Wednesday, March 12, 2014

東日本大震災から3年目の節目を迎えて ― すべての人が精神的強靭性の"花“を咲かせることを望みつつ




東日本大震災から3年が経ちました。時はあの時のように容赦なく、止まることなく、刻々と流れていくので、大震災後、もう既に四年目です。そして、こうして今これを書いている間でも時はただ留まる所を知らずに流れていきます。 
改めて、犠牲になられた方々の御霊の安らかさを追悼の気持ちでもってお祈りいたします。そして、3年経った今でも、あの時の大震災のトラウマの苦しみの渦の中で生きている被災された方々の着実な癒しと苦痛を超越した新たな成長を願っております。

私たちは、日本人として、そして、人間として、あの大震災で失われた命や物、そして、大震災のトラウマでバラバラにされた心と記憶などにとらわれずに忘れることがないようにマインドフルでいなければなりません。当時からの苦しみと向き合いながら生きていくことは辛いので、ついつい一日でも早くこうした苦痛から開放されたい。そして、被災していない人も、被災された方々に、一刻でも早くこうした苦痛から開放されていただきたい。だから、被災された方々は、ついつい頑張ろうとするし、被災していない人達も、被災された人達に対して、頑張れ!と応援したくなる。しかし、ここにも心理的な落とし穴があります。心の傷からの回復、癒しの過程の道には、ふたの開いたマンホールのような落とし穴もあるので要注意なのです。

この落とし穴とは、頑張りに隠された不安です。頑張ることは確かにいいことですが、場合によっては、それが潜在意識的な不安によって動機付けされた場合もあります。普段意識していなくても、こうした潜在意識的な不安を紛らわす為に、私たちは努力したり、他人に対して、頑張れ!と鼓舞しながら努力することを進めたりします。だから、自分が努力しなければと感じたり、誰かに対して、頑張れ!と言いたくなった時、先ず、自分自身の深層心理をちょっと分析してみて、潜在意識的な不安がないかどうか確認することが大切です。

大震災直後、震災心理学に精通された碓井真史先生が、被災された人達に頑張れ!と言って励ますのは逆効果であると指摘されたことを覚えていらっしゃる方は多いかと思います。学術的な理屈で説明するよりも、どうして逆効果なのかを理解するには、自分か被災者であれば、赤の他人が頑張れ!頑張れ!といつも自分に対して言い続るとしたらどのように感じるか考えてみればいいでしょう。

では、ちょっと理屈っぽくなりますが、心理学の考えで説明しましょう。

大震災のようなトラウマを受けてまだ日が浅い間は、ある一定期間、無我夢中で捜索活動をしたりして、あたかも驚くほどのエネルギーがあるかのように見えます。しかし、捜索などの直後の対応が一段落するとたん、ショックの為、心身共に猛烈な疲労感に襲われ、しばらく何もする気がしません。一見、うつ病の様相を呈することもよくあります。碓井先生が指摘する、頑張れのまずさは、この時期がとくにそうなのです。このような疲労感による無気力的な症状は大抵の場合うつ病になることなく徐々に回復していきますが、このときに頑張れ”“頑張れとうるさく言われると余計なストレスとなり、自然回復を遅らせたり、ひどい場合には、症状を悪化させてしまうこともあります。

たとえ、症状が改善され、少しずつ、自分なりに努力するようになっても、やはり、被災していない人からみれば、頑張れと言いたくなるような感じです。だから、またつい頑張れと言ってしまうことがあり、被災された方にとっての余計なストレスとなります。そして、それゆえ、更なる回復が遅れたり、回復方向にあった状態が逆戻りするようなこともあります。

そして、3年経った今でも同じことがいえます。だから、どうか、気安く、頑張れということは慎むべきです。しかも、本当に、自分が被災された方の立場から、自分がどう対応すべきか、考えることができれば、絶対に頑張れとたやすく言えません。

ただ、被災された人のレベルでその人のペースに合わせて寄り添い、対応していくしかないのです。その人の回復のペースはその人が決めるものです。

道路や建物の復興も場所によっては急ピッチで進んだところもあります、しかし、そういったところで暮らしていて、一見、その人の生活も大震災以前のようなレベルにまで復興したかのように表面上見えても、実はそうではないことが多々あります。光陰矢のごとしとはいえ、心の回復は実に遅いものなのです。それは、先ほど説明した心の回復の道の複雑な性質そのものによります。

