実としてあるがままに受け入れることで、”生の欲望”を当世でき、生に執着することがないので、生が苦であっても。生きていることに希望と建設的な意義を見出せ、精神的に成長し続けていくことができる。だから、人生というのは苦がつき物だと早く悟り、諦めていると、というか、それを無為自然、あるがままに受け入れると、生への非現実的な執着や妄想を抱かずに、生きることができる。寧ろそうした方があまり悲観的になることもないし、森田療法で臨床的にも実証されていように、生きていることへの苦が軽減されていく。だから、“諦める”イコール“悲観的”と一次方程式に考えるのはよくない。寧ろ、”諦める”ということは、無為自然に、つまり、あるがままに現実を受け入れることであり、四苦という苦諦の真実をそのように捉えることので生きていることへの苦を感じず、絶望せず、寧ろ、希望と意義を感じつつ成長することが“人身受け難し、今既に受く” が私たちに教えんとすることではないだろうか。

Sunday, September 13, 2015

言葉の影に潜む侵略的覇権要素とそれに関わる偏見を意識した言霊を敬う異文化コミュニケーションの重要性

大抵の人は、普段忙しいので毎日使っている言葉についてあまり考えることはないかと思います。しかし、私は、臨床心理、そして、臨床宗教といった分野においてアメリカという多民族、多文化の社会で英語という言葉を主体として様々な言語を母国語とする方々とコミュニケーションをしているので、言葉そのものについて、また、その言葉の背景などについても度々考えることがあります。

先日、異文化適応におけるストレスについて相談にいらしたある在米日本人の方と話していると、日本人なのにアメリカ生活は殆どいつも英語ということに違和感を感じませんか、という問いかけに会話が展開していきました。

確かに、改めて言われてみれば、日本人なのに、ほぼ9割近くのコミュニケーションが英語という外国語であることについて考えてしまいます。英語圏で暮らしているのだから、母国語が何であれ英語でやりとりするのが当たり前といえば確かにそうですが、でも、そうとはいえ、やはり、何かどこかしっくりこないものを感じます。

もし、英語でなく、私たちの母国語である日本語が現在の英語のような世界の普遍的公用語であれば、このような考え込みなどすることはないのでしょうが。。でも、日本語が現在の英語のような世界の公用語的なものであるとしたら、そうなるまでに日本は一体どれだけ数多くの国とその文化や言葉を侵略し、破壊してきたことでしょうか。そう考えると、恐ろしく感じ、やはり、日本語が英語のような世界の公用語的な存在でない故、母国語でない英語でやりとりしていることの方がいいのだと納得します。

そこで、どうして、20世紀以来、英語が世界の公用語的な言語となり、それゆえ、どうして、世界中の学生が競って英語を勉強するようになったのでしょうか、考えてみました。日本でも、英語がよくできることが、あたかも”国際人”であることの常識であるかのように考える傾向があります。でも、どうして、英語でなければならないのでしょうか?

この問いかけについて考える上で、やはり、英語という言葉の背景について触れねばなりません。

当たり前のことですが、英語というのは、もともとイギリス人の言葉です。その英語を母国語とするイギリス人とその末裔にとっての大祖先は、5世紀あたりまで現在のデンマークやバルト海に面したドイツ東北部に居住していたアングル族やサクソン族といったゲルマン人です。

ご存知のように、英語はイングリッシュ。そのイングリッシュというのは、アングロの原型、アングル族のアングルがなまったものだといわれています。これも、英語の歴史を知れば、納得いきます。

ゲルマン人といえば、確か、既に中学の社会科で”ゲルマン人の大移動”という5世紀ぐらいのできごとについて習いましたね。あのアーサー王の伝説もこれに絡んでますから、大抵の人は知ってるでしょう。勿論、バイキングの話を知らない人はいないでしょう。
この現象の一貫として、現在のブリテン島がアングロサクソンの島となったといったことも、高校の世界史や大学教養レベルの英語の歴史の講座では常識です。それまでブリテン島を支配していたラテン語のローマ帝国の統治力が5世紀ごろに緩み、ゲルマン人がやってきて、この島へ入植し、英語という言葉が醸成され始めたのです。

でも、それまでのローマ帝国支配化でも住み続けていたブリテン島の先住民であるケルト人の運命はそれ以降どうなったのでしょうか?英語というアングロサクソン入植者が醸し出し始めた言葉の発展に伴い、ブリテン島先住民のケルト人と彼らの言葉や文化はどうなったのでしょうか? 

これは、ブリテン島に大移動することで乗っ取ったアングロサクソンの末裔が16世紀よりブリテン島から大西洋を渡り北米新大陸へ移住してから、北米大陸先住民達に起こった悲劇に並行できます。アメリカやカナダに行った人なら知ってるでしょう、出会う人達のいったいどれくらいが本当のアメリカ大陸の先住民なのか。。。ニューヨークの街角で、祖先の言葉や文化を今でも維持する純血先住民族とどれくらいの頻度で出会いますか?

アングロサクソンがやってきてから、ブリテン島の先住民であるケルト人は、略奪され、殺戮され、生存者はアイルランドなどへ追いやられた。そもそも、現在の西ヨーロッパの殆どの先住民はケルト人だったんですが。。。ゲルマン人の大移動以来、激減してしまいましたね。

これは、まさに侵略ではないでしょうか?なのに、どうして”大移動”という表現で教えているのでしょうか?ゲルマン人の”大侵略”と教えることはタブーなのでしょうか?そのくせ、日本の大陸や半島への進出だけ”侵略”としなければいけないと固執するのでしょうか?

確かに、帝国主義下のかつての日本の朝鮮半島、台湾、中国大陸などへの進出に侵略的特徴があったことは確かです。これは、安倍首相の戦後70年談話が戦後50年村山談話、そして、戦後60年小泉談話と同様に再認識していることでもあり、私達は反省しなければなりません。しかし、歴史的な反省という名において、日本のかつての侵略的行為のスケールよりも大きい英語という言語を醸成してきたアングロサクソンとその祖先であるゲルマン人による侵略的行為をあえて侵略として認識できないことに疑問視することは別の問題です。こうした問題にチャレンジできない頭脳は、普遍的に使われている言語を操る世界的に影響力のある政治的な力学による偏見に毒され、批判的思考力を失ってしまった危険性があります。戦後の平和教育を受けた日本人の頭脳はそうなってしまったのでしょうか?

そういえば、日本が西洋列強的な帝国主義へ変遷し始めるきっかけとなったペリー提督の黒舟来航、5世紀にブリテン島に侵略しケルト人から奪い取り、そして、16世紀に北米大陸に侵略しチェロキーなどの様々な先住民族から奪い取り、はじめは東部だけの侵略であっても、それに飽き足りず、ミシシッピ川を超え、更に、他の先住民族を殺戮し、追いやり、19世紀半ばまでには西海岸までを征服し、かつては、原住民の様々な言語とスペイン語やフランス語が使われていたミシシッピ川以西のアメリカ大陸が、完全に英語圏となりました。しかし、英語という言葉をケルト人から奪い取って5世紀以来醸成してきたアングロサクソンは、アメリカ大陸西海岸制覇でも飽きたりず、今度は、太平洋の向こうへとその野望の手を伸ばしはじめました。その延長線上に黒舟来航があり、その後、50年以内に、アメリカ西海岸と日本の間にあり、日本とも国交のあったハワイ王国はアメリカとの通商が始まって比較的短い間に、完全にアングロサクソンのアメリカに乗っ取られてしまいました。これは、5世紀のブリテン島、そして、16世紀の北米大陸でのパターンと同じだといっていいでしょう。

