Friday, March 28, 2014

仏教的背景の一春の彼岸に思う大乗仏教とキリスト教の類似性 



向こう岸に馳せる思い

春の彼岸が過ぎ、日が長くなったと実感し、春の着実な足取りを実感できる時です。”暑さも寒さも彼岸まで”と言うように、春の彼岸というと、やっと長い冬の寒さから開放されるという安心感もあります。しかし、私がいるシカゴではまだ気温がマイナスで雪も降ります。実際、彼岸の間、気温がマイナス5度以下の日が続き、雪も降りました。東北や北海道の方も同じような状況でしょうか。であれば、春の彼岸とはいえど、春はいつ訪れるのかと思うのではないでしょうか。

春の訪れが遅い北国にいると待ち遠しい春に馳せる心もひとしおでしょう。そして、遅い訪れの春に思いを寄せるように、いくらまだ寒くても、春の彼岸となれば、皆と同じようにはるか彼方の彼岸にある浄土におられるご先祖様への思いが募ります。そして、春の到来が遅い北国であれば、あたかも遠くの”彼岸”にいるかのように感じる春の暖かさに早く来て欲しいといった願いもこめられるでしょう。

そもそも、彼岸という仏教的な概念は日本人特有なものです。仏教文化の強い国は日本以外にもありますが、成仏されたご先祖様がいる世界を“向こう岸”といったイメージで捉えるのは何か日本人特有の心理と関係がありそうです。

シカゴは五大湖の一つ、ミシガン湖沿いにある都市です。この湖、岸に立てばわかりますが、あたかも海にように見えます。飛行機から見ても海のように見えます。しかし、場所と天気などの要素にもよりますが、時々、遠くの半島のような場所の湖岸にある高層建造物などがシルエットとして見えることがあります。おそらく、日本人の心理にある彼岸とは、シカゴのミシガン湖の岸から遠くの突き出た岸辺にある何かがシルエットとして目で認識できるようなイメージでもあるようです。

しかし、こうしたシルエットが見えるのは、よほど空気が澄んでいる日です。勿論、視力に問題があると目はこうした対象を認識できません。

煩悩は私たちの心を曇らせ、心の目の視力を弱くします。このことは、後に唯識という観点から詳しく述べます。また、煩悩により私達がもたらす無知、怒り、欲といった三毒などで“汚染”されているがゆえ、穢土とも言われる此岸のスピリチュアルな”空気”は穢れ”いるといえます。このため、彼岸を眺めもなかなか見えないものです。

仏教的にみて、私達が存在する此岸(しがん)から成仏されたご先祖様がいる彼岸に心の眼を向けると、煩悩が少ないほど、彼岸がよく見えてくるのではないでしょうか。なぜならば、煩悩は私達のスピリチュアルな眼にとっての視力障害のようなものだと考えられるからです。煩悩という視力障害の為、此岸にいる仏教的に言えば私達凡夫は無知無明なのです。しかし、お釈迦様の教えを実践することで悟りを開き、智恵を得て無知を克服し、開眼すれば成仏できるといわれています。

仏教文化の日本では、彼岸といえば先ずご先祖様の供養です。線香をあげ、お経を読み、こし餡たっぷりの牡丹餅(秋の彼岸では、つぶ餡のおはぎ)を作ってお供えします。そして、彼岸にいるご先祖様へ心を寄せます。牡丹餅(おはぎ)に欠かせない小豆には、その赤い色の効用から、邪気を払う力があるといわれており、彼岸にいるご先祖様と此岸にいる私達との間に邪気が、霧のように入り込んで彼岸が見えなくなることがないようにしたいという私達の願いも潜在意識的に込められているのでしょう。中には、お盆の、ご先祖様の御霊の“里帰り”に既に思いを馳せる方もいることでしょう。やはり、ご先祖様との霊的、スピリチュアルなつながり故、そう感じるわけです。そして、此岸と彼岸を結ぶ、ご先祖様との霊的、スピリチュアルな絆を汚したくないという願望から、魔除け効果があると信じられている小豆を使った牡丹餅やおはぎを彼岸には欠かせないものなのです。

彼岸というのは、思いを寄せるご先祖様との時空を超越したつながりを改めて実感するという時期である他、太陽の動きという観点からもユニークな時期です。なぜならば、秋の彼岸の中日が秋分の日であるように、春の彼岸の中日は春分の日です。つまり、彼岸の中日では、太陽が丁度、南と北の真ん中を東から西へと動く為に、昼と夜の長さが二等分される日でもあります。

西方浄土思想 ― 太陽に関する日本人の彼岸の心理とお釈迦様の“北頭西顔” 

では、なぜ、天文学的にこのような日に、彼岸にいるご先祖様に心を寄せ、供養するのでしょうか?

仏教伝来以前、長い間自然崇拝をしてきた日本人である私達は、自然崇拝の頂点ともいえる太陽を、私達の総氏神である天照大神として拝み、神道として体系化し、自然のダイナミズムとの対象関係を反映した独特のスピリチュアル、宗教精神を形成してきました。そして、6世紀に大乗仏教が導入されても、自然崇拝的な神道宗教精神は廃れず、寧ろ、こうした日本独特の神道の宗教精神の器で大乗仏教を抱擁し、神仏習合というユニークな宗教体系を形成しました。

天照大神に象徴される太陽は命の光でもあり、この太陽が東から西に恒常的に動くことは、時間が生から死へと流れることと並行することが直感的、潜在意識的に認識できます。また、真言宗では大日如来仏を拝み、日本特有な神仏習合により、大日如来仏は天照大神と重ね合わせて認識されることもあります。また、天照大神が象徴する太陽は生きとし生けるもの総ての命を支える光でもあり、こうした命を育むという母性的な意味からも、大日如来は万物の慈母とも言われているのでしょう。

神仏習合により、彼岸を日願とも言うことがあり、日本人が古来から行っている太陽の象徴である天照大神、真言宗が拝む大日如来、そして、春分の日、つまり、彼岸中日に行われる皇室行事である春季皇霊祭において、天照大神から初代天皇である神武天皇までの日本皇室の皇祖を祀る大切な日(秋分の日は、秋季神殿祭)でもあります。更に、元来、農耕民族であった私達日本人は、春分の日を農作物を植える準備を本格的にすることを告げる日だと受け止めていたようです。太陽が丁度、天の赤道を“渡る”ることで、この日以降、日照時間が夜の時間より長くなるので、光合成によって太陽の恵みを先ず最初に必要とする農作物を植える準備し、太陽の恵みにより生命を維持し、子孫を作ってきたわけです。こういった意味でも、神仏習合により、天照大神と重ね合わせられる大日如来を万物の慈母とも考えるのでしょう。

こうした日本人独特の抱擁的、統合的な宗教精神基盤でもって、私達はすんなりと、大日如来仏を拝む真言宗の他、阿弥陀如来仏を拝む浄土宗や浄土真宗の阿弥陀経にある“従是西方 過十万億仏土 有世界 名曰極楽”、つまり、無数に近い程のたくさんの仏の世界を超えた西の彼方に極楽がある、という教えを抵抗なく受け入れることができます。もともと、この阿弥陀経の“西方極楽”の考えは古代インドの宇宙観、宗教観によるもので、この考えでは、西は死を示唆し、お釈迦様が入滅した際の“頭北面西”という事実につながっています。お釈迦様が死に、涅槃に入られた時、頭を北に置き、顔を西に向けていたからです。浄土宗では、このことから、西を浄土の方向と考えているようです。


しかし、涅槃概念からみて、私達が恐れる死を象徴する西は、涅槃でもあり、煩悩による苦しみからの解放をも象徴するといえます。涅槃(Nirvanaにはもともと吹き消されたという意味があり、つまり、煩悩の火が吹き消されたという、悟りと成仏による煩悩のない世界をも意味します。また、先述したように、大日如来仏を万物の慈母とも呼ぶように、その光に例えられる太陽はこの世、此岸にある、私達人間を含めた生きとし生けるもの全ての命にとって不可欠なものです。そもそも、光合成により生命維持をする植物なしには動物の生命維持はできませんから、太陽なしには地球上の生命はないと、科学的にも考えられます。よって、生命の象徴であるといえる太陽が東から西、つまり、此岸から彼岸へと変わることなく動いている普遍の真理は、西の彼方にある彼岸が生命の行き着くところであるとも考えられます。

そして、お釈迦様の教え、つまり、仏教でもって、この西の彼方にある、ご先祖様がすでにいる極楽浄土へ私達も行けることを望みます。更に、今を生きる私達の為に四苦八苦を重ね尽くされたご先祖様を敬うだけでなくその苦労に感謝する気持ちもあります。つまり、今こうして私達が生きている、というより、生かされているのは、ご先祖様が此岸にいた頃、私達の為に、私達が今生かされていることができるようにと尽くされたお陰、そして、その縁起によるものだという認識です。こうした私達のご先祖様に対する愛と感謝の気持ち故、彼らが死後、苦しみのない西方にある極楽浄土にいると思うわけです。そして、それを彼岸ととらえ、凡夫としての私達が四苦八苦しながら生きているこの世、穢土、此岸と認識し、彼らがいる彼岸の西の方向を眺めるのです。

彼岸の中日に太陽が真東から昇り、真西に沈むことから、此岸と彼岸とが中道的なつながりの関係でみることができる日であることがわかります。この日は、太陽が東から西、つまり、穢土から浄土へ、此岸から彼岸へと、南に偏らず、北にも偏らずに、南北の中道を動いていく特別な日でもあるわけです。また、彼岸の中日に太陽が南北の丁度真ん中を東から西、つまり、真東から真西へと動くことは、大乗仏教を大成させたといわれる龍樹が強調したお釈迦様の大切な中道の教えとも比喩的に重ねることができます。

だから、どうしても、浄土、彼岸、そして、そこにいるご先祖様のことを、神道的な自然崇拝のセンスと共に、お釈迦様の教えの中に思わずにはおれません。これが、日本人にとっての彼岸のスピリチュアル、宗教的な心理背景でもあるといえましょう。

太陽と私達の心は一見何のつながりもないようですが、実は、日照時間という観点からみれば、深い関係があります。例えば、睡眠や気分と深い関わりのあるメラトニンの脳内における生成と分泌には、昼間に十分な日照を受けていることが必要条件となっています(*詳しくは、Sher, L. (2003). Aetiology and pathogenesis of mood disorders”, QJMed 96, 309-313を参照)。