心の回復の道は、その非直線性ゆえ、早くよくなりたいので急いだり、頑張らないといけないというプレッシャーの為に力んだりすると、かえってストレスとなり回復を遅らさせたり、更に困難にします。いくら急いでるとはいえ、急カーブ連続の細い峠道を第五速のギアーで突っ走ろうとするようなものです。


時の流れの現実は諸行無常の真実そのものを象徴しています。そして、平成23年3月11日、1,000年に一度と言われる規模の大地震と大津波も、時の流れの中でやってきて、数多くの命を奪い去り、更に多くの人たちを言い難い苦しみの渦に巻き込んでいき、非常に大規模な破壊という爪痕を残し、時の流れと共に去っていきました。しかし、膨大な被災地に残された苦しみの渦と破壊のたくさんの爪痕には、あたかも大震災当時の時間が止まってしまったかのような錯覚を感じさせることもあります。そして、あの時から3年経った今、なんとか大震災以前のような"普通の生活にもどってきたと思っていても、いざ、3年前のあの時の凄まじさを今でも鮮明に残す爪痕を見ればフラッシュバックに襲われることが少なくありません。

大地震と大津波は去っても、そして、こうした大災害が残した物理的、物質的な爪痕が震災後の復興努力により日々消されようとしても、当時望んでいたようには復興は進まず、今でも痛々しい爪痕がほとんど当時のまま残っているのが現状です。特に、過疎地においてはそうです。そして、当時の大災害が実に多くの被災者達を巻き込んでいった筆舌に尽くしがたい苦しみの渦は、3年経った今でも回り続けており、いまでもこの渦の中で彼らの苦しみは続いています。 諸行無常とはいえ、当時の大地震と大津波そのものはもう既に、時の流れと共に去っていっても、それらが作り上た苦しみの渦は、あたかも当時のままの時間が永遠に止まったかのような形で消えることなく残され、実に多くの被災者の方々が今でも苦しんでいるのです。

勿論、大震災が多くの被災者に残していった深い心と魂の傷は、道路などの修復のようには直線的に進みません。道路や建物を中心とした物質的、物理的な復興には、これから一年で何を完成させ、これから3年で何を成し遂げるかといったような計画があり、こうした計画通りに復興がなさせるように国、自治体をあげて努力しますが、心と魂の傷の修復にはこうした計画的なパラダイムは通用しません。

建物も心も体も、大きなトラウマ的破壊力により一瞬にして損傷させられ、破壊されることがあります。しかし、心や体の修復は、建物の修復のように直線低に進められるものではありません。心や体の修復過程、つまり、癒しの道は真っ直ぐではなく、しかも、階段のような段階的なものでもありません。寧ろ、山あり、谷あり、峠あり、カーブあり、トンネルあり、しかも、道とは言いがたい、深い森、沼地、砂漠などをも越えていかねばならないほどです。それに、先述したように、ふたの開いたマンホールのような落とし穴もあるので、マインドフルでいること、つまり、力まずに注意を払うことが大切です。

よって、心や体の癒しという修復過程は、非常に予測しがたい要素が含まれているのが現実です。このことは、喪失を扱う悲嘆カウンセリングやPTSDの心理療法においてとくにそういえます。よって、いついつまでにこうした特定の症状がなくならなければならないといったようなことを言いながら治療する医師や心理士は不必要に患者さんを不安に陥れているといえます。正当な臨床処置では、いついつまでにどうのこうのといったような直線的な治療計画よりも、今、患者さんをどのような成果、進展を望んでおり、その実現に向けて今の状況の患者さんには何ができ、どのようなサポートやリソースがあるか、そして、それをどうフルに活用できるかといった、に焦点を当てることで、先のことの成り行きにこだわらないような治療を進めていくことのほうが大切だと思います。特に、治療、癒しにおける、実感的な効果がいつ現れるか、個人差が大きく、非常にケースバイケースである悲嘆、グリーフからの回復においては、この考えは大切です。