こうした背景でもって黒舟が来航。そして、侵略とみなされにくいようにする為に、先ずは、通商を要求してきました。しかし、当時の江戸幕府の役人達は、英国が清国との通商を要求し、清がそれに応じた結果、清と英国にアヘン戦争などの様々な問題が起こり、これがきっかけで、清は英国から侵略され始め、それに便乗して、他の西洋列強も中国侵略を始め、英国のように領土獲得とまではいかなくても、上海などで租借地をむさぼりはじめました。こうした背景の中、しかも、5世紀以来、度重なる侵略により英語という言葉を醸し出し、広めてきたアングロサクソンの末裔が、突然、黒舟で現れ、傲慢な態度で日本との通商を執拗に要求したのです。

当時のアメリカにとって、日本はハワイ同様、イギリスや他の西洋列強にひけをとることなく、中国を侵略征服する為のステップだったのかもしれません。しかし、幕末の日本人は偉かった。だから、屈辱的にアメリカの要求を受け入れたとはいえ、速やかに、西洋列強に負けないように近代化に努めました。勝海舟、坂本龍馬、西郷隆盛、などの戦略的思考があったからこそ、ハワイのように日本は英語圏化されることなく、また、香港やシンガポール、更に、フィリピンのように英語漬けにされることなく、日本語を使い続けることができたのです。

今日の国際社会における英語の普及とその国際公用語的な現実の背景にはこうした5世紀以来の侵略と制覇の歴史があり、その流れの中で、実に多くの民族とその言語や文化が抹消され、歪められてきました。世界の国々のあらゆるところで英語を母国語としないのに一生懸命に英語を勉強している人達のうち、一体どれくらいの方々がこうした英語の背景いついて知っているのでしょうか?まあ、英語を実用的な外国語として学ぶ人達の多くは、そのようなことに無関心なのでしょう。そもそも、英語とは彼らの功利主義や実用主義の便利な道具なのですから。

しかし、こうした実用主義を重視するだけの薄っぺらい英語教育には、一方的な観点からしか教えない歴史教育と同じ危険が潜んでいるのではないでしょうか?

こうした目先だけの実利的教育では、日本でも、世界の国々のどこでも、英語教育に熱を入れながら、歴史教育ではゲルマン人のブリテン島侵略を単なる”大移動”とし、新大陸へのアングロサクソンなどの白人入植を”侵略”として教えず、あたかも、賞賛すべきパイオニアスピリットの成果としての文明化の民族移動であるかのように教えていますね。それに、かつての大英帝国の数世紀にも及ぶアジアアフリカ侵略と搾取については殆ど道義的問題を提議するよりも、寧ろ、誇らしげに語り継ぎ、その賜物として、アメリカ覇権主義の産物同様、英語が現在の国際社会で公用語的な地位を占めているということを教えることは殆どありません。

日本がもし、明治以来、こうした西洋列強の模倣をし続け、列強を徹底的に駆逐し、その植民地を占領統治したまま戦争に勝ち続けていれば、英語を母国語とするアングロサクソンではなく、日本語を母国語とする日本人が世界の覇権を握り、国連を操り、必然的に日本語が世界における公用語となっていたかもしれません。そうであれば、徹底的な洗脳教育をその政治的影響力で行い、だれもが日本語の普及の背景には度重なる侵略的な歴史があることを問いかけたりせず、ただ実利的な目的で世界の公用語となった日本語を競って学ぶことでしょう。しかし、こうした世界制覇はアングロサクソンとその末裔によるものとなった。よって、彼らの言葉である英語が世界の公用語となり、国連での第一言語ともなったのである。そして、こうして世界の覇権的な公用語となった英語の侵略的な歴史について問うことはあたかもタブーであるかのようにもなった。こうした状況をあまり知らずに、世界中の学生やビジネスマンが一生懸命に実利性の為に英語を学んでいるのが現実です。そして、英語を母国語とするアングロサクソンをはじめとする英語圏に生まれ育った人達、所謂、英語のネイティブスピーカー達は、ただそれだけで、非英語圏の国々で英語を教え、利潤を享受できるんです。自分が母国語とする英語にこうした侵略的な歴史があるからこそ、母国語はお金になるんですね。しかも、こうしたネイティブスピーカーの英語の先生は、英語圏の歴史の背景にあるパイオニアスピリットについて誇らしげに語る傾向があります。

一方、日本は蝦夷と琉球を同化させ、台湾、朝鮮、満州、樺太などと同化への試みを拡張させたが、完遂できなかった。よって、日本語の侵略的な普及範囲はアングロサクソンの英語に比べ、また、英国やアメリカ以前に世界の派遣を握っていたスペインの言葉、スペイン語、などに比べ、実に限られたものである。よって、現在の日本語の世界的な普及は、侵略的な要素からではなく、平和的文化交流によってなされています。

パイオニアスピリットといえば、日本の蝦夷樺太開拓、台湾統治、朝鮮統治、満州進出、満州国建国もそうじゃなかったではないですか?これらの土地は、日本人入植(日本人の”大移動”、”侵略”)以前は、殆ど未開拓で生産性の低い土地でした。それなのに、どうして、日本が行ったことだけが”侵略”とされ、ゲルマン人であれ、その一部であるアングロサクソンであれ、それらを含めた白人が同じことすれば、ただの”大移動”であり、パイオニア精神であり、文明化開拓であって、”侵略”と表現しないのでしょうか? こうしたギャップは偏見によるものではないと断言できるでしょうか?

日本人が先述の地域に入植してから、日本語教育を行い、同化政策を行いました。しかし、日本人による入植により、女真族、朝鮮民族、中華民族、台湾原住民などに対し、アングロサクソンによるケルト人の迫害、そして、アメリカ先住民への迫害のようなことが起こったのでしょうか? 

今、かつての満州、中国東北部に行けば、女真族と出会う頻度はアメリカの主要都市でアメリカ先住民に出会う頻度と等しいでしょうか?女真族の減少は、日本統治よりも、中華民族による民族浄化政策によるものが大きいのではないでしょうか。同じように、台湾原住民の減少も、日本統治よりも、中華民族による支配によるものが大きいのではないでしょうか。また、現在、朝鮮半島にいけば、朝鮮民族と出会う確率は、英国でその先住民であるげーリックなどのケルトの言葉を話すケルト人とであう確率と同じでしょうか?

侵略し、先住民から奪い取り、殺し、追いやったアングロサクソンなどのゲルマン人の蛮行は侵略ではなく、”大移動”であり、賞賛すべきパイオニア精神によるもの。でも、日本人が”大移動”し、入植すれば、憎むべき”侵略”。これが世界の常識とさせてしまったのは誰なんでしょうか? そして、この延長線上に東京裁判史観があり、戦後の日本教育があるといえましょう。その背景には英語を母国語とするアングロサクソンとその末裔がいました。だから、東京裁判も英語でしたね。

おかしいなと思いませんか?