メラトニンが不足すると、うつ気味となりますので、快適な気分を維持する為にも、昼間、充分に太陽の光の恩恵を受けておく必要があります。このような太陽と心の係わり合いから、私達の宗教観にも太陽が深く関わっていると考えられます。それゆえ、太陽の動きが特別な様相を呈する時、私達の心は無意識的に自ずと宗教的なことを考える傾向にあると思われます。

天動説的にみて、彼岸の中日である春分の日や秋分の日は、太陽の通り道である黄道と地球の赤道を天球に投射した天の赤道との交差点に太陽が来た日です。幾何学的に言えば、地球の赤道と天の赤道は相似の関係にあり、地球を中心とすると、天球は地球を相似拡張したようなものです。

そして、天界を動く太陽は、お天道様と言う様に、天球にある黄道と呼ばれる天道を一年かけて一回りし、年に二回、地球の赤道を天球に相似投影した天の赤道を横断歩道を渡るように“渡る”のです。そして、太陽が年に二回、彼岸の中日に渡る天の赤道を、此岸と彼岸の間の川に重ね合わせると、彼岸にいるご先祖様への馳せる心を太陽の動きに託すと、彼岸の中日に私達も、馳せる心が太陽が天の赤道を渡る如く、此岸と彼岸を隔てる川を渡るように感じるのでしょう。

煩悩の世界である此岸を地球と例え、煩悩がない涅槃の世界を彼岸に例えるなら、そもそも、彼岸、此岸という表現が地球を中心とした世界観の天動説的な考えによるものであることもわかります。心理学的にいえば、こうした地球中心、此岸中心とした見方、世界観は、どうやら自己中心的な心、つまり、自我の働きによる認識だといえます。発達心理学的にみて、このような心は幼稚な心で、成長するにつれ、世の中は自分中心ではないと認識できるようになります。勿論、科学的には、地球を中心とする地動説は正しくないことがわかっていますので、地動説的な要素が濃い彼岸の考えは、スピリチュアルな観点からみれ、どことなく幼稚なところがあるようです。よって、こうした考え、認識しかできないのは、煩悩により、私達の心が正しく事象を認識できていないということだといえます。このことについては、後に唯識論の観点から考えてみたいと思います。

此岸(穢土)と彼岸(浄土)にまたがる川の意義 -己を禊ぎ、煩悩や自我を洗い流すこと、さらに、波羅蜜多Paramita)にる最高を目指す苦行修行

私達は直感的、また、潜在意識的に、昼間を生きている世界、夜間を死の世界に例えることがあります。生命を光、死を闇に比喩的に連想しながらこのように考える傾向があります。更に、私達が生きている世界を此岸とみなし、死んでしまったご先祖様がおられる世界を彼岸とみなし、両岸を時間という時空という“川”、三途の川、が流れていると想像しながら考えます。三途の川という概念もどうやら日本仏教独特のようですが、冥界と生界との間にある川という点では、ギリシャ神話にあるステュクStyxと比較できるようなものでしょうか。

普通、三途の川は死後49日目に渡ることになっていますが、此岸への執着が強い人にとっては渡り辛い川であります。また、未練を残して死んだ人もこの川を渡って彼岸へ往生することは難しいと言われています。

三途の川を渡るのが難しい人は一般に罪人であり、善人は金銀七宝で造られた橋を渡って往生できるが、罪人は罪が重いほど深い瀬を渡らないといけないと言われています。しかし、そもそも、こういった考えは仏典にはどこにもなく(あったとしても、それは日本で作られた偽経)、どうやら日本の迷信や土着信仰といった要素が“とりついた”ことが三途の川とか賽の川原とかいった考えをかもし出したようです。しかし、此岸と彼岸の間に川というイメージに重ね合わせられる何かがあるとすれば、当然、この世での生への執着が強い人や、人生に悔いが残る人にとってこの川は渡りにくいものでしょう。それ故、私たちは今という時間が与えられていることに感謝し、無駄にすることなく一生懸命に生き、後悔や未練のない人生を送りたいものです。

最近、日本でも、“生きがい”とか“人生の意義”だとかいったことを活発に議論する空気がありますが、下手にこうしたことを哲学的にあれこれと議論するよりも、執着である欲を出さず、人生が自分の思い通りであろうがなかろうが、生を与えられ、生かされており、また、今という時間をも与えられているという事実をマインドフルに受け入れ、感謝し、無駄にしないように精一杯生きていれば、その必然的な結果が後悔や未練のない人生となり、そうした人生こそが生きがいがあり意義のある人生だといえるでしょう。

唐の大禅匠、雲門文禅師は“日々是好日”という有名な言葉を残していますが、いい日、悪い日、適切な日、不適切な日、とかいったものはなく、実は、毎日毎日がいい日であるから、一時たりとも無駄にせず、満身の力、いや、それ以上に、全身全霊でもって生きることで毎日が好日となるという教えです。この禅の教え、認知行動療法の原理と似ています。また、仏教においても、より心理学的な唯識論の考えや森田療法の臨床概念とも相通ずるところがあります。つまり、認知行動療法的、唯識論的に言えば、心の持ち方次第で好日が得られ、満足のいく日を過ごすことができ、森田療法的に言えば、与えられた一日一日をあるがままに受け入れ、与えられたことに感謝することで、無駄にしないように精一杯生きることで、好日というものを体験できるということです。こうして、“日々是好日”の教えを実践することが、彼岸へのスムーズな往生につながるのです。

彼岸と此岸の間の川を苦しみのある世界からない世界へと超えるべき川と見なす点では、旧約聖書、ヨシュア記(Joshua)第三章にある、ヨルダン川のほうが彼岸へ渡る三途の川によりよく例えることができましょう。出エジプト記からその続編であるヨシュア記によると、抑圧による苦しみの地であったエジプトをモーゼに率いられて脱出したユダヤ人は、モーゼの後継者、ヨシュアによって、神が約束した新天地へヨルダン川を越えて長い厳しい放浪の旅の末に辿り着いたと記されています。しかも、彼らがヨルダンを渡った頃は、川の水量が非常に多い時期で、渡ることは不可能でしたが、神の力による奇跡で彼らが渡る時に川が乾いたといわれています。

苦しみの地であったエジプトは煩悩による輪廻転生の苦しみの地である此岸の世界に例えることができましょう。そして、神が約束したエジプト脱出後に辿り着く新天地を彼岸の世界と並行することができるでしょう。彼らが最後のチャレンジであったヨルダン川へと辿りついたのは、“此岸”に例えられる、苦渋の地、エジプトを出てから40年後のことで、その間、実に多くの民が堕落し、脱落していきました。旧約聖書のヨシュア記とその前編である出エジプト記には、新天地への長く厳しい砂漠での放浪の旅の中で、いかにして人々は堕落し、脱落していったか記されています。そして、ヨルダン川をいざ越えて新天地へ到着する際、神はここまでがんばってやって来た“生存者”の努力と信仰心に報いいるかの如く、川を乾かし、楽に渡れるようにしたのです。

煩悩により、堕落してしまった者にとって、エジプト(此岸)からヨルダン川を越えた所にある新天地(彼岸)への“往生”は不可能だったんです。また、エジプトからヨルダン川を越えるまでの長く厳しい新天地への旅そのものを此岸から彼岸への大きな川に例えると、エジプトを出ても煩悩の火を吹き消すことができなかった者は、この“川”によって“新天地に住む価値のない者”であるかのように“淘汰”され、新天地へ辿りついた一握りのユダヤの民は、試練の川により“禊れた”、あるいは、“洗い清められた”者だけだったといえます。

生老病死は仏教でいう苦しみを意味することであり、この世に生れ落ちてから生きていることは苦しみであるととらえます。それは、生そのものに煩悩という不純物があるからだと考えられます。生そのものに煩悩があるのは、そのままの生、つまり、洗練されてない生には、自我、ego, atman,があるからです。

よって、仏教では、この世を生きていくことは、煩悩という不純物を生から取り除き、自我、atman,を消滅させ、無、無我、つまり、anatman、の境地を得る為の苦行であると考えることができます。要するに、煩悩や末那識に影響されるゆえ、生老病死の苦で特徴つけられる穢土である此岸から、煩悩や末那識がない悟りと開眼に特徴付けられる極楽浄土、彼岸へと、渡り行くことは、atman(自我)からanatman(無我)へと己を変遷させることです。これが、私達の、霊的、スピリチュアルに東から西の方向へ向けらるベクトルの彼岸の心でえあるともいえましょう。

こうした考えから彼岸へ渡る、つまり、往生することを考えると、此岸から彼岸までの川を渡るということは、その川の水で己を禊ぎ清めるという意味もあるかと思います。つまり、己にある煩悩をもたらす自我を洗い清めてしまう為の川渡りでもあります。そして、川を渡り切ると、自我が洗い流され、無我という煩悩のない清められた形で彼岸に到着するというイメージがあります。

川と清めの連想は、新約聖書のマタイによる福音書第三章などにある、洗礼者ヨハネが民衆をヨルダン川で清めの洗礼をしていたことを思い浮かべます。洗礼者ヨハネはメシアが現れることを察知していたようで、民衆に、“主の通られる道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ!”(マタイ、3:3)と叫びながら、彼らの悔い改めの為にヨルダン川で禊、洗礼、を行っていたのです。聖書でいう主の通られるまっすぐな道を用意するというのは、私達の主であるメシア、つまり、キリストであるイエス様を迎え入れる為には私達自身の心を正さねばならない、私達自身の心を清めなければならない、ということです。
実は、日本にも川と清めを連想させる考えがあります。例えば、八世紀の聖武天皇の妻と考えられる八代女王が詠んだ歌にこのようなものがあります。

君により言の繁きを故郷の明日香の川に禊しにゆく”(万葉集 4巻、626)

八代女王は、聖武天皇の寵愛享受していたとはいえ、朝廷やそれに絡む藤原氏の複雑な状況により正式な妻として認められず、うわさの対象となって辛い思いをしていたと言われています。そこで、そうした聖武天皇との関係をあれこれと噂(言の繁き)されたことを洗い流したいので明日香の川(飛鳥川)へ禊にいくという心境を詠んだものだと思われます。