被災者の方々はトラウマという消えることのない深い心と魂の傷を負い、その上で、愛おしい人、大切な人、家屋、土地、事業、生活の糧、など、実に多くのものを失い、とても複雑な対象喪失による悲嘆を経験しています。そして、政府による復興、及び、被災者へのケアについての政策には今でも不明確さが濃く、被災者の方々は3年たった今でも、トラウマからの深い心の傷からの痛み、トラウマによるフラッシュバックからのパニック、喪失による悲嘆からの痛み、そして、相変わらず不明確な政府の政策にもよる将来への不透明さからの不安、などという実に多くに心理的負荷を受けながら、苦しみの渦の中で生きているのです。そして、福島第一原発から3年経った今でも放出され続ける放射能がもたらしかねない健康への影響への不安とそれによるストレスは、大震災直後の原発事故当時に大量放出された放射能の残留的影響からの心配からの心身的負荷に加算されるということをも忘れてはいけません。また、普通の健康検診ではその原因がつかめないような慢性的倦怠感が長期的低線量被爆によるものであるという見解もあり、また、この見解から自分の健康を心配する被災者の方もいらっしゃるということへの注意と配慮も必要です。

大震災直後、被災者の人たちは、秩序性、強靭性、譲り合い、などといった日本人特有の精神的特徴でもって対応しました。外国報道機関の特派員やレポーター達は、こうした日本人の精神的な素晴らしさを世界に類を見ないといったような賞賛で、世界中に伝えました。しかし、そのような精神的な素晴らしさにある強靭性も、やはり、時間の経過と共に、いつ終わるかわからなまま長引き続ける避難所生活が慢性的になり、しかも、強制退去させられた先祖代々からの住み慣れた土地や家にいつ帰れるのかわからないという不透明さ故、帰郷への希望も薄れてきます。このような状態において、精神的強靭さがその活力を失いはじめ、日増しに、無気力的状態となり、更に、うつ的気分となり、絶望へと陥ってしまいがちになります。こうしたことが背景となり、震災後に自殺された被災者の数は、大震災そのもので命を奪われた犠牲者のそれを上回るようになったのがこの三年間の特徴のひとつです。

東日本大震災直後、被災された方々へのメンタルヘルスケア重要性は強調され、多くのメンタルヘルスの専門家が日本中、世界諸国から支援に駆けつけました。そして、こうした震災直後のメンタルヘルスケアは効果をあげ、被災された人達の心の順調な回復が期待されていました。しかし、この3年間を振り返ってみると、被災された方々のメンタルヘルスの問題は今でも深刻であり、被災直後には見られなかったような症状や兆候なども見受けられるようになり、一番の課題は、被災者にみられる増加し続ける自殺への対策です。そして、その背後にある長期的あるいは慢性的なうつ的な状態へのより効果的な対策が大切です。また、自殺やメンタルヘルスの問題が直接死因と関係してなくても、希望喪失という第二次的、第三次的な対象喪失がもたらす心身的インパクトとして、長引くうつ的症状が、被災された方の体調の変化の一因となり、これによる疾患により死亡されるケースも、過去3年間振り返ってみると、増えています。この問題を心身医学的、心療内科的に対処することも重要です。

大震災後4年目からの更なる復興、特に、被災された人達の今後のメンタルヘルスケアにおいて、こうした現実を改めて考え、先述した心の回復の道の性質を鑑み、長期戦略的な効果的メンタルヘルスケア対策を打ちたて、実践していかねばなりません。しかも、心の回復にとって、これからも理想的な条件が必ずしも整うという保証はまったくないので、直線的にとらえがちな従来の臨床心理学にある理想論や一般論での対策では効果は期待できません。そして、心の回復の問題がもたらす身体への影響をも今まで以上に考え、心と体を一体的にとらえた心療内科的、心身医学的な観点からもメンタルヘルスケアについて取り組んでいかねばなりません。

では、具体的にどのようなことに留意していけばいいのでしょうか?