このような批判的な問いかけをするからといって、かつての日本の西洋の模倣である帝国主義や武士道を忘れた軍国主義を肯定したり、こうした過去の間違った日本がアジア諸国の人達にもたらした苦しみを否定しようというのではありません。

まあ、福沢諭吉のような西洋被れの考え方では理解できないかな?彼は、勝海舟と違って、咸臨丸でアメリカを訪問してから、一転して、アメリカ被れ、西洋被れとなり、帰国後、脱亜論を提唱し、その後の明治政府の入欧脱亜論の礎となり、ひいては、かつての日本の帝国主義の侵略的要素の根底にもあったのです。どちらもかつての日本帝国主義に影響したとはいえ、福沢の脱亜論は、平岡浩太郎や頭山満などによる玄洋社のアジア主義的な考えと対照際立つものです。

そもそも、みんな一生懸命習いたがる英語、世界の共通語って言いますが、そして、それ使えると確かに便利ですが、忘れてはいけないのは、この英語の歴史は、アングロサクソンの血生臭い”大移動”という欺瞞的な言葉の背後にある侵略によって普及したことです。だから、アングロサクソンの血を引かない私達は、いくら英語に堪能となっても、決して、祖先から受け継いだ大和言葉とその言霊を忘れてはなりません。だから、文系教育をつぶそうとする最近のお上のやりかた、非常に危険です。下手すると、中国による民族浄化政策のような問題となり、大和民族にとっての精神的、実存的危機をも招きかねません。言霊の考えから言えば、祖先から受け継いだ言葉を知らない民族なんて、ただの生物学的な存在でしかなく、精神的に死んでいるのと同じです。

このことは、大和民族との接触により、祖先からの言葉を失いつつあるアイヌや琉球民族などの、所謂、日本の少数民族といわれる人達の問題でもあります。このことは、大和民族の蝦夷、琉球への”移動”も、それなりに、ゲルマン人のブリテン島への”移動”にあった侵略的な要素があったことも確かです。だからこそ、アイヌや琉球の言葉、それに、様々な日本各地の方言などを消滅させない努力をし続けねばなりません。また、アイヌや琉球民族の言語が、蝦夷や琉球への大和民族の入植により抑圧され、今では、その存続の危機にあるということは、日本語を母国語とする私たち日本人が反省しなければならないことです。そもそも、こうした大和民族の歴史とその言語である日本語の歴史の背景には、ゲルマン人の派生であるアングロサクソンの歴史とその言語である英語の歴史的背景に並行できる侵略的要素が否めないことを認識することが大切です。こうした謙虚な認識と反省に基付いて、改めて、大和民族、日本人として日本語を母国語とし、国際人として国際的公用語といえる英語を使いながら、大和民族の日本語との接触により存続の危機にあるアイヌや琉球の言葉、そして、アングロサクソンの英語の広まりにより失われてたり、存続の危機に晒されてきた様々な民族の言葉についても考えることが大切です。

英語であれ、日本語であれ、何であれ、普段私達は言葉を何気なくコミュニケーションの道具として使っています。しかし、どの言葉にせよ、それぞれの言葉には、それを母国語とし、それを醸成してきた民族とその歴史があることを忘れてはいけません。そして、こうした言葉の背景には、様々な他の言葉とそれらを母国語とし培ってきた他の民族とのダイナミックな交流があり、その中には、侵略もあったということを認識せねばなりません。また、それにより失われたり存続の危機にある言葉とそれらを母国語としてきた民族についても理解しなければなりません。

こうした認識でももって母国語であれ様々な外国語であれ、世界中の人達とコミュニケートできれば、異文化間の国際的関係も、歴史的反省を踏み石として、より建設的で意義深いものとなるのではないでしょうか?なぜならば、こうした認識は、対話の相手のそれぞれの言葉にある言霊への思いやりにも繋がるからです。

これからの異文化コミュニケーションは、言霊にも気を使った、単に心のレベルだけでない、魂のレベルでの意思伝達、相互理解の手段でありたいものです。それと同時に、アングロサクソンであれ、何であれ、世界で普遍的な言葉をかもし出してきた民族による欺瞞的なビジョンに私たちの見方考え方を汚染させてはいけないということです。悲しいことに、先述の福沢諭吉は、アメリカの物質文明に圧倒され、大和魂を失ったともいえましょう。それに、いつの間にか、我々の先祖の素晴らしい八紘一宇のビジョンがかつての日本帝国主義の侵略の哲学であると白人の欺瞞的なビジョンによりすりかえられてもいますし。とはいえ、間違った八紘一宇の考えは、大和民族とその言葉である日本語の歴史の流れの中で、同化という名で侵略されたアイヌ民族や琉球民族の文化と言葉の事実への認識に対して盲目的にしてしまう危険があります。

国際人(私は、この薄っぺらい無意味な言葉は好みません)というよりも、国際的センスがある日本人として、世界中の人達と異文化、多文化コミュニケーションをする上で、ただ実利的に英語を使いこなすのではなく、英語という言葉の背景にある侵略的要素を認識しつつ、更に、私たちが祖先から受け継いできた日本語を大切にする一方で、日本語にも英語と同じような侵略的要素があったということをも認識することが重要です。そうすることで、私達は、国際社会で英語を運用する上で、英語を母国語としない人達とのコミュニケーションにおいて、英語を母国語とするアングロサクソンなどの人達よりも、より繊細な思いやでもって相手の文化と言葉を尊重し、日本文化や日本語への関心を高めていただけます。

そもそも、大和民族としての日本人は、世界にも類を見ないほどのもののあわれの感受性による美の感覚を持ち、視覚的な芸術作品だけでなく、日本語という言葉によってもその感受性と美的感覚を表現し続けてきました。日本語という言葉の背景には英語にはないこうした感情的豊かさと美しさがあるのです。そして、更に大切なのは、大和民族は言霊を大切にする民族であるということです。このことが顕著に示されているのが万葉集をはじめとする和歌です。例えば、万葉集五巻八九四で山上憶良、”神代より言ひ伝来らく そらみつ大和(倭)の国は 皇神のいつくしき国 言霊の幸はふ国と 語り継ぎ言ひ継がひけり 今の世の人もことごと 目の前に見たり知りたり”、と詠んでいます。 

つまり、日本は古来より言霊に恵まれた国であると言い継がれているということです。更に、続日本後紀の第十九には、”倭の国は 言玉の 富ふ国とぞ 古語に 流れ来れる 神語に 伝へ来れる 伝へ来し”、と記し、言霊の豊かさが日本を特徴付けるものであることをしましています。そして、大鏡第一巻には、” いはひつることだまならばもの年ののちもつきせぬ月をこそみめ”、とあり、祝福の言霊なら恒久に尽きることはないと表現し、鈴木重胤による祝詞講義には、事の極みは言語より外無し。然れば、言語は人の霊を導 くの使命なる事云も更なり言語は霊を導き、霊を養ふの器たる事明なり”、とあり、物事の真髄は言霊を持つ言葉で示すことができ、言葉は人の命の真髄である霊を導き養う器でもあると定義しています。これは、ルドウィック ビトゲンシュタイン(Ludwig Wittgenstein)の形而上学的な言語の民俗学における重要性についての議論とも相通ずるものがあると言えます。

私達日本人にとって、言葉は人間の生命の真髄である霊の器であり、こうした言霊による言葉により単に心のレベルを超えた、霊的、スピリチュアルなレベルにおいても以心伝心でき、とりわけ、相手を祝福することではその霊的な力が無限である素晴らしいものであります。一方、そうした言霊を含む言葉を悪用すれば、それは、相手に対する呪いのようなものともなり兼ねず、それ故、相手の言葉だけでなく、その人の心や霊までも侵略してしまう恐ろしい力ともなるのです。こうした言霊の二面性を認識し、相手の尊厳への侵略的な手段にしないことが大切です。

更に、お互いの言葉の背後にある言霊を無視したコミュニケーションは、その意図の如何にかかわらず、経済的政治的勢力などの不均衡さから、侵略的な結果をもたらしかねないということ、そして、このような状態に陥れば、被侵略者の言葉や文化の背後にある価値観が歪められるということを肝に銘じておかねばなりません。

こうした配慮を怠らずに、大和民族か古来より伝承してきた言霊本来の素晴らしさである、相手を敬い祝福できるような態度でもって、国際的センスのある日本人として世界中の人達との思いやりのある異文化多文化コミュニケーションこそ、英語の運用力以上に大切なのではないでしょうか。

こうしたテーマについてさらに詳しく、社会心理学のバイアスの概念や、社会心理学の一部門である文化心理学やその同列にある文化人類学を、ユングなどによる深層心理学や密教にある唯識論などを含めて学ぶと更に言葉と言霊の民俗学的な意義への理解が深まり、よりよいコミュニケーションが可能となるはずです。