川には心のモヤモヤを洗い流し、心を禊清めてくれる効果があるという概念が古来より日本人の心理にあるかと思われます。

仏教的にいえば、こころのモヤモヤは自我とつながりのある煩悩と関わっていると考えられます。なぜならば、煩悩にある心は、唯識論的にみれば、末那識による幻想しか認識できないので、明瞭に真実を認識できず、モヤモヤしていると思われるからです。それゆえ、何をやっても失敗しやすく、フラストレーションといった苦しみから抜け出せないわけです。キリスト教的にみれば、罪を犯しやすい、誘惑に弱い心がよく優柔不断であり、それゆえ、誘惑の方向へと流され、罪を犯すようになるというカラクリに似ているのでないでしょうか。

神道において禊は、神事を執り行う前に必ず実行されますが、これは、キリスト教でいう、主との遭遇に備える為には洗礼に意味されるような清めを行う必要があるという教えに相通ずるところがあるようです。そして、神仏習合にある日本のユニークな彼岸の仏教感においてもこうした、キリスト教の洗礼とも似たような教えがある神道の禊に関連する水というイメージが起こり、彼岸、此岸という概念が生まれたのでしょう。

ただ、神道における冥界と生界の考えと、仏教やキリスト教におけるそれとは正反対のような違いがあります。仏教やキリスト教では死に対して汚らわしいという概念はありません。仏教が派生したヒンズー教の全身であるバラモン教やキリスト教が派生したユダヤ教において死や病に対し、穢れの印象がありました。お釈迦様が子供の頃、死、病、貧困などの現実から隔離された王宮の満たされた環境で育てられ、イエス様が十字架で処刑させる日が過越際と重ならないように配慮されたということは、これらの宗教において高貴な地位にある人たちが死を汚らわしいものと考えていたからだと思われます。そして、神道においては、イザナギが死んだ妻のイザナミに会いに行くための黄泉の国に入り込み、そこで見た愛するイザナミの姿は想像を絶するような醜いものへと変貌しており、逃げ出してきた際、禊を行ったといわれています。つまり、冥界である黄泉の国には汚らわしいイメージがあります。

しかし、仏教やキリスト教においては、教えを学び、理解し、実践した人が行く冥界は、寧ろ、楽園であり、汚らわしい印象はまったくありません。しかも、仏教での冥界は仏界であり、キリスト教でいう冥界は神の国である為、清められてから行く場所というほどの印象がある程ですから、黄泉の国のイメージとは正反対です。

キリスト教で主と遭遇する準備としての洗礼を象徴する川が、ヨシュアに率いられるエジプトを脱出したユダヤ人が神がう約束した新天地に到着する為に渡らねばならなかった川でもあったヨルダン川であったことは、偶然ではなく、むしろ深い意味があったと考えられます。そうであれば、日本仏教特有の彼岸と三途の川の概念はつながりがないとはいえないような感じがあります。しかし、三途の川の考えそのものにはどうやら清めとか禊のイメージなないようです。とはいえ、キリスト教的に“三途の川”についてのイメージを改新すれば、この川を渡り、彼岸へと渡り、ご先祖様と仏界である浄土で再会するには、それなりの努力(修行)により洗い清められることが必要だと考えることもできるでしょう。

三途の川はそう簡単には渡れないというイメージがあります。先述したように、心理学的にみて、生への執着が強い程、あるいは、雲門文偃禅師の“日々是好日”の教えにそって、一日一日を全身全霊を込めて生きてこなかった故、悔いを残している場合渡りにくいのが三途の川です。

森田療法では生への執着に並行する概念として、生の欲望という考えがあり、不安障害、特に、死の恐怖、の根本的要因であると受け止めます。つまり、生の欲望が強い人ほど、死ぬことを恐れ、それ故、物事に全力投球できず、いつも後悔し、欲求不満も溜まり、精神的に衰弱していきます。こうしたメンタルヘルスの状況にある人は、当然、“日々是好日”の教えにそって毎日全身全霊を込めて生きることができません。つまり、これは、森田療法でいう“生の欲望”、仏教的にいう“生への執着”という煩悩によってもたらされたものです。

煩悩の産物である執着による不安の悪循環を断ち切る森田療法の方法の一つに、“恐怖突入”という概念があります。この考えでは、不安が取り囲んでいる恐怖の対象から、フロイトがいう自己防御作用により、逃げたり、避けたり、否定していては、より不安や焦りが募るという皮肉な結果になりかねないことを指摘し、少しずつ、恐怖の対処をより明確に搾り出し、それに直面できるように誘導していきます。

こうした森田療法的な観点から見れば、西に向かって、此岸と彼岸の間の川、三途の川、を渡ることへの、生の執着(生の欲望)という形の煩悩の作用(三毒の一つである欲)により渡りにくくなっている場合、辛抱強く西へと導く以外、こうした恐怖による抵抗感(執着)を断ち切るすべはないのです。よって、遅かれ早かれ、凡夫は、西の方向が示唆する死という現実と向き合うことで、生への執着を克服し、三途の川が渡れるようになると考えられます。

効果的なのは、やはり、まだ生をもって此岸にいるうちから、死という現実を受け止め、いつでも直面できるような生き方をすることです。その為にも、一日一日を“日々是好日”と受け止め、感謝の念で、一生懸命生きることで、改めて“日々是好日”の深い意義を体験し、体得していくのです。そして、こうした体得の積み重ねが、心理学でいう“生きがい”や“人生の意義”となって実感でき、仏教的にいえば、般若(prajna)という悟りの智恵へとつながっていきます。大乗仏教の教えでは、般若を得ることが、彼岸へ往来できることの必要条件となっています。

お釈迦様とイエス様による彼岸往生についての指南 - 般若(智慧)波羅蜜 (wisdom to recognize the truth/prajna)、アガペ(αγάπη)という愛

それでは、いったい私達凡夫はどのようにして般若を修得できるのでしょうか?
この質問は、新約聖書にある福音書に書かれている、イエス様への、“先生、永遠の生命を得るためには、どんなよいことをしたらいいでしょうか?”(マタイ19:16)といった質問のようなものでしょうか。

こうした質問に私たち自身が答えられ、その答えを実践できるように、お釈迦様もイエス様も私達のような凡夫や罪深き人に対し、指南されています。お釈迦様による教えは、お釈迦様の言葉を綴った経典に、そして、イエス様による教えは、イエス様の言葉を綴った福音書に記されています。よって、経典や福音書は、彼岸(キリスト教でいう神の国にも例えて)への往生にとっての指南書であるといえましょう。  

大乗仏教の真髄を記したお経といわれる摩可般若波羅蜜多心Maha Prajnaparamita Hrdaya)には彼岸へ往生する為の波羅蜜多修行について詳しく書かれています。波羅蜜多は、サンスクリットで、paramitaと言い、paraiとはparamaという“最高の”、“完成した”、という言葉からきており、ita は状態を指します。つまり、paramitaとは完成された最高の状態を指します。また、paramitaには、param (向こう岸、彼岸へ)+    ita (到着した)といった見方もあり、彼岸に往生した最高の完成された状態を示唆しているといえましょう。よって、お釈迦様の波羅蜜多についての教えは私達凡夫が彼岸へ往生できるため、三途の川を無事にわたり、洗い清められた煩悩のない完全な状態になれる為のガイドでもあるといえましょう。 

摩可般若波羅蜜多心によると、布施波羅蜜(almsgiving/dana)、持戒波羅蜜(moral, spiritual discipline/sila)、忍辱波羅蜜(patience , perseverance/ksanti)、精進波羅蜜(diligent efforts/virja)、禅定波羅蜜(zazen meditation/dhyana))という5つの波羅蜜を実践することで般若(智慧)波羅蜜 (wisdom to recognize the truth/prajna)という悟りの超越的な智慧を得ることができると示されています。つまり、喜捨による布施をし、いつも自分を律して、戒め、困難を耐え忍び、何事にも全身全霊の努力を注ぎ、座禅を組んで黙想することで、般若波羅蜜を得ることができ、煩悩を超越できるようになり、自我がなくなり、無、つまり、無我となり、悟りから開眼へと完全な状態(波羅蜜な状態)へと進歩していきます。こうして、悟りを得、開眼すると、全てが無である事実に目覚め、彼岸と此岸との間の視野も霞んだり、曇ったりすることなく、澄んできます。全てが空(無)であるという事実は、“不異空、空不異色、色即是空、空即是”という言葉で記され、色を全ての事象に例え、空(無)というのは、全ての事象抱擁できるということを示唆しています。

大乗仏教において、“不異空、空不異色、色即是空、空即是”の真実を悟り、開眼できることは、5つの波羅蜜を実践し、6つ目の般若波羅蜜を修得したことになり、これでもって、涅槃、つまり、煩悩のない彼岸へと往生できると考えられます。

キリスト教的に波羅蜜多を考えると、新約聖書の黙示録第22章にあるような完全に洗い清められ、神の国である天国に到着した聖人となった人達のイメージとも重ね合わせることができましょう。神学的にはこの状態を“the fullness in the mystery of Christ、つまり、キリストの神秘に満たされた状態ともいえ、仏教が波羅蜜多でもって彼岸を目指すように、これがキリスト教が目指す究極の状態です。ただ、黙示録第22章に記されているイエスの教えの完成された状態への往生には川を渡るというイメージはありませんが、この完全な状態に至るまでには時空を超えた様々な苦行修行があることは新約聖書を通して記されており、神を信じ、イエス様の教えを実践し、つまり、信仰とイエス様の教えの行いでもって苦行修行の波ある川を乗り越えて天国へ往生するのがキリスト教の真髄であるといえましょう。

キリスト教では、強い信仰があれば溺れないという比喩的な教えがあります。つまり、強い信仰があれば、どのような恐ろしい状況でも不安を克服して乗り越えられるということです。つまり、信仰の強さは、煩悩に反比例するといってもいいでしょう。このキリスト教の考えは、お釈迦様にとっていまいち理解の鈍かった阿南という弟子のような、イエス様の弟子、ペテロ、が、嵐で荒れ狂う湖水上を歩くイエス様を見て、心が馳せり、激しく揺れ動く舟から飛び出して水面を歩いていたのですが、風の強さに気付いた途端に溺れだし、まだ辿り着いていない水上におられるイエス様に向かい、“助けてくれ~!”と必死に叫び、イエス様が即座にお助けになり、ペテロに対し、彼の信仰の弱さを戒めた話(マタイ、14:22-36)によるものです。