勿論、一筋縄的な答えはありません。私にも、これが解決策、打開策だといえるようなものはありません。そこで、私はただ、自分の臨床経験などに基付いて、私なりの見解を述べるだけです。そして、皆さんも、特にメンタルヘルスケアに携わる方々は、各自の人生経験、臨床経験に照らし合わせながら、このテーマについて考えていただきたいと思います。

たとえ、これが解決策だと言い切れるような普遍的な"答えがなくても、私たち一人ひとりがもっと真剣に、前向きに、建設的にメンタルヘルス、心身的な健康とそのケアの大切さについて考えていけば、従来の、官僚、専門家主導の一方的なメンタルヘルスケアにはなかった新しい考えや希望が見出されれるかも知れません。

そこで、私は、メンタルヘルスにおける免疫力ともいえる、そして、心身医学においても重要な精神免疫学の上でも大切な、精神的強靭性とその促進に焦点をあてながら、被災された方々のこれからのメンタルヘルスケアへのPTG(Post Traumatic Growth)という臨床概念の適用を考えていきたいと思います。

"夜と霧で多くの方がご存知のViktor Franklがナチス強制収容所での教訓、特に”Tragic Optimism”という考えと、真珠湾攻撃直後に強制収容所生活を強いられた日系アメリカ人と在米日本人の体験からの教訓という二つの例を挙げて考えてみたい思います。

対象喪失による悲嘆、及び、トラウマ的な対象喪失などからくるPTSDを扱う心理の専門家として、そして、アメリカという地で、遠く日本にいる被災者である家族、親戚、友人を心配し続ける人達への心のケアをさせていただく中で、私は、精神的強靭性について今までとは違った観点から考えるようになりました。

特に心配なのは、大震災が作り上げ残していった心身的な苦しみの渦の中にある被災者を親とする子供の発育です。大震災からのトラウマと、震災後をも続く苦しみの渦が与え続けるストレスがこうした子供の精神的発育にどのような影響を与えるか、私達、特に、メンタルヘルスケアに携わる臨床専門家は、こうしたテーマについて精神的強靭性育成ということに焦点をあてて対応していくことが大切だと思います。

ここで参考になるのはRichard G. Tedeschi Lawrence CalhounによるPost Traumatic GrowthPTG)についての研究成果です。彼らによると、PTGとは、トラウマをもたらす危機を経験することで苦しみ、傷つけられても、そうした経験の中で何か今までになかった自分、自分の能力などを発見し、それらを涵養していくことで、より成長していくという概念です。勿論、この考えは、いついつまでにどうあらなくてはならないといったような直線的、段階的なものではありません。また、このPTGの考えは、幼少期にトラウマを受け、その後も不安やストレスというった心理的、心身的負荷を受けながら育ってきた子供の精神的強靭性発達についても当てはまります。

PTGを経験した人は、これからの人生における、天災などの不可抗力による災難への対処の仕方がより現実的であり、かつ、次に襲い掛かりかねない危機にも、避けるこができるできないに関わらず、臨機応変にベストで対処できる過信のない自身が備わっています。よって、先行き不透明な将来、そして、将来的なリスクについても現実的、つまり、森田療法でいうようにあるがままに受け入れることができ、不必要に心配したり、不安を抱くことがありません。例え、多少の不安を感じることはあっても、それが自分の対処の仕方や、トラウマ後の現実への適応能力に悪影響を及ぼすことはありません。いい意味で、"仕方がないという言葉の裏にあるメンタルヘルスへの効用を体験的に理解していることがPIGの森田療法的な特徴ともいえましょう。このことに関連したテーマについて、私はThe International Network on Personal Meaningという学会の機関紙の2011年春の特別号に寄稿した論文に記しておりますのでご興味のある方はご参照ください。

私自身の臨床経験に基付く考えでは、PTGを通して、過去のトラウマを乗り越え、新たな成長の糧にする為には、“Happiness”という幸せよりも、”Meaningfulness”という人生の意義に重点を当てて考えていく必要があると思います。というのは、Shigehiro  Oishi Ed Dienerによる今年発表された研究報告によると、幸せと人生の意義とは違うものであり、幸せとは物質的豊かさに左右されるところが大きいが、人生の意義は必ずしもそうではないと言うことです。大震災の被災者の方々は物質的、物理的には、震災以前のレベルの生活に戻ることができないという確率が避難所生活が更に長引くにつれ低くなっていきます。こうしたより厳しい現実において、もし彼らの心のよりどころが物質的豊かさに影響されがちな幸せであれば、彼らは、こうした現実が更に長引くにつれより絶望的になってしまうリスクが高くなるでしょう。しかし、被災者の方々がそれまで求めていた幸せというものから、人生の意義ということへ重点を置き換えると、たとえこれから先がまだまだ不透明であり、不安をそそるものであっても、たとえこれからまだ後どれだけの間不便な避難所生活を強いられるのか、そして、いったい自分や家族は強制立ち退きされた故郷の家と土地に戻ることができなくなったとしても、絶望するリスクが少なくなります。