英語であれ日本語であれ、どの言語にせよ、自分の文化的先入観による偏見から言葉を相手に発すると、それは、相手にとっての霊的な侵略となりかねないのです。


自分が使っている言葉が多文化国際社会の中で英語のように普遍的なものであるほど、その言葉の歴史の流れの中で沢山の言葉とその文化が侵略され、それを母国語としていた人達の霊もが傷つけられてきたことを認識しつつ、こうした悲劇を繰り返すことがないように、そうした言葉を運用していきましょう。

ただ便利だから、国際人だからといったような利己的、実利的な理由で英語を学び、英語のような実用性がない母国語の学習を疎かにすることで、先祖から伝承される文化と言霊を忘れてしまうようであれば、他の英語を母国語としない人に対して侵略的な態度を取るリスクが高くなることも肝に銘じておきましょう。それが、アングロサクソンの何世紀にも渡る侵略の歴史を反映した英語の背景からの教訓であり、また、アイヌや琉球の言葉を侵略した日本語の歴史からの反省でもあるのです。

Saturday, September 5, 2015

Ephphatha! Jesus Removing Obstacles out of Spiritual Pathways

In the Gospel reading for the 23rd Sunday in Ordinary Time (Cycle B), Mark 7:31-37, perhaps, Jesus’ Aramaic word, “ephphatha” is a very powerful word to register in our heart. The word, in English, can mean “be opened”.

The Gospel narrative (Mark 7:31-37) describes Jesus healings the speech and healing impediment of a Galilean. But, in reviewing the flow in the Sunday Gospel readings from the 17th Sunday on to this Gospel reading for the 23rd Sunday, I am convinced that  “ephphatha”, as spoken out of Jesus’ mouth, is intended to open up our “spiritual pathways, removing obstacles between God and us. This is symbolic to healing our spiritual ignorance.

On Cycle B, the Gospel readings from the 17th Sunday to the 21st Sunday in Ordinary Time (John 6) and the Gospel reading for the 22nd Sunday (Mark 7:1-8, 14-15, 21-23) describe how our spiritual ignorance (agnoia) responds to God’s grace (John 6) and deals with the Law (Mark 7:1-8, 14-15, 21-23).

In John 6, the spiritual ignorance let people chase Jesus not to appreciate his divine salvific power’s signs but simply to be fed again and again. As he began his Bread of Life Discourse, Jesus reminded the Galileans, who were miraculously fed to satisfaction (John 6;1-15)  but still live in hunger (peina), were ignorant about the meaning of his miraculous sign in the feeding (John 6:26). This suggests that the Galileans’ hanger recurs as long as they remain ignorant.

The Bread of Life Discourse (John 6:22-59), which is read from the 18th to the 20th Sunday in Ordinary Time (Cycle B),  describe Jesus’ Bread of Life Discourse, as his way to help such ignorant Galileans to wake up to the truth that their ignorance (agnoia) keep them in an endless samsara-like cycle of hunger (peina) and to become awaken to the meaning of the Living Bread of Life that Jesus is offering as his self gift to overcome this problem. However, as John 6:60-6, which is read for the 21st Sunday, describe, they choose to remain ignorant and their ignorance prompted them to reject Jesus and what he offers: the Living Bread of Life. Because of their ignorance, they were unable to understand the hidden meaning in the Living Bread of Life (ho artos ho zon), which is symbolized in Jesus’flesh (sarx) and blood (haima).  And, the meaning if the essence of life as both sarx and haima are metaphor of life (zoe) and its essence. In other words, their ignorance prompted the Galileans to reject life that Jesus offered and let them remain in their life of ignorance and hunger. Ignorance keeps them in ignorance and insatiable hunger.

In Mark 7:1-8, 14-15, 21-23, which is read for the 22nd Sunday, the spiritual ignorance (agnoia)  is described with the Pharisaic fundamentalism toward the Law. Therefore, what is common in these Gospel narratives is that our spiritual ignorance is a stumbling block to our transcendence, which is a necessary condition to understand Jesus and his teaching – to appreciate what he offers, namely, what God provides – grace and the Law.

The transcendence is about taking our senses beyond physical and natural phenomenon into mysterious, spiritual, and supernatural phenomenon, as Jesus intended in his Bread of Life Discourse. It is also about liberating our consciences from the Law to the cleanliness of our heart. In his epistle to the Romans, Paul further address this matter.

As the spiritual ignorance grounds our senses to natural and physical world, it also keeps us as slaves of the Law. That is why ignorant people, such as the Galileans in John 6 failed to understand the spiritual aspect of the miraculous feeding and the spiritual aspect of the Living Bread of Life.  And, this resulted in rejecting Jesus – the Messiah.  The same problem blinded the Pharisees’ spiritual eyes to the inner defilements and kept in an illusion of fundamentalist observance of the Law.

The Gospel reading for the 23rd Sunday (Mark 7:31-37) symbolizes the removal of this stumbling block – the spiritual ignorance, with Jesus’ powerful word of ephphatha!

Of course, if you choose to remain spiritually ignorant, Mark 7:31-37 is a mere miracle healing story of Jesus curing a man with speech and hearing impediment – just as the ignorant Galileans regarded the Jesus’ miraculous feeding only as a material and physical feeding event, rather than a spiritual sign, even Jesus later explained this spiritual aspect through the Bread of Life Discourse. But, if you let Jesus remove the obstacle, which is ignorance, then, your spiritual path ways get unclogged and opened up. Then, you can appreciate Mark 7:31-37 as a narrative of Jesus’ work of opening our spiritual senses to overcome ignorance through a metaphor of healing the hearing and speech problem.

As our ignorance is removed, we can hear the Word of God and can speak right words, accordingly. We live a life of wisdom, rather than a life of ignorance. Because of the reciprocity between wisdom and the   Holy Spirit (Isaiah 11:2), a life of wisdom is a life in Spirit (Romans 8), as well as life lived according to the gifts of the Spirit (Ephesians 5:22-23), which correspond to the cardinal (heavenly) seven virtues to counter seven deadly sins (vices).  As Paul extensively describes in Romans 8, a life in Spirit, which is a life of wisdom, free from ignorance, is also a life of transcendental freedom. Therefore, in this freedom, we no longer suffer from fundamentalist mentality, which grounds us only to what human senses can understand – namely, natural reality. In this freedom – a life of wisdom – a life in Spirit, we understand that the Living Bread of Life leads us to resurrection and eternal life, as it is the spiritual food, rather than a natural food. We also understand that flesh and blood of Jesus, which are what Jesus describes as the Living Bread of Life, symbolizes the very essence of Jesus’ life that comes through the Living Bread of Life. We do not get trapped in literal expression, such as flesh and blood. Likewise, we do not become apprehensive about the letters of the Law, as our focus is to keep our heart free from defilements.

To rejoice in a life of wisdom, a life in Spirit, a life in light, and life in the risen Christ, as Paul says, we must first let our life in flesh be crucified (Galatians 2:20, 5:24  ) in order to overcome our defilements, rooted in our carnal desire (epithumia)  – to cleanse our heart of leaven of the Pharisees (Matthew 16:6), as this “fungi” all the problems with defilements, including ignorance (agnoia) and hunger (peina), as well as other carnal desires (epithumias) arises, as indicated in Mark 7:21-23, as read in the Gospel reading for the 22nd Sunday.


Let Jesus shout “ephphatha” to us – to unclog our spiritual pathways for our heart’s cleansing, so that we our spiritual eyes can see and our spiritual ears can hear (i.e. Isaiah 35:5) – so that the Holy Spirit is upon us to keep us in a life of wisdom, keeping us from a life of ignorance, as in Isaiah 11:2. 