つまり、川であれ、湖であれ、海であれ、無事に渡るには、煩悩のない清い心でないといけないということです。なぜならば、不安とは煩悩によるもので、森田療法的にいえば、心が自我により自己に執着しており、それゆえ、フロイトの理論にあるように、自己防衛の反作用として、不安が生じるわけです。この仏教的な心理学的の概念はペテロがなぜ溺れかけたのかという神学的な説明からも納得できます。なぜならば、信仰とは信仰の対象に心を注ぐことで、自己ではないということです。こうした信仰が強いほど、つまり、自我による自己防衛的な自己への執着がないほど、不安にさらされず、三途の川に象徴されるような不安を掻き立てるような川でも往生することができるわけです。

イエス様のおられる方へと荒れ狂う湖の水面を歩いていたペテロが突然強い風を感じた途端溺れ始めたのは、風によりペテロの心が急にイエス様から自己へと向けられたからです。これは、自我にある末那識による心理的作用とも考えられます。また、こうしたことで、イエス様の折られる方へと進めなくなったペテロのこうした心は明らかに煩悩があったからです。イエス様の12弟子の中でも、ペテロは自我が強く、それだけ煩悩にも影響されやすかったと考えれます。しかし、そのようなペテロですら、ヨハネによる福音書第21章にあるように、イエス様の復活後に、イエス様との再会により、悟りを得て、煩悩を克服できるような強い心へと変遷しはじめ、それ以降、ローマで勇敢に主の栄光の為に殉教するまでペテロはどの恐れることなくような試練にも耐えることができました。だからこそして、ペテロは聖人となり、一足お先にキリスト教でいう“彼岸”にある天国にいる“ご先祖様”なのです。こうした意味では、ペテロは、イエス様の教える“波羅蜜多”の意味を、復活後のイエス様との再会により悟り始めることで、”煩悩“、自我がもたらす不安、を克服しつつ、イエス様の教える“波羅蜜多”を成し遂げ、着実に“彼岸”への試練の川を渡っていったと言えましょう。そして、ペテロの殉教という形での死でもって、ペテロは波羅蜜多が意味する彼岸に到着した最高の完成された存在、つまり、仏教的でいえば“仏”、キリスト教的にいえば、聖人となったわけです。これは、神学的にいうペテロの“fullness in the mystery of Christという波羅蜜多の状態でもあります。

彼岸への川渡りで溺れるかのように、嵐の湖に溺れるペテロ、比喩的にいえば、煩悩に溺れるペテロ、を救った時のイエス様の波羅蜜多の教えは、信仰であるといえましょう。

ここでは、一口に信仰といっても、イエス様が教える信仰とは、ただ頭で“信じます”というようなものではありません。実は、信仰について、カトリックとプロテスタントで解釈の違いがあります。

16世紀の宗教改革においてルターと深い関わりのあるメランヒトンは、信仰のみ(sola fidei)で救われるという考えを説き、プロテスタントの神学をカトリックのそれと違うものにしていくきっかけの一つを作りました。カトリックでは、いつも、信仰を行いでももって示すことを強調してきました。それ故、カトリックの教理(Doctorina Christiana)は、キリストの慈悲を模範とした、イザヤによる預言書58:6-7、マタイによる福音書25:34-40、ヤコブの手紙2:15-16に示されている内容の、14の慈悲の所作(行い)をすることが救いにとっての必要条件である教えます。これは、十戒の遵守だけでは物足りないという考えもあります。

カトリックの教理にある慈悲の14の所作とは次のようなものです。色身(肉体)とスピリット(スピリツ、精神)という2つの分野にそれぞれ7つの所作があります。

色身(肉体)にあたる七つの事

 一つには、飢えたる者に食を与ゆる事。
 二つには、渇したる者に物を飲まする事。
 三つには、肌を隠しかぬる者に衣るいを与ゆる事。
 四つには、病人を労わり見舞う事。
 五つには、行脚の者に宿を貸す事。
 六つには、囚われの身を受くる事。
 七つには、死骸を収むる事これなり。
 
 
スピリット(スピリツ(spiritusにあたる七つの事

 一つには、人によき意見を加ゆる事。
 二つには、無知なる者に道を教ゆる事。
 三つには、悲しみある者を宥むる事。
 四つには、折檻すべき者を折檻する事。
 五つには、恥辱を堪忍する事。
 六つには、ポロシモ(隣人)の不足を許す事。
 七つには、生死の人と、また我に仇をなす者のために、デウス
(神)を頼み奉る事これなり。

カトリックの信仰を慈悲の行いでもって示すことを奨励する、カトリック教理にあるこれらの慈悲の所作は、もともと、中世イタリアのカトリック教徒よる貧しい人、病人などへの献身的社会奉仕の団体“Arciconfraternita della Miseriordia”(慈悲の奉仕団体)、のモットーが起源であるといわれています。

フロイス神父が記した“日本史”によると、マニラに流刑となった摂津のキリシタン大名、高山右近と、その父親、高山友照は、中世イタリアの“Arciconfraternita della Miseriordiaのような、”ミゼルコルディア(Misericordia,慈悲)の組”というものを組織し、各組において、地域の貧しい人や病人を訪問する係を任命し、訪問したり、施しを行いました。また、死者がでると、神父に知らせ、手厚い葬式をしたといわれます。また、フロイス神父の記録、“日本史”によれば、高山右近がまだ少年のころ、二人の貧民が死に、父の友照は、この死者達の為に、イタリアの“Arciconfraternita della Miseriordiaで拵えるような棺を用意し、息子の右近は、聖と言われていた社会の最底辺に置かれていた人がするような棺を担う役割を、自分から申しました。後に大名となるキリシタン少年、右近、は自ら蔑視の的となることで、棺担ぎという蔑視されてた行為を実体験することで、寧ろ、棺担ぎは敬虔な行為であるということを実感し、示したかったのであろうと思われます。これは、右近とその父親、友照、の強い信仰が、穢れとか、非常に賤しい階層といったようなことと関連付けられていた死者を扱う行いを、敬虔な、カトリックの教えにある慈悲の所作のひとつとして、率先して行うことで示されていたことを語っています。

こうして、日本のキリシタンも、迫害の下にあっても、ただ十戒などの律法を守るだけでなく、たとえそれが賤しいとみなされていても、慈悲の所作を積極的に実行して、貧しい人達や世間から見放された人達と施しを通した交わりを保っていました。これは、イエス様が、社会からのけ者扱いを受けていた罪人や不治の病に苦しむ人達と積極的に交わり、神の恵みが享受でき、神の国へと導いていたことと並行すると言っても過言ではありません。こうした行いこそ、本当の信仰であり、キリスト教的な“波羅蜜多”の実践とも言えましょう。

戒律や律法の遵守といった信仰だけでは物足りなく、慈悲の所作といったような行いが、キリスト教における波羅蜜多実践にとって大切なポイントについて、例を挙げて更に考えてみましょう。

先述した、永遠の命を得るにはどうしたらいいかという質問(マタイ19:16)の続きの話には、イエス様の質問をした青年は十戒の教えをすべて守っており、一見、信仰心の高い青年という印象を与えるような記述があります。初め、この質問に対し、イエス様は、“掟を守りなさい”と言うと、この青年は具体的にどのような掟かをイエス様に確認したあと、“そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか?”と尋ねました。すると、イエス様は、“もし、完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから私に従いなさい”(マタイ19:21)と答えられました。聖書でいう、“永遠の命を得る”ということ、つまり、救われて、神の国で永遠に暮らす、完全な存在“を”彼岸“に例えると、イエス様は、単なる信仰、律法の遵守だけでは“彼岸”へは往生できない、とこの青年に説いているわけです。ここで、イエス様は、“完全になりたいのなら”という表現をしています。これはいわゆる、“波羅蜜多”が“完全である”ということを意味するように、イエス様によるキリスト教的な“波羅蜜多”の教え、つまり、彼岸への往生についての指南の一つと考えてもいいでしょう。

また、パウロは律法と信仰の関係について議論しましたが、本当の信仰が行われているならば、律法の必要性はないと主張しました。更に、パウロは、律法だけにこだわり、それを遵守するだけで神の祝福を受け、救われると思い込む偽善性を批判しました。それは、本当の意味での信仰に欠けるからだと結論しているからです。そもそも、律法が私達にとって必要となった背景には、神の教えに従わず、自我の欲求に従った為、神との約束(covenant)が守れなかったという背景があります。

律法主義的な“信仰”に対するパウロの批判的な立場は、イエス様が説く“完全さ”(マタイ19:21)、つまり、“波羅蜜多”の教えが、律法主義的なものではなく、律法にこだわらず、慈悲(metta)、つまり、アガペ(agape)の心でもって、物質的な物への執着捨て、喜捨の行いでもって貧しい人への施しをするといった、既存の律法を超越した行いであるということを受けているのです。

カトリックの教理にある14の慈悲の所作の共通項は、アガペという、イエス様が最高の法であると教えた愛です。仏教的に言うと、この共通項でえあるアガペとは、キリスト教における、“般若波羅蜜多”なのです。つまり、イエス様が、善良なサマリア人の例を挙げて教えた、十戒にもある“神を全身全霊でもって愛せよ”という律法を拡大した、“あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。たとえ、その隣人が敵であっても愛せよ”というイエス様による最高の、それまでの律法を超越した、新しい律法、“般若波羅蜜多”です。

プロテスタントでは、信仰のみといった考えが強い為、神の御言葉である聖書のみという考えもあり、中には、聖書の言葉を、あたかも、“文字通り”に遵守することが“信仰だけによる義”ととらえている向きがあります。カトリックのような聖体拝領を行わず、パンとぶどう酒は、キリストの体と血であるというようなカトリックの考えを否定し、それらは単にキリストの体と血を象徴するものでしかないと教えます。つまり、プロテスタントの神学には、~のみといった考えがあり、カトリックに比べ、どことなく二元論的な感じがします。

こうした神学的背景を持つプロテスタントではパウロのエペソ人への手紙2:8-9に書かれている、“事実、あなたがたは、恵みにより、信仰により救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。(あなた方自身の)行いによるものではありませんという箇所を、パウロは信仰によってのみ、救いを意味する義に授かることができると教えている解釈し、信仰のみsola fidei)で救われるという考えを強調しています。そして、私たちの行いを否定しているとも主張します。しかし、本当にそうでしょうか?パウロは、イエス様の救いの教えをそのように解釈してエペソ人に教えたのでしょうか?