これは、OishiDienerもその研究で指摘するように、Viktor Frankl夜と霧に示した、彼自身のナチス強制収容所での生活に基付いた実存的、スピリチュアルな精神的強靭性と人生の意義とにある深い相関性によるもので、私も関与しているカナダのThe International Network on Personal Meaningという学会を主宰されているPaul Wongは長年Frankl”Tragic Optimism”という、絶望的な現実(例えば、Frankl自身が経験した、出所できるかどうかまったく分からず、ただただ重労働し、いつガス室に送られ、焼却炉の煙としか出所できないかわからない不安な毎日)にあってこそ見出されるような希望と勇気について研究されており、PTGにおいて、まさにFranklがいうTragic Optimismが大切です。Frankl自身、Tragic Optimismをナチスの収容所生活の中で見出し、活用し、絶望に陥ることなく、あと何年間強制労働を強いられ、いつガス室で殺された上、ごみのように焼却されてしまうか分からない不安な毎日の地獄の生活が続くか分からない、不透明さの中、不安に押しつぶされることなく生き延びてきました。勿論、肉体的にはFranklは限界を超えていましたが、彼特有のTragic Optimismのおかげで、精神的には健全でした。そして、こうした地獄の現実で生きている中、自分について、そして、人間について非常に重要な発見をしていきました。それが、Franklの実存心理学体系の根幹となっており、やはり、その基本は、Tragic Optimismです。

被災者の今でも続く先行き不透明な不便で困難な避難所生活をFranklが強いられたナチス強制収容所での生活と直接比較することは妥当ではないかも知れませんが、PTGの根幹ともいえるTragic Optimismの重要性をよりよく理解する上では、並行させて考えてみることは意味があると思います。

ちなみに、Franklが始めて強制収容所に送られたとき、愛する妻と両親は既に引き離され、別々に収容所に送られました。Franklの妻と両親を心配する心境は私達の想像が及ぶようなものではありません。そして、彼の妻と両親は彼の知らない別の強制収容所の中でガス室に送られ、殺され、焼却されてしまいました。その間、Franklは妻と両親のことを想い続けながら、しかも、いつ自分がガス室で殺されるかわからないという現実を寧ろ、森田療法的にあるがままに受け入れることで、こうした現実からの不安の圧力を軽減し、あとどれくらいこのような地獄の生活が続のかまったく分からない毎日を過ごしていたのです。そして、いざ、この生き地獄から開放されたとはいえ、妻と両親と再会することは永遠にできず、強制収容所生活以前の家族皆でのよき日々を再現できるものすべてを失ってしまったのです。しかし、Tragic Optimismゆえ、Franklは絶望に陥り、生きることへの意義を失いませんでした。寧ろ、こうした経験により、それまでのFreudなどの心理学にはなかった、まったく新しい実存的心理学を作り上げ、その中で、Logotherapyという臨床方式を開発しました。こうしたFranklの心理学における貢献は、彼自身のPTGそのものを反映しているかといえます。

過去にトラウマを受け、特にPTSDを発病した人は、老年うつ病になりやすいと言われているゆえ、自分の将来により悲観的になり、老年に至るまでにうつ病となり、うつ病によくみられる共存症を併発し、死ぬ確率が高いという懸念がありますが、FranklがいうTragic OptimismのあるPTGの可能性を鑑みれば、こうしたリスクや老年うつ病そのものへのリスクも回避、軽減できます。こうしたリスクの回避、軽減そのものも精神的強靭性の特徴であると、Michael Ruterは指摘しています。ちなみに、Viktor Frankl92歳まで非常にアクティブなライフスタイルを維持しながらこの世を去っていきました。