Wednesday, August 19, 2015

”Lost in Translation"? or “Lost in One’s Own Pride?” : 外国語、異文化コミュニケーションにおける心得

昨日、私が剃刀の刃を買いに近所の雑貨屋にいると、誰かが店の主人とのやりとり(communication)で難儀しているようでしたので、ちょっと様子を見てみると、この東洋人の客、店主に、”Nail cutter!  I am looking for a nail cutter! Do you have a nail cutter here?"と尋ねています。しかし、インド人の店主、この客が何を求めているのか、というより、nail cutterとは何なのかわからないような反応です。だから、この店主、”Sir, what is a nail cutter?”と説明してくれるように尋ねる客に質問しています。そしたら、この客、ちょっと苛立ちを示しながら、”It’s a thing to cut your nails!”、と、少し声を上げて、"貴様、そんなこともわからないのか、このアンポンタンめ!”とでも謂わんばかりに。

このおかしな英語表現とその独特のアクセントですぐにこの東洋人の客が日本人ではないかと思いました。日本語で爪切りと言うのでそれを直訳し、nail cutter、と表現したんでしょう。でも、日本語を知らずに英語を使っているこのインド人の店主のような人や、英語を母国語とする人達にとって、nail cutterとは釘を切る工具だと思いがちです。というのは、釘のことも英語ではnailといい、”出る釘は打たれる”という諺は、”A nail that sticks out will be hammered down"というように表現します。

この雑貨屋、工具屋ではないので、当然、釘を切るような工具はないのです。しかも、工具屋でも、釘を切るようなものを見たこともありません。普通、釘って、打つものか、抜くもので、切ったりはしませんよね。だから、釘を扱うには反対側に釘抜きがついた金槌(hammer)で事が足ります。だから、インド人の店主、nail cutterとは何ぞやと摩訶不思議に思ったのでしょう。そして、そうとも知らずに苛々してきた日本人と思われる東洋人の客、これぞ、”lost in translation”がもたらす弊害のいい例ですね。

ちょっとお節介だったかもしれませんが、この日本人らしき客が探している”nail cutter”が爪切りのことを意味していると思った私は、店主に、”I think this gentleman is looking for a nail clipper. I think he means a thing to cut finger nails and toe nails”、と"水を差す”と、それこそ、”水を得た魚”の如き、爪切りを取り出してきて、その客に、”Is this what you are looking for?”、と確かめました。すると、この客、”Yes, that’s what I need!”と、納得したような顔して、さっさと金を払って店を出て行きました。

ただ、気にかかったのは、この日本人らしき客の態度です。

私が”水さすこと”事が解決したことが癪なのか、この客、自分の正しくない英語表現による質問に辛抱強く付き合ってくれた上で、探していた爪切りを差し出したのに、”Thank you”のサの字も言わずにただ金を払ってプイっと店を出ていったあの態度、どうもそれは日本人のものだとは思いたくないのです。日本人は、海外でも、こっちがお金を払って買い物する客の立場であっても店主や店員にたいし、ついつい無意識的”ありがとう”と言う国民性で有名です。やはり、店主や店員もいくら商売とはいえ私という客を満足させる為に努力しているんだということへのありがたさを認識しているからなんです。

あの日本人だと思いたくない爪切りを買っていった客、私の”でしゃばり”によってプライドが傷つけられたのかも知れません。だったら、店主とのcommunicationで難儀しているところを見て見ぬふりして放っておけばよかったのでしょうか?でも、店主のほうは私が勘定をしている時に、”By the way, thanks for helping me understand that customer”、と言ってくれました。まあ、見方の違い、立場の違いによって、プライドを傷つける余計な世話、また、痒いところに手が届くような援助、ともなるのですね。

英語にしろ何語にしろ、私達が外国語でcommunicationをする時、やはり日本語からの直訳がもたらしかねない弊害について心得ておき、そうした愚を犯さぬようにその言語で正しいとさせる表現に慣れ親しんでおく努力が大切です。しかし、やはり、それ以上に大切なのは、自分のプライド剝き出しでcommunicateしないということですね。まして、自分の母国語でない外国語でのcommunication、知ったかぶりの傲慢さほど機から見ていてよろしくないものはありません。

やはり、自分の外国語での表現が相手にうまく通じていないと悟ったら、”なんだ、この野郎、こんなこともわからないのか!”といった態度で苛立ちを覚えるよりも、”あっ、まずい!この表現、多分、日本語からの直訳だから相手にわからないんだ”と悟り、”じゃ、どうしたらうまく伝えることができるだろうか?”とcreativeに工夫しなければなりません。確かに、あの客も, “a thing to cut your nails”と説明し直していましたが、nailという言葉が爪を意味しているのか、それとも釘を意味しているのか、それだけではまだはっきりわかりません。だから、この客ももう一歩工夫して、”a thing that cuts (or clips) your finger and toe nails”とすると誰にでもわかってもらえるはずです。心理学的にみて、こうした一工夫ができず、自分ではわかりやすく説明して”あげて”いると思い込むゆえ、通じないで苛々する理由の背後には、やはり、プライドがあります。だから、つまらないプライドは、慣れない外国語での異文化コミュニケーションにおける大きな障害となることを心得ておきたいものです。

そういえば、ローマ教皇フランシスは、スペイン語を母国語とし、イタリア語やラテン語にも堪能であり、英語も相当こなせるのですが、謙遜して、”I am sorry, my English is not so good. Please be patient with me”といった旨の前置きをしてから、英語でのスピーチをしているのを聞いたことがあります。俺は世界に君臨するカトリック教会のボスだぞ!なんていった驕りやプライドはまったくなく、言葉や文化が違う国からさっきやってきたアミーゴが一生懸命に親睦を深めようとして謙遜かつ真摯に努力しているんだと受け止めるようになります。確か、チベット仏教の法王、ダライラマ14世も、決して流暢とはいえなくても、謙遜さを独自のユーモアを交えて英語で円滑にcommunicationしていますね。

やはり、下手なプライドなしにcommunicateする努力をすると、多少、”あれ?何言ってるんだろう?”と思われるようなところがあっても、creative かつ humorousに相互理解を進めていけます。


一見、よるあるような巷の雑貨屋での会話のやりとりですが、外国語による異文化コミュニケーションにおいて、humblecommunicateする努力を続けることの大切さを改めて実感する体験でもありました。

Sunday, August 16, 2015

August 15: Day for Shalom – the Assumption – Japan’s Surrender to End the War – O-Bon Festival


August 15 is not only the solemnity of the Assumption of Virgin Mary but also the day that Japan surrendered to end the war, and also the eve of the last day of O-Bon Festival in the Japanese Buddhism custom. Is it coincidental to have these on the same day - August 15? Or, is there a certain meaning behind and to be discerned?  This blog article attempts to answer.

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August 15 is the solemn feast of the Assumption of Blessed Virgin Mary, the Theotokos (the Mother of God).  It is the day to remember that Mary was assumed (taken) into heaven, as also prayed in the fourth glorious mystery of the Rosary, followed by the her heavenly coronation in the fifth glorious mystery.

As Mary, who was conceived immaculate, was assumed into heaven, with her body and soul altogether, when her “tenure” on earth was over, her body was not subject to earthly decay. Therefore, her full-of-grace status has never been compromised at all.

The feast day of Mary’s Assumption, August 15, is also the day to mark the end of Japan’s imperialistic militarism, as it was this day, 70 years ago, that Japan accepted the Potsdam Ultimatum and surrendered to the Allied Forces.

Another significance of this day is that it is the eve of the last day of the O-bon Festival, which runs from August 13 through August 16, in the Japanese Buddhist custom, fused with old Japanese indigenous ancestor veneration tradition, as well as Confucianism’s filial piety tradition and Taoism’s concept of the word of the dead. This is the period when the spirits of the deceased – the spirits of the ancestors return to the world of living.