このことについて、仏教、特に他力本願、の立場から、彼岸への往生について、キリスト教の救いについての教えと比較しながら考えてみましょう。この検証の為、新約聖書のこの箇所を前後の文章を含めて引用しましょう。

“さて、あなたがたは、以前は自分の過ちと罪の為に死んでいたのです。この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者たち内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。私達も皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉体の欲望の赴くままに生活し、肉体や心の欲するままに行動していたのであり、他の人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。しかし、憐れみ豊かな神は、私達をこの上なく愛してくださり、その愛によって、罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、あなたがたの救われたのは恵みによるものです。キリストイエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。こうして、神は、キリストイエスにおいて私達にお示しになった慈しみにより、その限りなく豊かな恵みを、来るべき世に現そうとされたのです。事実、あなたがたは、恵みにより、信仰により救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。(あなた方自身の)行いによるものではありません。それは、誰も誇ることがないためです。しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリストイエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです"(パウロによるエペソ人への手紙 2:1-10)

引用したように、第一節から十節までを読むと、どうやら、パウロは必ずしも、私達自身の行いを否定しているとはいえません。ただ、自力本願的な行いを否定していることは明らかです。

この十節を読むと、パウロという弟子は、イエス様の救いへの教えは、自力本願でもなく、一部のプロテスタントが思っているような“信仰のみ”といった全くの他力本願でもないと教えているようです。現に、パウロは第十節で、“神が前もって準備してくださった善い業のために、キリストイエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです"と、憐れみ多き神が私達の為に前もって準備してくださった善行に励むことが救いにつながると教えているのではないでしょうか。そして、神が私たちの為に前もってお膳立てされた善行とは、キリスト教的な” 波羅蜜多“であり、イエス様が説かれた神の国へ入国するためになすべきこと、永遠の命を享受するために行うことに他なりません。パウロが否定しているのは、それ以外の自分勝手な、つまり、自我による行いなのです。なぜなら、自我による行いは、煩悩による無知、欲や執着、そして、怒りなどからによる行いであり、堕落させ、罪へと導いてしまうからです。

自我についてここでもう一つ気をつけなければならないのは、それが”自力本願”という形の行いの背景となる可能性です。よく、自分で一生懸命努力しているのに、何の効果もない、だからうつ状態となり、絶望してしまうケースがあります。これは、単に、自我により振り回された盲目的な努力だからだといえます。こうしたことがないようにする為にも、パウロは、神の意図、”本願”を反映していない、人間の自我だけによる行いを批判しているのです。仏教においても、お釈迦様の教える仏の意図、つまり、本願、に沿わない行いは無意味なのです。 狂信的、妄信的な自力本願は、実は、自我による行いでしかないということもありますから、自力本願を重視する場合、それが自我による願望でないか検証する必要があります。

ヤコブは、その手紙、第二章14節から26節にかけて、信仰を正しい行いで裏付けることの重要性を説いています。その要点は、次のような言葉で記されています。“自分は信仰を持っているとか言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が彼を救うことができるでしょうか。もし、兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、あなたがたの誰かが、彼らに、‘安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい。’と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです”(ヤコブの手紙、2:14-17)。

ヤコブは、ユダヤ人のご先祖様であるアブラハムの信仰が、その行いと共に働き、完成された(ヤコブの手紙、2:22)ことをはっきりと示しながら、この主張の正当性を実例を挙げて強調しています。アブラハムの信仰は、ユダヤ教、キリスト教、共に、模範とするものであり、ヤコブのこの主張は、カトリックの行いに裏付けられた信仰の教えを支持し、一部のプロテスタントの行いを重視しない信仰のみという神学的概念の不当性を突いています。つまり、キリスト教における“般若波羅蜜多”も行いが伴うのです。

これは、例えば、数学を学ぶ上で、先生の説明を聞いた後、生徒が“わかった、わかった”といっても、実際に自分で問題が解けなければわかったことにならないという教育学上の事実に比喩できましょう。"信じる、信じる“という信仰の告白も大切ですが、本当に救われたいならば、その信仰を裏付ける行いに常に励むことが大切です。
問題が解けなければ、わかっていると自分で勝手も思っているだけで、同じように、洗礼をうけて信仰を持っているから救われると思っていても、行いによってその信仰を示せなければ意味がないということです。

先述のように、イエス様は、永遠の命を得る術、仏教的に言えば、彼岸往生をして極楽浄土で暮らす術、を質問した青年に対し、“完全になる”、つまり、“波羅蜜多”の実現、の為には、物質的な財産を“喜捨”して貧しい人への“施し”を行い、“出家”、つまり、イエス様についてゆくことを教えました。では、もう少し具体的にイエス様ご自身が教えられた具体的な波羅蜜多”の教えを、カトリック教理にある、“般若波羅蜜多”である慈悲の行いという観点から見てみましょう。

イエス様の12弟子の一人であったヤコブの手紙で強調されれいる信仰による行いの重要性の具体的な 波羅蜜多“についてイエス様自身、次のように説明されています。
 “人の子(キリスト)は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座につく。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。そこで、王は右側にいる人たちに言う。”さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちの為に用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていた時に飲ませ、旅をしていた時に宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。“ すると正しい人たち(義をうけた、神の国に入国できる人たち)が王に答える。"主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどた渇いておられるを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。”そこで王は答える。“はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。”(マタイ25:31-40)
*カッコ内、私による説明

これが、イエス様による、具体的な“般若波羅蜜多”実現への波羅蜜多”実践の指南です。

別に難しい律法を覚え、遵守するわけでもないのです。ただ、心を慈悲、アガペで満たし、その心に素直に従う行いをすればいいだけです。ヨハネの手紙1、第四章8節にあるように、神とはアガペなのであり、こうしたアガペの心に従う行いをするということは、パウロがいう、神が私達の為に前もって準備された善い行い(エペソ人への手紙2:10)でもあるわけですから。

ただ、善い行いをする、とはいえ、気をつけないといけないことがあります。上に引用したマタイ25:31-40からも汲み取れるように、誰か有名な人の世話をする、世話をすれば見返りをくれる人の面倒をみる、というのではなく、社会で無視されているような人に寄り添い、支援するような愛による善い行いでなくてななりません。

“彼岸往生”に例えられる救い、神の国への入国、永遠の命、についての指南として、イエス様は、物質的財産を喜捨することで“執着”を捨て、“出家”し、アガペの行いという“般若波羅蜜多”について語りましたが、福音書にはまだまだイエス様による具体的な“波羅蜜多”の教えがありますので、聖書と経典を比較しながら更に読まれることをお勧めします。

更にもう少し、イエス様による“波羅蜜多”についての具体的な教えについて触れるならば、マタイによる福音書第5章から7章にある、“山上の垂訓”をお読みになると、イエス様の救いについての教えが実に、お釈迦様による波羅蜜多の教えと相通ずるところがあり、仏教的であると実感できます。特に、マタイ7:1-7においては、煩悩がいかにして私達、罪深き凡夫のビジョンを幻想にせしめるかについて、偽善者が自分で気がついていない自分の目の中の丸太の比喩的な話で述べています。目の中の丸太とは、煩悩の比喩といえます。つまり、煩悩によって、唯識でいう眼識に障害ができ、幻想を抱き、その結果、自分のことを棚にあげ、他人に対し、批判的となるのです。そして、こうした“目の中の丸太”に比喩される眼識を幻想にする煩悩を取り払わないと、“豚に真珠”といった愚を犯すということを戒めています。

また、マタイ7:13-14には、“狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見出す者は少ない”、とあります。この“狭い門から入りなさい”という言葉は、茶室への入り口である、躙口を彷彿させます。なぜならば、ここでいう神の国への狭い門とは、謙遜さと執着を捨てることを意味しているからです。執着があれば、あれこれとお荷物を抱えたまま門をくぐろうとするでしょうが、その門が狭ければ、身一つでしか入れません。先述の青年(マタイ19:16-22)のように、建前上律法はきっちりと守っても、執着を捨てられないが故、あきらめるか、それとも、執着を捨て、身軽になって狭い門をくぐるか、それは私達一人ひとりに与えられた自分の意思による選択です。そして、狭いので頭を下げなければなりません。つまり、頭を下げるということは謙遜を意味します。このイエス様による“波羅蜜多”は、茶道にあるような禅的なものだともいえます。

大乗仏教において彼岸往生に5つの波羅蜜多があり、それらの実践により、6つ目の般若波羅蜜多である、悟りの智恵(般若)を得ることを強調します。キリスト教においては、イエス様が教える““波羅蜜多”といえる神の国へ入国する為にすべき行いも、幾例か上に挙げたように、多数あり、それらは全てアガペという最高の愛である智恵、般若、による行いに裏付けらて完成する信仰が神の国に狭い戸口から入国できる必要条件だといえます。これは、先述したように、行いで裏付けされた信仰を強調するカトリックの教理にある、14の慈悲の行いを、キリスト教における“波羅蜜多”といえましょう。

では、キリスト教における“波羅蜜多”が示す方向である“般若”といえるアガペとは具体的にどういうものでしょうか?