Perhaps, influenced by the Ullambana Sutra, in which Buddha instructs his disciple, Maudgalyayana, how he can help his mother’s suffering spirit to obtain some relief, Japaense O-Bon Festival is the festival to bring some respite for the spirits of the deceased from sufferings, especially if they have not attain the heavenly state – Nirvana, by offering some food items on a plate (o-obon).  In a way, Japanese O-Bon Festival is like a combination of the All Souls Day, on which we pray for the souls of the deceased in Purgatory (the Suffering Church) for indulgence, which is a remission from temporal punishment so that they may join the saints in Heaven (Triumphant Church).

The Assumption of Blessed Virgin Mary, the end of Japan’s imperialistic militarism, and O-bon Festival – all on August 15.  Is this a coincidence? Or, is there any significance that we can reflect on?

In light of the Buddhist concept of causes and conditions, there is nothing coincidental, as all phenomenon are associated with one other although we may not fully understand with human wisdom and cognition.  In other words, nothing in the universe – no phenomena – is in isolation or occurs by accident.  Given this, the Assumption, the end of Japan’s imperialistic militarism, and O-bon, are related as in the manner of the causes and conditions, though it may be beyond our comprehension.

One thing we can reflect on is what may be discerned as a common factor that runs through the Assumption, the end of Japan’s imperialistic militarism, and O-bon.

First, these are to connect this world and Heaven.
The Assumption of Blessed Virgin Mary is a hopeful reminder for us that we, too, may be raised into heaven, as Mary was assumed, eschatologically, as long as we follow the way of her Son, Jesus Christ.  In fact, Mary, who is also our mother ( John 19:27), wants us to do whatever her son told to do (John 2:5).

Jesus’ mission is to shepherd us into the ultimate Promised Land, Heaven. For us to be there, we must be his sheep – his disciples.  Among the disciples before, Mary is the perfect one, as she is full of grace, which means that she is immaculate.  Not only that she was perfectly obedient to the will of the Father in heaven (i.e. Luke 1:38) but also she was a faithful follower of the Son, as she was one of the few disciples who followed Jesus all the way to the foot of his Cross, while other disciples scattered.  If we can to find the best example of following the way of Jesus – to understand what it means to follow his way, we can look up to the way Mary lived on earth. Then, we know that we will be also assumed into Heaven, as Mary was, when the time comes.

For most of us, it is quite difficult to go straight to Heaven from the earth. Many of us will spend some time in Purgatory, where our souls will be purified and refined, on our way to Heaven.

O-bon Festival, like All Souls Day, is for the spirits of the deceased, who may be still suffering and may not put to the eternal rest in peace.  O-bon Festival is to give a respite from suffering through offerings, while All Souls Day is to offer prayers for the poor souls in Purgatory to be released into Heaven so that they can join saints there.

As reflected both in the Japanese Emperor’s remarks and the Japanese Prime Minister’s remarks in commemorating the 70th anniversary of the end of the war that Japan had fought in its imperialistic militarism, August 15 is a day to pray for the spirits of those who were killed and those who had suffered  before they died through the war and as a result of the war, in the countries where Japan engaged in battles and ruled with its military government, as well as in Japan, where many cities were incinerated by air-raids and by atomic bombings, and in Okinawa, where bloody land battles took place.  This is a day to show that we do not forget so many lives that have suffered and lost during and as a result of the war that Japan’s imperialistic militarism was involved.

In remembering August 15, as the day that the war ended with Japan’s surrender, though the land battles in Okinawa and Soviet forces’ invasion of Manchuria, Sakhalin, and the Kuril Islands (then-Japanese territories)  still continued on and resulted in more bloody deaths, it is also a day that a relief from the war.  At least, except for these areas, no more firings and bombings, as Japanese soldiers laid their weapons as the Emperor of Japan announced the end of the war on this day, 1945.

The Japanese Emperor’s announcement to end the war and command to surrender to the terms of the Allied Forces sure meant a relief, though it also brought a new anxiety as to what would happen to Japan and how the survivors of the war would be treated as the Allied Forces would occupy Japan. To address this anxiety, the Emperor encouraged to endure with hope for a better and peaceful future of Japan in harmony with the rest of the world, as letting the imperialistic militarism go.

In a way, August 15, 1945, as the end of a hell on earth that Japan’s imperialistic militarism brought not only to many nations in Asia but also to Japan. It was also the beginning of the post-war, post-imperialistic-militarism “purgatory” as Japan began to move to rebuild itself and the war-ravaged Asian nations also began to rebuild themselves. Through these “purgatory” years after the war, Japan has not only transformed into a new peaceful nation but also reconciled with almost all Asian nations and Allied Forces nations.  At the same time, Western colonialism, which had been oppressing Asia and to which Japan challenged during the war, has been replaced by full sovereignties of the Asian nations. In this post-war world today, Japan is no longer a threat to Asia and the Western nations are no longer colonizers.

It is hoped that the way Japan has transformed itself throughout these “purgatory” years helps the spirits and souls to have some respite, if not necessarily a complete relief or indulgence yet, from suffering, especially those suffering spirits and souls from the war, due to anger and hatred, as O-bon is to give some relief from suffering to the spirits of the deceased and the ancestors – if not yet to attain eternal peace - Nirvana.  It is also hoped that all the spirits and souls of the deceased and our ancestors will be led to Heaven from wherever they may be now so that there is no more suffering not only here on earth  but also in the world of the deceased. For those who believe in Jesus’ promise of the resurrection (John 6:40), made during his Bread of Life Discourse, it is our hope that Japan’s surrender to end the war prompts all of us on earth and in Purgatory to be raised our bodies and souls altogether into Heaven, as Mary was assumed with her body and soul.

The Assumption of Mary also symbolizes a farewell.  In Hebrew tradition, in bidding a farewell, the word, “shalom”, which means peace, is given.  In other words, in sending a person off and departing, we wish peace.  Mary was a Jewish woman. So, we can see Mary wishing us peace on earth in leaving into Heaven.
After all, it was Jesus, the Son of God the Father, Mary’s son, as well, who said, “Peace I leave with you; My peace I give to you; not as the world gives do I give to you. Do not let your heart be troubled, nor let it be fearful (John 14:27), to prepare his disciples for his departure during the Last Supper.

As O-bon Festival completes on the day after August 15, as Mary left this world with her Assumption, all the spirits and souls, who enjoyed the benefits of our offerings for relief, leave us in this world. As we strive to make this earth more peaceful place, we can exchange a farewell greetings of “shalom”, as they leave and return to their places beyond this world, hopefully getting closer to Heaven or Nirvana.

Let us mark August 15 as a day for “shalom”.


Friday, August 14, 2015

終戦70周年を記念する日、未だ消えぬ憎しみと恨みの煩悩の火を消す誓いの日

今日、平成27年8月15日は、終戦70周年の記念日です。70年前のこの日、日本は昭和天皇の終戦詔勅の玉音放送でもって、昭和12年の盧溝橋事件に端を発する日中戦争以来の長い戦争の幕を閉じることができました。

70年前の今日、日本人の心境は、史上前例の無いスケールで国民皆が多大な犠牲を払って耐え忍んだ戦争が、敗戦という形で終わったことへのいいようの無い失望と虚無感に伴い、それまでの戦時中の苦痛からの開放感やそれまでの敵国であったアメリカを始めとする連合軍に占領されることへの不安感などが複雑に入り混じったものだったと思います。
この節目の日、終戦の意義について考えてみることは大切です。

70年前の今日の日まで、それまでずっと、日本は負けることの無い神の国である、これは現人神である陛下の皇軍による聖戦である、と多くの日本人が信じていました、というか、信じ込まされていました。西洋列強からの脅威に対抗すべく、急ピッチで帝国主義にある西洋列強に習い富国強兵化した明治以来の大日本帝国は神道を国家宗教とし天皇陛下を政治利用してきました。明治天皇も昭和天皇も、戦争を好みませんでしたが、政府、特に、軍幹部が、陛下に、”戦争するしか打開の道がない”と説得し、 日清戦争、日露戦争、そして、こうした流れと、世界大恐慌などによる不景気にある国民の怒りや失望を外に向けるため、満州を日本の新しい植民地とすることで打開しようとし、満州事変が勃発。その結果、満州国を建国し、日中関係が急激に悪化する中、日米関係もそれに伴って悪化し、盧溝橋事件ば勃発し、日中戦争が始まりました。そして、アメリカは日本への制裁を強め始め、とうとうハルノートでもって日本の満州をはじめとする大陸での権益や権益拡大の野望を打ち砕こうと迫ってきました。これに対し、5.15事件や2.26事件などで文民統制だけでなく諸外国との関係悪化や戦争を好まない天皇陛下のご意向にも欺き、自分達の飽くなき覇権欲を追及するようになった軍部は、” 対対米開戦”でしか日本の満州などにおける権益を確保できないと主張、そう天皇を説得し、真珠湾攻撃による大東亜戦争の火蓋が切られたのです。

当時、ハルノートを突きつけてきたフランクリンルーズベルト政権は、アメリカ国民に、戦争不参加という公約をしていました。しかし、ナチスドイツにより致命的になりかねない打撃を受けているチャーチル政権のイギリスは執拗に、アメリカに援助を求めていました。つまり、アメリカの対ナチスドイツ戦争を要求していたのです。しかし、ルーズベルトは自分を選出してくれたアメリカ国民との不戦の公約を破るわけにはいきません。とはいえ、同盟国であるイギリスを”見殺し”にするわけにもいきません。そこで、ルーズベルトは、何とかしてアメリカ国民がヨーロッパで既に展開していた第二次大戦に参戦することを公約に拘わらずに進められるような政治的工夫が必要だったと考えられます。そこで、目をつけたのが、当時のアメリカの東アジア政策の癪に障る日本の大陸での権益拡大に干渉し、日本を苛立たせ、日本からアメリカに攻撃を加えてくるようにすれば、アメリカ国民は反日感情を抱き、不戦を誓った大統領に対し、熱狂的に対日戦を支持し、それによりアメリカはナチスドイツの圧倒的攻撃に苛まれる同盟国イギリスを救うこともできるという”ずる賢い政治的計算”が成り立つわけです。実際こうしたことがルーズベルトとハル国務長官などの側近の胸中にあったかどうか、歴史的仮説の憶測の余地がありますが。しかし、実際、当時の歴史は、こうした”筋書き”通りとなり、こうしたルーズベルトの思惑通りに、辛抱できない日本の軍部は対米戦へと日本と突入させ、ルーズベルトはアメリカ国民の心に激しい対日嫌悪感の炎を燃えさせ、日中戦争が一気に大東亜戦争というスケールの大きな世界戦へと拡大したのです。

終戦から70年経った今でも、安倍談話は旧日本軍の侵略行為などに対する謝罪と反省の色が薄いとか、昭和天皇の戦争責任、大東亜戦争は日本が西洋列強植民地主義の下で奴隷同様にあった東南アジア諸国を開放することで大東亜共栄圏という”ユートピア”を構築する為の戦争であった、などなどと、いつまでもいがみ合いが続き、感情的なレベルにおいてはこの戦争は今でも続いています。こうしたことについて、”どうしてそういつまでも過去に’拘る’のか?”と聞くと、”お前は、日本の過去の蛮行について何も反省していないのか?”と責められるでしょう。しかし、こうした言い争いがいったいどうして戦後の平和の為になるのでしょうか? 煩悩に翻弄されず、こうした我による執着がもたらす解釈の違いという表面的なレベルでのいざこざに捉われていては、いつまでも問題の本質について無智でいるままです。そうであれば、皮肉にも、また戦争が起こるでしょう。

心理と神学、宗教学を専門とする私から観れば、こうした感情的な”戦争”の続行は、加害国とされる日本と被害国とされるかつて日本が交戦あるいは軍事的介入を行うことで多くの人達が犠牲となり苦しんだ国々双方において煩悩の火が燃え続けている証拠です。厳密にいえば、この煩悩の火は、憎しみや恨み、怒り、それに、一種の妬みなどといった病的な感情がその要素として考えられます。そして、こうした煩悩の背景には、我があります。つまり、どの国も、自分が”加害者と言われたくない”、"自分は被害者だ”ということへの我による執着があり、この執着が、煩悩の感情的な火を燃やし続ける理由なのです。

そもそも、戦争とは煩悩がもたらす最悪のものだといえましょう。

幕末に勝海舟に頼んで咸臨丸に乗せてもらって渡米してから”西洋かぶれ”になった福沢諭吉は、西洋の良きところを取り入れてもアジアとの調和の重要性を諭す勝海舟を”時代遅れ”とでも嘲笑し、脱亜論を強調し、明治政府はこれを脱亜入欧の新しい理想とし、当時の富国強兵政策の哲学的な根底ともなりました。こうした誤った西洋への"妬み”による”執着”という複数の煩悩により、日本はその帝国主義の覇権欲を高めていきました。
確かに、当時のロシアによる脅威を考えれば、日清戦争による朝鮮独立と朝鮮への介入、そして、日露戦争によるロシアへの牽制と朝鮮併合による日本防衛の”防波堤”は”地政学的必要悪”だといえるかもしれません。しかし、こうしたロジックをそのまま、当時のアメリカに当てはめれば、広島と長崎への原爆投下も”戦争早期終結の為の必要悪”だという屁理屈が罷り通るかもしれません。

私達は、我を捨て超越した次元で、煩悩的感情論によらず、こうして一水四見的に真実を悟らねばなりません。仏教心理学といえる密教的唯識論において、人間の識とは、潜在意識にある末那識によって歪められ、私達はついつい知らずに思い込みの愚を犯します。しかし、無智という煩悩ゆえ、こうした思い込み、つまり、妄想、を我への執着というもう一つの煩悩により、”真実だ!”と主張し、違った角度から同じ事象について観たり考えたりすることができなくなります。こうしたことが、言い争いの背景にあり、更に、このような感情に支配させた心が感情的な争いへと発展し、憎しみ、恨み、怒りなどといった破壊的な煩悩的感情の火が燃え出すのです。心理的なレベルにおいては、もうすでに煩悩による火を放ちあう戦争が始まっているのです。

そして、こうした戦争が戦後70年たっても続いており、憎しみや怒りといった煩悩の火が燃え続けるだけなく、今でも双方を傷つけあっていることは非常に残念なことです。

我による執着といった煩悩と、憎しみ、怒りや恨みなどといった煩悩的感情を克服せずして、いくら”不戦”とか”平和”とか、集団的自衛権行使反対だとか憲法9条死守とか、血眼で叫んでも、動物的な脳でしかない大脳辺縁帯が司る煩悩的感情を人間的に進化した脳の象徴でもある前頭葉による理性で統制できなければ、また戦争が起きるでしょう。煩悩の感情という火が統制されることなく燃え続ける限り、かつて不戦を誓ったルーズベルト政権の”ずる賢さ”と、かつての武士道精神を欠き精神的に堕落したかつての日本軍部の”慎重さの欠如”が日米対戦をもたらしたように、戦争は起こるのです。

現在、中国や韓国は異常なほどの過去の日本の戦争責任への執着を示し、多くの日本人を苛立たせています。つまり、こうした隣国の執着の煩悩が、日本人の煩悩的感情の火をつける。そうすることで、より煩悩的な感情による戦争がエスカレートすることになる。こうした隣国の煩悩の思う壺にはめられて日本はどのような得をするのでしょうか?真珠湾攻撃も、ルーズベルトの煩悩の巧みな罠にはめられ、武士道精神を欠いた旧日本軍部の苛立ちの煩悩的感情によって行われたものであることを忘れてはいけません。
 