ひっくるめて言えば、自己犠牲をも厭わない、相手を自分より優先できる愛といえます。
摩可般若波羅蜜多心にある布施波羅蜜(almsgiving/dana)は、マタイ第19章にある裕福な青年が、イエス様が教えるように、永遠の命を得る為にすべきだった、貧しい人への施しをする喜捨に相当するものといえ、執着を捨てることで行えるアガペの初歩的なものといえましょう。しかし、イエス様によるは、更に高いレベルのアガペを要求します。それは、イエス様ご自身が、自ら十字架で処刑されることでお示しになった、“愛する羊の為に自らの命を‘喜捨’する、良い羊飼い”(ヨハネ10:7-21)の比喩にある、自分の命への執着のない、無我の最高のアガペなのです。

こうした最高のアガペという最高の“般若波羅蜜”で彼岸へ往生し、涅槃に入った人は、殉教した聖人達やそれに匹敵する人達です。死をも厭わないようなアガペは、葉隠にある、武士道の本質たるものは、仕える人、愛する人、の為に死るること、つまり、殉死、することにあり、ということとも相通ずるものがあります。

殉教、殉死といったような形で涅槃を得た人達の例を通して、私たちも、自分の命をも喜捨できる、無我のアガペを頂点として、様々な形でこのキリスト教的な“波羅蜜”を理解し、実践できます。このことについては、次のパウロによる詳しいアガペの説明言がとてもいい参考になります。

また、パウロはコリント人への手紙一で、アガペという“般若波羅蜜多”を次にように具体的に説明しています(13:4-13)

たと、人々異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは、騒がしいどら、やかましいシンバル
 
たとえ、預言をする賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようともたとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ無に等しい。
全財産を貧しいのために尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何のもない

愛は忍耐強い、愛は情深い。ねたまない。愛は自慢せず高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求め、いらだた、恨みを抱かない 不義を喜ばず、を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。 愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう。わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから完全なものが時には、部分的なものは廃れよう
 
幼な子った時、わたしは、幼な子のように話し、幼な子のように思い、幼な子のように考えていた。成人した今、幼な子こと棄てた わたしたちは、今は、鏡におぼろげにったものを見ている。だがその時には、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、その時には、はっきり知られているように、はっきりと知ることになる
 
それゆえ、信仰と希望と愛、この三つはいつまでも残る。こので最も大いなるものは、愛である“(コリント人への手紙1、13:1-13)
 
福音書に書かれている、イエス様が教え続けてきた“般若波羅蜜”であるアガペという愛についてパウロはこのようにまとめているのです。

パウロも、結局は、ヤコブと同じように、単なる信仰だけでは虚しいものであるとし、アガペと言う自我のない愛に打ちたれたれた信仰でなければならないと説いています。更に、ヤコブと同じように、貧しい人への施しや、殉教のような行いの大切さにも触れていますが、こうした信仰を裏付ける行いは、偽善的であってはならないと指摘しています。そして、こうした善いおこないが偽善的にならない為には、見栄や誇りという自我による煩悩から発する行いでなく無我のアガペという愛によるものではならないと教えています。

こうして、パウロは、イエス様が教え続けていたアガペという愛の“般若波羅蜜”が、信仰とそれを裏付ける善い行いにとっての動機でなければならないと説いた後、更に、アガペが自我による自己中心的でなく、相手を思うものであること、煩悩とまったく反対の方向、つまり、彼岸へと導くものと説明しています。また、アガペの忍耐強さ、強靭性、恒久性を強調しています。

パウロによるイエス様が教え続けたアガペという愛の説明は、キリスト教における波羅蜜多”も、大乗仏教の5つの波羅蜜にある、布施波羅蜜、持戒波羅蜜、忍辱波羅蜜、精進波羅蜜がすべて無我の愛であるアガペという智慧波羅蜜/般若で動機付けされ、支えられていることをしめしています。 波羅蜜多は完全なものですから、パウロがここで“完全なもの”が来た時には、たとえそれが預言であっても、言葉だけの不完全なものはすべて廃れ、忍耐強く、強靭で、恒久性のあるアガペという愛だけになると主張し、アガペの完全さを示すことで、アガペが波羅蜜多そのものであることを意味しています。

更に、パウロが言う、幼子と成人の比喩は、此岸にいる罪深き凡夫と、彼岸にいる悟りを開き、煩悩を吹き払い、開眼した涅槃にある人を意味しているとも言えましょう。つまり、パウロによると、アガペという“般若波羅蜜多”を共通の動機として布施波羅蜜、持戒波羅蜜、忍辱波羅蜜、精進波羅蜜を実践することでアガペの行いをすれば、私達のような罪深き凡夫も、煩悩を吹き払い、自我を滅し、今までの自分(幼子だったころの自分という比喩の、此岸にいたころの自我で生きていた自分)が認識していたことは、不完全なものであった、つまり、幻想であったいうことを悟り、真実に開眼できるということです。これは、とても唯識論的な指摘でもあります。

唯識論からみた波羅蜜と彼岸

では、ここで、少し、唯識論の観点から波羅蜜について考えてみましょう。

仏教心理学といえる唯識論で考えると、此岸とは、末那識(manas-vijnaana)という八識の一つである深層心理要素に振り回される自我(atman)が作り出す幻想の世界は、煩悩により生が苦しみ(dukka)であり続ける輪廻転生の苦(samsara)の世界です。これは、上に引用したパウロの言葉でいう“不完全”なビジョンであり、そうだと気付かずに、“完全”だと思い込んでいるのは幻想であり、煩悩によるものです。

とはいえ、これが今生きている世界の現実であり、太陽が昇る東に例え、しかも、生を象徴する太陽の光に照らされて明るいというイメージもあります。しかし、唯識的でスピリチュアルな観点でいえば、それは人間の五感と並行する前五識(眼識視覚耳識聴覚鼻識臭覚舌識味覚身識触覚)という意識の世界があり、これは深層心理にある末那識の影響を受け、完全な真実を認識できません。よって、太陽の光は眼識においては明るいものと認識されますが、“光顔巍巍、威神無極、如是焰明、無与等者、日月摩尼、殊光焰耀  皆悉隠蔽、猶若聚墨”と讃仏偈の始めにあるように、お釈迦様の喜びに満ちた顔を光輝かす如来の無量の光は、神々く、その光明は無類であり、太陽や月、宝石の輝きですら、すべての綺麗な色が墨で塗りつぶされてしまうかのごとく、お釈迦様の喜びに満ちた顔からの神々しい光の下では太陽の光ですら消えてしまうのである、という意味があります。よって、太陽が明るいと認識するのは、お釈迦様が説く仏法においては、必ずしも明るいわけではないと考えていいでしょう。お釈迦様の喜んだ顔に勝る光明はないのですから。末那識に支配されている心ではこうした仏法にある真実を認識できません。それは、煩悩が私達の心を無知無明にしていることでもあります。

つまり、末那識(manas-vijnaanaが醸し出す幻想認識にある自我(atman)こそが煩悩無知無明の原因といえ、苦しみ(dukka)の輪廻転生の此岸に縛りつけけているのです。煩悩無知無明ですから、寧ろ暗いというのが真実なのです。つまり、仏教でいう真実では、西の彼方にある彼岸は、自我を滅して無我となり、自我による認識が幻想であったという悟りを得て、仏法(Dharma)の真実に開眼した世界であるので、阿弥陀仏の無量光に満ちた明るい世界なのです。

また、彼岸を煩悩の火が消えた世界、涅槃(Nirvana)、と表現することもあります。つまり、自我という、唯識でいう意識の観点からみれば、彼岸は“暗い”という印象があります。しかも、死や日没を比喩的に示唆する西の彼方であり、こうしたことからも、“暗い”というイメージがあります。しかし、自我での認識と無我の境地での認識にはパラドックス的な関係があり、自我で“暗い”と認識する彼岸は、無我では、寧ろ、“明るい”世界なのです。なぜならば、煩悩の火が消えるということは、自我が消滅することであり、これが死を示唆する西へ向かう上で、煩悩と並行する自我が“死ぬ”ことでもあります。そして、こうした煩悩、自我、が“死ぬ”ことで、此岸、にあった太陽の光さえも影のようにしてしまう程の無量の光の世界が西の彼方、つまり、煩悩、自我の“死”を超えたところにあるのです。

生そのものが煩悩という不純物を含んでいるため、不完全なビジョンで生きており、こうしたスピリチュアルな盲点により、無知、怒り、欲いった三毒に苛まれるという仏教感は、キリスト教での生の考え方と相通ずるところがあります。なぜならば、キリスト教では、私達の生は、アダムとイブが犯した原罪故、誘惑からの攻撃にいつも必ずしも耐えられるとは限らず、それに負け、堕落してしまう結果、苦しむことがあるというものです。よって、キリスト教では、この世、つまり穢土、此岸、に現れた、キリストであるイエス様の教えでもってこうした生の問題を克服し、神の国、天国へと行くとことができると考えます。

つまり、この世における命の”不純物“を取り除く為には、煩悩に蝕まれている凡夫である仏教徒は、仏であるお釈迦様の波羅蜜多の実践をすることで唯識でいう前五識と関わる煩悩を克服し、アダムとイブの原罪の後遺症ともいえる罪深さに蝕まれている罪深き人であるキリスト教徒はイエス様の自我を捨てアガペという神の愛を実践することと懺悔をすることで特に肉体に作用する誘惑に対してより強靭となり罪からの束縛を克服できます。こうした仏教とキリスト教の此岸(穢土、地界)から彼岸(浄土、天界)への往生への導きの教えが並行できることがわかります。

キリスト、つまり、メシア、であるイエス様は、私達のような生身の人間の形をした、全能の神なのです。天国にいる神があえて人間の形をとって此の世におよそ二千年前現れたのは、生にある原罪の染みの影響といえる堕落を繰り返し、苦しみを繰り返し続けてきた人間を憐れみ、その'慈悲の心の権現がイエス様なのです。仏教的にみれば、イエス様は、極楽浄土、彼岸、究極の仏の国にいる阿弥陀如来仏が穢土、此岸で煩悩故に苦しみ続ける私達を憐れみ、様々な菩薩、観音として私達を浄土へと導いてくださる存在のようなものです。ヨハネの福音書に記されているように、イエス様は、自分は、羊飼いであるという比喩でもって、羊に例えられる私達を、極楽浄土のような天国、神の国、に導いてくれる存在であると言いました。

仏教では浄土、彼岸を西、そして、穢土、此岸を東に例えますが、キリスト教でも、似たように、東をスピリチュアルな穢れと重ね合わせます。たとえば、アダムとイブが原罪故、エデンの楽園を失った時、彼らはエデンの東へと“強制移住”させられ、苦しみの生活となりました。つまり、東は、失楽、つまり、苦しみを意味すると考えられます。仏教的にいえば、このキリスト教の聖書に基付く考えは、東は煩悩、堕落の四苦八苦の世界を示唆しているといえます。よって、神の菩薩といえるキリストの教えの導きにより悔い改め、つまり、魂を清め、鍛えれば、この四苦八苦の世界から、苦しみのない、死を超越した、神の国、天国へ永遠の命でもっていくことができるというわけです。これが、キリスト教的な東の反対、つまり、西にある彼岸の考えだといえましょうか。

さて、彼岸において、私達の心が、供養するご先祖様がいる西の彼方の彼岸に思いを寄せながら考えるのは、いかにして無事に此岸から彼岸へと渡れるかということです。キリスト教では、羊飼いのように導いてくださるイエス様の教えを実践するわけですが、仏教では、勿論、お釈迦様の教えを実践することです。そして、お釈迦様の導きの教えは、波羅蜜多の実践なのです。そして、彼岸の御勤めにおいて、浄土三部経の一つである讃仏偈を唱えるのは、このお経が波羅蜜多の実践を繰り返しているからだといえましょう。