武士道の根本はやは禅定といったような、煩悩的感情にすさぶられない不動の強い心を培い維持することにあります。これは、前述した、前頭葉的な理性による感情統制(抑圧とは違う)にも並行するものだといええましょう。こうした不動の精神的境地は無我であり、煩悩が食い込む余地はありません。軍人たるものは、こうした禅定の武士道精神を示さねばならないのです。そうでないと、また無謀な戦いをしてしまうのです。そして、一般市民である私達も、こうした武士道的な禅定の不動の精神力を涵養することが、まず自分の心を常に平安に保つことでめざしていける世界平和への確かな一歩ではないでしょうか。

終戦記念日である8月15日は、奇しくも、聖母マリアの被昇天を記念する日でもあります。聖母マリアは、穢れ無き乙女(immaculate virgin)ゆえ、神の御子、イエス、を身篭り、出産させこの世に送り出しました。これは、マリアの意思ではありません。父なる神の意思の救世の意思なのです。罪深い、つまり、煩悩の連鎖を断ち切ることができない、弱い精神力の人間が住む世を救うためにマリアを使わせたのです。乙女マリアの穢れなさはその肉体だけでなく、心と魂もです。なぜなら、マリアの心や魂には我がないからです。無我ゆえ、マリアは、神の意思を素直に受け入れ、自分にその結果どのような試練が襲い掛かるかなどといったことを厭わずに、ただ神の意思のままに神の子、イエスを身篭らせ、産み、夫ヨゼフとの愛の下で育てたのです。

そして、今日、この聖母マリアはこの世での使命を全うし、体と心と魂共に、天に受け入れ(assume)されたのです。神の力の導きで、かつて彼女が神の意思をあるがままに受け入れた如く、そのままの姿で受け入れられたのです。

終戦記念日と聖母マリア被昇天の祝日との関わりについて考えながら、私達も、マリアのようにもっと我への執着を捨て、無我となり、神の意思であれ、キリストの教えであれ、釈迦の教えにある仏法であれ、何か、自分の存在よりも偉大でそれを超越したところの真実に目を開き、素直に受け入れることが必要なのではないでしょうか?

宗教云々にかかわらず、こうした私達すべてが我を超えたところにある偉大な真実とは、隣人愛ではないでしょうか?マリアが素直に受け入れた父なる神の救世の意思、そして、その結果生まれ育ったイエスが説いた教え、そして、釈迦が説いた八正道や仏法の教えにも、我を無にすることで隣人をよりよく愛することの真実があります。だから、父なる神は自分の菩薩的な化身ともいえる御子イエスを愛する罪人である私達の救いの為に罪滅ぼしの生贄に捧げられた。その時のイエスと父なる神との一致した望みは、こうした神の私達への隣人愛、アガペ、を理解し、煩悩、罪、に支配されない禅定のような境地にある無我の生き方へと改心することだったことを忘れてはいけません。

こうしたカトリックの教えにを反映した憎しみ、恨み、怒りなどの煩悩的感情を隣人愛の為に克服した良き例は、フィリピンのエルピディオキリノ大統領だといえましょう。キリノの大統領は、最愛の妻とすべての子供が日本軍により殺害させ、日本に対する怒りや恨みは到底言葉では表現しきれないものだったことでしょう。そして、殆どすべてのフィリピン人は日本による軍政による過酷さを極めた生活を強いられ、殺害され、多大な犠牲を払わされたことなどから、その対日感情は怒りと憎しみに満ちたていました。そうした中で、戦後、アメリカのお膳立てで独立を果たしたフィリピン共和国の大統領がキリノです。彼は、戦後の新独立共和国としてのフィリピンを統率していく上で、こうした国民の煮えたぎった反日感情を、自分自身の日本に対する怒りや憎しみと向きあいながら対日政策を考えねばならない辛い立場にありました。勿論、彼自身、そして、代表するフィリピン国民の怒りと憎しみの対日感情をそのまま反映させた政策を取るならば、現在でも中国や韓国が行うような対日政策をしていたでしょう。しかし、キリノ大統領は、何か、こうした感情的なレベルを超越したところに悟り始め、更に自分自身のカトリックとしての良心と日本により苦しめれた犠牲者としてのフィリピン人の怒りや憎しみとの葛藤の板ばさみの中で苦しみ続けました。そして、ついに、こうした煩悩的感情である怒りや憎しみの火を燃やし続けたままでは、本当の意味での戦争を終わらせたことにはならないということ真実に開眼したのです。そして、まだ多くのフィリピン人が煮えたぎる反日感情を抱き続ける中、まず、自ら率先してこうした煩悩的感情を祈りにより神の恵みの力で克服し、キリストが教えた隣人愛でもって日本との国交回復と感情的な和解に向けての手を差し伸べてきたのです。しかし、こうしたことは、当時のフィリピン人の多くにとってはとても信じられないことでしたが、徐々にカトリック教徒としてキリノ大統領の導きの意味が理解できるようになり、今では、ベニグノ・アキノ3世大統領が、かつてのいがみ合ったアメリカと日本はフィリピンにとっての最高の友人であるとまでフィリピン国民に宣言できるようにまでなりました。

これこそが、イエスキリストの隣人愛の教えにある、仏教でも教える、憎しみや怒りなどの煩悩的感情といった戦争の火種を消すことの良き例ではないでしょうか?そして、それを率先した敬虔なカトリック教徒であるキリノ大統領は、自分の我を神の意思に“assume”、つまり、受け入れてもうことで、捨て、その変わり、その御子であるキリストの教えにある隣人愛を当時まだ憎らしかった日本へ差し伸べられるだけの精神的な勇気が与えられたのです。こうしたキリノ大統領が示したキリストの教えによる煩悩の克服による隣人愛の実践は、戦後の世界平和を願う私達すべてが模範とすべきものです。

また、8月15日は、盆明けのイブでもあり、現世へ”里帰り”している先祖の霊がそろそろ極楽浄土へと戻る準備をしている時でもあります。こうした御霊を安心して送りだせるようにする為にも、ただ送り火を焚くのではなく、私達の心が煩悩のない禅定の境地にある心であることを示すことが大切ではないでしょうか?そうでないと、御霊も心配で心配で、旅立ち辛いかと思います。特に、あの長い長い戦争で犠牲となった英霊や御霊はとくにそうでしょう。

聖母マリアの被昇天、Assumptionという英語のラテン語からの語源には受け入れるという意味があることは先に示唆しましたが、受け入れるということは、森田療法でもいうように”あるがままに”つまり、自分の我による執着なしに受け入れるということです。そのいい例がマリア様が神の意思のお告げを受け入れたことです。そして、このマリア様が今度、その任務を全うされ、天の父の元、そして、御子イエスのいる元である天へとあるがままの姿、つまり体も心も魂もそのままで受け入れられたわけです。

こうした受け入れは、70年前に昭和天皇が行ったポツダム宣言の受け入れと、天皇陛下ご自身が、戦後日本を占領した連合軍の最高司令官であったマッカーサー元帥へ示された自分の身柄を受け入れることの引き換えに国民を救うように願われたお心にもみられるのではないでしょうか。そして、こうした受け入れを願うこころは、謙虚さそのものであり、無我の表れでもあります。先述した霊操を編み出したロヨラの聖イグナチオも”Suscipe”という真摯な祈りにおいて、神に向かい、どうか私の意志を受け取っください、なぜならば、私は我を放棄し、あなたのご意思のままに自分を捧げたいからだと願ったからです。

8月15日は、私達皆が、自己の中にある我を聖イグナチオの”Suscipe”祈りにあるように放棄し、そうすることで煩悩を克服し、禅定んのような平安で、乙女マリアのような穢れ無き心でもって隣人愛を実践していく決意を新たにする日であるとしましょう。こうすることで、いつまでも私達の心の中で燃え続ける戦争の火種である煩悩的感情の火を消しましょう。


平和への願いをこめて祈りのうちに、合掌。