先にも触れた讃仏偈というお経は仏説無量寿経という大きなお経の肝心な部分であり、光顔巍巍と言う言葉で始まります。光顔巍巍とは、仏説無量寿経に詳しく記されてあるように、お釈迦様の顔が、出家による厳しい修行による波羅蜜多の実践に不向きな弟子、阿南に、念仏という違ったアプローチでもって彼岸へと往生できる教えを伝授でき、それにより阿南のような、上座仏教でいう“成らずもの”でも成仏できるという喜びで満たされた時、そのお顔が無量の光に満ち輝いたという表現です。これは、イエス様がタボア山という高い山にペテロを含めた三人の弟子を連れて行ったときに起こったイエス様の変遷の際、かれの顔が太陽のように光輝いた(マタイ、17:2)ということに並行している気がします。ということは、あたかもイエスは阿弥陀如来仏のようでもあります。

イエス様が弟子達をこの高い山に連れて行き、こうした神秘的な経験をさせた背景には、自分の死後に起こる復活を示唆するためであると、聖書の文脈から考えられます。そして、このことでイエス様は弟子達に希望と勇気をあたえ、彼らがより一層、自分の教えを実践して欲しかったのであろうと思われます。讃仏偈の原本といえる仏説無量寿経によると、お釈迦様の顔が太陽の光を黒い墨の塊のようにしてしまうほどの無量の光で輝いていたことは、できがいまいちであった弟子、阿南が出家修行による波羅蜜多ではない方法で般若を体得できるようにする教えがあることを喜んだお釈迦さま大きな感動とそれに触発された阿南の感動をも反映しています。よって、仏説無量寿経讃仏偈にある光顔巍巍の体験は、弟子阿南に希望と勇気を与えたといえます。つまり、聖書にあるイエス様の顔の太陽のような輝きやお釈迦様の光顔巍巍な輝きは、弟子達に教えを実践していくことへの希望と勇気を与え、成仏できる、あるいは、聖人になれる為のインパクトとなったと言えましょう。

お釈迦様は、私達が西の彼方にある彼岸の極楽浄土へ無事に渡るには讃仏偈仏説無量寿経で読まれているような波羅蜜多の実践に励み、般若を体得することで、自我を滅し、煩悩の火を吹き消し、波羅蜜多が文字通り意味する完全で最高な存在となることである、と教えました。

波羅蜜多の実践、念仏により、般若を得ることで煩悩と関わりのある自我を滅し、悟り、開眼することで、涅槃し、煩悩の火を完全に消すことができると教えています。イエス様は、アダムとイブが原罪により失ったエデンの楽園よりも素晴らしい神の国で、苦しみや死がない、ヨハネの黙示録に描かれている不老長寿の楽園で永遠の命を享受するためには、自我への執着を断ち切り、悔い改め、自我そのものを捨て、自分の十字架を背負うという比喩でいう、自分への苦しみをも厭わない最高の慈悲の愛であるアガペの実践でもって、狭い戸口から“入国”すべしと教えています。どちらにも共通していることは、自我を滅するということです。


キリスト教でいえば、神の国に“入国”するには狭い戸口からだけなので(マタイ7:13)、自我がもたらす執着があっては、“荷物が多すぎ”るので“入国”不可。仏教でいえば、彼岸へむけて此岸から“川”を渡る上で、やはり“身軽”でないといけない。よって、まず、執着の原因である自我を捨て、無我でなければいけないということです。そして、そうすれば、謙虚にもなります。というのは、誇りという“お荷物”を捨て去ることができるからです。

それでは、もう少し更に、仏教とキリスト教を対照、並行させながら、彼岸、楽園、神の国、無我、波羅蜜多について考えてみましょう。


お釈迦様が説く波羅蜜多の実践はは彼岸へ渡る上での必要条件と考えることができます。また、イエス様が説くアガペの法の実践は神の国へ入国する上での必要条件といえます。そして、アガペは最高の波羅蜜多といえます。なぜならば、アガペとは、慈悲ゆえ、自分自身の命すら“お布施”として捧げることをも厭わないことであるからです。これがイエス様が教える、神の国に入国する必要条件の“波羅蜜多”でなのです。

阿弥陀経にある従是西方 過十万億仏土 有世界 名曰極楽”という彼岸の境地への西に向かう仏教におけるスピリチュアルな旅は、波羅蜜多実践により自我を滅し、煩悩の火を消す涅槃(nirvana)への旅とも考えることができます。唯識仏教心理学の観点で言えば、末那識という潜在意識的な執着の毒を持つ自我を滅することで無我となることで煩悩を克服することが西の彼方にある彼岸へ向かう旅です。そして、唯識論のこうした考えでは、彼岸にある阿弥陀如来仏の極楽浄土へ往生する為の波羅蜜多の実践と並行するのが、四量無心により末那識を克服せしめすべての識を智恵に変えていく、転識得智の実践により彼岸へと渡れます。

四無量心とは、慈無量心(metta) , つまり、イエス様が最高の法であると強調された自我のない相手本位のアガペという愛、悲無量心(karuṇa), アガペ故、苦しんでいる人の心に共感し、寄り添いながらその人の苦痛の軽減に努める心であり、empathy, Einfühlung によるcompassion, Mitgefühlともいえます。慈無量心悲無量心は、親鸞上人による歎異抄の第三章にある悪人正機説に反映されている、阿弥陀如来仏の衆生救済の願、本願、でもあります。そして、自らを人間の肉体として、イエス様という形で地界に光臨させ、自ら救いの対象である人間の罪とそれがもたらす苦しみを背負い、苦しみながら死ぬことで、罪深き人間を救う神のアガペもこれらの無量心の最高の例だといえます。

喜無量心(mudita) は相手の幸せを喜ぶ心であり、煩悩による嫉妬心がない状態です。また、お釈迦様がの顔が阿南が成仏できる道を示すことができる無上の喜びでそのお顔が光顔巍巍な輝きを呈したことをも彷彿されるものです。捨無量心(upekkhā) 浄捨とも言われ、執着を捨てることです。これは、イエス様が、弟子になりたければ執着の原因となる自我をすて(マタイ16:24)、そして執着の対象となる物質的な財産を売りさばいてから (ルカ18:22)、家族をも捨てて出家(マタイ8:19-22)し、また、神の国へ入国するには、茶室へ入るにじり口のような非常に狭い道を通らねばならないので“お荷物”となる物質的な財産を捨てろという教え(マタイ7:13)にも通ずるところがあります。

そして、四無量心の実践により、転識得智、つまり前五識や末那識を含めた8つの識が次の四智に変遷するということです。

前五識は成所作智(じょうしょさち)に、意識は妙観察智(みょうかんざつち)に、末那識は平等性智(びょうどうしょうち)に、阿頼耶識は大円鏡智(だいえんきょうち)に転ずることで、それまで、自我にある末那識により幻想しか映しだされていなかった識を、理想的な完全な識へと変遷できるわけです。これは、パウロが先述したコリント人への手紙1第13章で言っていた、“不完全”なビジョンを“完全”なものにすると言っていたこととも繋がります。

この大切な唯識論の考えである転識得智を実践するには、まず、心の一番奥底である阿頼耶識が、曇りのない大きな鏡のようにすべての事象をありのままの姿で映し出せるように照らし出せる智恵から変えていかなければなりません。そして、自我への執着の元である末那識は自分に都合のいいように事象の認識を曲げてしまい幻想を作り出しますから、この識が自分を含めたすべての事象を平等に認識できる智恵が求められます。そうすることで、意識も、すべての事象をありのままにずば抜けた観察力で認識できる智恵であり、マインドフルネスでもあります。そして、前五識は教えを実行し、なすべきことを成し遂げる智恵を得ることができるわけです。これが、唯識論からみた波羅蜜多であり、煩悩により不純だった8つの識も、この波羅蜜多により、彼岸往生に必要な真の智恵である、般若へと結びつけられるのです
 
唯識論の教えでは、四無量心や転識得智識という洗練、キリスト教的にいえば、洗礼、神道的に言えば、禊、のない識は煩悩と結びつけて考えます。これは、先述したように、煩悩により澄み切っていないビジョンであり、キリスト教的に言えば、キリストの教えをしていない原罪の影響や誘惑にとても無防備で罪を犯しやすい生のようなものです。

識とは、心理学的に言えば、意識していることであり、意識の中の対象であり、それは、末那識という潜在意識に曲者が操ることで自我が無意識的に作り出す幻想なのです。これは、自我による欲望である、“こうありたい”、“そうありたい”という心理的な作用が働きつくられ、それをあたかも真実だと思い込んでしまうのが識の問題であり、煩悩なのです。また、これは、識に映し出される対象が偽であり、幻想でしかないという真実を悟っていない無知無明でもあるのです。この問題は、“思い込み”と現実のギャップを悟らせることで、煩悩に相当する“心の万病の元”ともいえす不安障害を克服する森田療法でも扱います。

転識得智識で得られた完全な識による無量の光、彼岸往生の光、中道の智恵の光

先述したように、煩悩は私たちを無知無明の状態にします。太陽の光が明るいと認識できるから、無知無明ではないと主張するのは、煩悩のある自我によるものなのです。仏教で教える光とは、太陽の光やその類の光とは違うものであることを認識せねばなりません。こうした認識ができる為には、此岸での八識を、無知無明の状態から超越、変転させ、智恵の識にしていかねばなりません。キリスト教においても、太陽のような自然の光を超越した、神の光について触れ、その教えは、寧ろ、スピリチュアルなもので、それまで知らなかった何か新しい真実に目覚めた時の喜びや、何かに満足している状態を示す喜び、などを超越的な光で表現することがあります。

このような光をそれが意図するように認識できるようになることが唯識論が目指すところです。しかし、場合によっては、次の例で示すように、ペテロのように、こうした光の本当の意味がわからずに、光そのものに執着してしまう場合もあります。

イエス様は、自分の来る死を告白した(マタイ16:21-28)後、ペテロを含めた人の弟子達を連れて高いタボラ山に登られました。その時、イエス様の顔が太陽のように輝き、着ている服が光のように真っ白になりました(マタイ17:2)。すると、何と、もうとっくの昔に死んだモーゼとエリアが現われ、まぶしい光の中でイエス様と話しをしていて、これに心酔されたと思えるペテロはどうやらこうした現象に執着心を示したようで、”ここにいることは素晴らしいことです、お望みでしたらここにあなたとモーゼとエリアの為の3つの仮小屋を建てましょうか(マタイ17:4)。これは、明らかに、ペテロの煩悩による発言です。彼の煩悩は、ペテロを、こうした神秘的な光の世界に執着させ、その自我により、自分の何か特別な認識を授かろうとしていたことがわかります。すると、あたかもペテロの煩悩による発言を戒め、諭すように、天にいる父なる神の無量の光の中で変貌したとき、神は御子、イエス様への満足感のある喜びの声を発せられ、弟子達にイエス様に聴き入るように告げられました(マタイ17:5)。神がペテロなどの弟子たちに、イエス様に聴き入るように、と告げたことは、煩悩を取り払わないと師匠である主の言うことにもっとマインドフルになれないことを教えているかといえます。そして、この父なる神のイエス様に対する喜びがイエス様の顔の輝きに象徴されたと考えられます。

タボラ山の頂上で変貌するイエス様を包んだ神の喜びの光は、親鸞上人が強い喜びの感銘を受けた、仏説無量寿経とそのエッセンスともいえる讃仏偈にある、阿南が経験したお釈迦様の顔の光顔巍巍な輝きとも比較できましょう。なぜならば、お釈迦様の光顔巍巍な輝きは、お釈迦様の無量の喜びそのものだからです。

仏説無量寿経にあるように、お釈迦様が、阿南のような成仏できないのではないかと懸念されていたような弟子でも、彼のような人間にふさわしい術で成仏、つまり、彼岸往生できる教えを見つけた喜びが、お釈迦様の光顔巍巍な輝きの原動力なのです。つまり、お釈迦様が大乗仏教の本質ともいえる他力本願、つまり、上座派が主張する厳しい波羅蜜多実践だけに縛られない、より多くの非力な凡夫達にも可能な彼岸への道を説くお釈迦様の無量の喜びを象徴するものであります。こうした喜びにある人の笑顔は光顔巍巍という表現がピッタリな輝きを呈するのです。そして、これを読んだ親鸞上人も、これによってすべての凡夫にとっての彼岸往生の道が開けると悟り、喜ばれたのです。そして、仏説無量寿経やその一部である讃仏偈では、こうした喜びを仏を讃美することで示し、そして、この強い喜びのお釈迦様の光顔巍巍で勇気付けられた阿南のように、私たち凡夫も力を付けて、念仏を唱え、波羅蜜多に励むことができるわけです。だから、讃仏偈は彼岸において必ず読まれるお経です。

涅槃は死を超えたところでもあり、東の此岸から西の彼岸へのスピリチュアルな旅は、西の方角が示唆する死を超えたということに焦点をおけば、イエス様がタボルの高い山で太陽のような光の中で変貌したことが、彼の十字架での死を超えたところにある復活を示唆するという神学的な考えのように、西に象徴される、自我と煩悩の“死”を超えたところに、阿弥陀如来仏の無量光の世界があるという仏教の考えと並行させることができます。

そして、聖書でも東は、アダムとイブの原罪の後遺症である、罪(sin)による苦しみと死に縛られた失楽者の世界を象徴し、相対的にみて、西が、神の楽園、エデンの園があった方角といえます。創世記にあるように、アダムとイブがその東へと追い出されエデンの園には苦しみや死がない、仏教でいう彼岸にある不老長寿の極楽浄土の世界と並行できます。聖書の最後にあるヨハネの黙示録という預言書によると、カトリックの神学的解釈をすれば、キリストの再降臨の際、神の最終審判があり、これにおいて裁きの対象にならない魂は滅んだ肉体と共に復活し、創世記に記されているエデンの楽園よりも更に素晴らしい新しい楽園、神の国、天国へ導かれ、永遠の命を享受すると示唆されています。つまり、聖書の最初の創世記に記されているエデンの園の東で罪ゆえ苦しみと死の現実の歴史を繰り返してきた人間とそれに対する神の裁きの繰り返しがの話が旧約聖書の大半を占めます。

これを、仏教的に解釈すれば、煩悩無明の為、輪廻転生の苦しみ(samsara)の世界、つまり穢土、此岸のようなものです。こうした苦しみのサイクルを見かねた父である神は、その慈悲の愛ゆえに、自らその御子、聖母マリアの穢れない肉体を通してイエスキリストという生身の人間として、およそ二千年前に降臨し、エデンの東から、スピリチュアル的に言えば西へと帰還できるように、つまり、罪による苦しみの繰り返しに永遠の終止符を打ち、神の国へと彼と聖霊の導きにより入れるようにしました。

しかし、執拗なほど罪深くなってしまった人間は、このメシアを十字架に貼り付け、殺してしまいました。だが、タボラ山での“光顔巍巍”的な変貌に暗喩されるような光に象徴される復活をされ、それまで煩悩無明の世界に苦しみながら生きていた凡夫のような罪人をさらに多く悔い改めるように導いた。イエス様の一番弟子的立場でありながらイエス様の教えの理解が鈍く、しかも、三度も裏切ったペテロも師匠イエス様の復活後に始めて悟り、開眼し、死を恐れず、殉教という形で“彼岸”へ渡り、聖人、つまり、“仏”になったといえる。キリスト教徒にとってはペテロなどの聖人は、“ご先祖様”といえるので、浄土真宗のコンテクストにカトリックである私は、彼岸の時期、自分の先祖の霊の供養と共に、信仰の上でのご先祖様であるペテロなどの聖人の“供養”をしながら、望みを馳せる彼らのいる神の国を思います。普通、カトリックのしきたりでは、このような感じで聖人のことを思うのは、Halloween の翌日であるAll Saints Dayであり、ご先祖様を祀るのが、そ翌日であるAll Souls Dayなのですが、日本人であり仏教的背景のあるカトリックである私は、彼岸の時期でもそうするのです。

彼岸の太陽の光は夏至の太陽に比べればかなり穏かなものですが、自然のレベルを超越したスピリチュアルなレベルで考えると、ご先祖様を供養しながら、無量の光を体感し、これに触発され、お釈迦様が教える波羅蜜多であれ、イエス様が教える最高の愛、アガペであれ、正しい教えの実践に精進することで、般若という最高の知恵を得ることができましょう。この知恵により、私達凡夫、罪深き人間は、悟りを開くことにより近くなり、三毒の無知の暗闇から着実に光の方向へと移動し、真実に開眼することで仏の国、神の国へと無事に旅することができるわけです。こうした意味で、彼岸は私達の西への旅が確かなものであることを、旅の先輩であるご先祖様を供養しながら、再確認する時でもあるといえます。

皆様の眼に阿弥陀如来仏の無量の光、万能の神の無限の光、それまでの教えでは成仏は無理だと懸念されていた阿南が彼岸往生できる教えがあると知った喜びに満ちた時のお釈迦様の光顔巍巍な光、タボラ山上で変貌したイエス様を包んだ真っ白な神の喜びの光、がこれから強くなっていく太陽の光のように、今まで以上に差し込んでくることで、東から西への旅の道がより明るくなってくることを祈願いたします。そして、末那識による幻想しか認識できない自我を死に至らしめながら煩悩の火を消していくことで、阿弥陀如来仏の無量光をより感じ、感謝でき、しかも、自我の消滅と共に執着、欲もなくなるゆえ、より身軽となり、より安全に此岸と彼岸にまたがる川を渡ることができることをも祈願いたします。こうすることでご先祖様との心の距離も更になくなっていくことと信じております。

転識得智識でもって、煩悩によって曇っていない、澄んだビジョンが可能となると、太陽の光よりも、真の無量の光の中にこそ永遠の命、不老不死の命があると悟ります。また、転識得智識は、お釈迦様の大切な教えである中道の意義をよりよく認識できるようにもします。

こうして、唯識論を通して、キリスト教からお釈迦様の教えを、彼岸ということをスポットをあてて考えると、とどのつまり、彼岸中日の太陽の動きのように、中道の教えの大切さを改めて感じます。

中道でもって彼岸を目指せば、とどのつまり、自力本願でもなく、他力本願でもないのです。だから、出家こそが彼岸への道だとか、波羅蜜多こそが浄土への道だとか、念仏こそが成仏の道だとか主張し続けるのは、まだ八つの識が転識得智識から程遠い、煩悩むき出しの状態であることを呈しています。

更に、転識得智識で得られるような澄んだビジョンで考えれば、涅槃のある彼岸の方向は、究極的には、西(阿弥陀如来仏、極楽浄土)でもなく東(薬師如来仏、浄瑠璃浄土)でもないわけです。また、東西南北に関係なく在する大日如来仏の虚空でもない、こうした違いをすべて超越した所であるとわかってきます。

それに、こうした澄んだビジョンでは、キリスト教でよく問題となる、信仰のみなのか、信仰より行いなのか、といった神学的な議論は不毛であることもわかります。特に、行いがないとその信仰は死んだもの同然だという、ヤコブの言葉を二元論的にとれば、特定の障害や病気などで、行いを健常者のように実践できない人は救われないではないか!といった議論を醸しだします。勿論、ヤコブは、健常者のような行いができない人を除外しようとして言ったのではなく、健常者のような行いではなく、障害を持つ人や、重病を患っている人でも、人それぞれに応じた行いをすればいいと意図していると考えられます。このことは、お釈迦様が、阿南のように伝統的な上座仏教のしきたりでは成仏できそうにない人でも、阿南にできることに専念すれば、成仏できる教えを知ったことの無量な喜びの意義を考えればわかります。つまり、成仏であれ、救いであれ、それに不可欠な行いは、自分の能力に合わせてすればいいということです。

彼岸往生にせよ、神の国に入国するにせよ、お釈迦さの教え、イエス様の教え、は二元論的には理解できず、正しく実践できないわけです。

こうした愚を避ける為に、改めて、転識得智識による無量の智恵の光に照らされた、排他的でなく、抱擁的な中道智恵の意義の認識の大切さを実感いたします。そして、慈悲、アガペという最高の愛をこの中道でもって実践して、忍耐強く、彼岸往生を目指しましょう。こうした心と所作でもって、これからもずっとご先祖様とのつながりを大切にしていきたいものです。

合掌、アーメン。