大震災が残していった苦しみの渦の中でこれからもまだまだ先行き不透明な避難所生活をしながら生き続けなければならない被災者の為のTragic Optimismに焦点を当てたPTGによる精神的強靭性の涵養を図る上で、Franklの強制収容所生活での経験の他に参考になるもうひとつの事実は、真珠湾攻撃により強制収容所生活を強いられたアメリカの日系人達や在米日本人の苦しみを耐え抜いた経験でしょう。

アメリカの強制収容所にはガス室はなく、反乱的暴動でも起こさない限り殺させることはなかったのですが、それでも、日系人や在米日本人は、それまで住んでいた土地、家屋、財産すべてをアメリカ政府に強制押収され、かばんひとつで突然収容所へ連行されました。こうした日系人や在米日本人が受けた強制収容所生活は、家族一緒に暮らすことやそれなりの娯楽などをたしなむことも許されていたため、ある意味では、被災者の避難所生活との比較がしやすいかもしれません。日系人の精神的強靭性についての研究についてはDonna NagataYuzuru Takeshita、そのほか、Carleen YatesKali Kuwadaなどの研究者によるものがあります。中でも、興味深いのは、強制収容所の中での日系人のメンタルヘルス維持に効果的であったのは、手をいつも動かして、何か物を作ったり(工作のようなこと)、絵を描いたり、辛い経験を文学的、詩的に表現したりといったクリエイティブな活動によるところが大きいということです。いわば、これは、森田療法において不安を軽減する手段として、作業療法を導入し、患者さんに工作をして何か作ったり、庭の植物の手入れをするとかいった、手作業をして忙しくしているということです。

こうした日系人の強制収容所生活でのメンタルヘルス維持と精神的強靭性涵養について、PTGにとって大切な、FranklがいうTragic Optimismとはあまり関係のないような感じがありますが、実は、何か物を作ったり、辛い現実にたいして愚痴るよりも、それに対する自分の感情などを文学的、詩的表現の中に昇華させることで、PTGが可能でもあるということを示唆しているといえます。

確かに、生きがいを見出し、維持するには、何か自分ができることができる機会があることが大切です。被災することで、それまでやっていた生きがいをみいだしていた仕事を失い、ただ避難所で与えられた物をいただく受動的な生活しかできないようであれば、生きがいの元となる機会を喪失したことになり、大震災のより数多くの損失、喪失の上で、こうした二次的な喪失を経験した避難所生活の被災者の心の苦しみは、深い実存的レベルなものにまで及び、自殺の確率をも高めかねません。よって、いまでも避難所生活を強いられている26万人以上の被災者の方すべてが、不便で困難な避難所生活をこれから更なる不特定期間続けなければならなくても、生きがい、生きていることの意義の喪失を防止する上でも、彼らがやりがいを感じることができるような場を提供することが、メンタルヘルスの上で、仮設住宅云々議論する以前に重要であると思います。そして、作業療法により不安障害を克服する森田療法的に照らし合わせてPTGを考えると、やはり、人間として頭だけでなく手足を使って働ける場、そして、クリエイティブな活動ができる場を保証することが、本当の意味での復興への確かな第一歩であると信じています。

去っていった大震災によって失われた愛おしい人、家族、友人、大切な家、土地、事業などはもう二度ともどってきません。津波の水に流され、時にも流されてしまいました。しかし、こうした物理的な流れに左右されないところが人間の心です。そして、その心の持ち方をコントロールできるのは私達人間一人ひとりだけなのです。

心の持ち方により、失われたはずのすべてが自分の心の中でよみがえさせることができます。これが記憶の素晴らしさです。そして、その記憶をいつまでも大切にすることで、失われたはずの過去とのつながりの存在を実感でき、それまでトラウマによりバラバラに散らばっていた記憶の破片を一つ一つ集め、しかも、こうした過去との記憶によるつながりの糸で縫い合わせ、つなぎ合わせ、それまで気がつかなかった意義を新たに発見することができます。これも、トラウマからの回復、PTGにとって大切なことです。クリエイティブな活動は、こうした機会をも与え、PTGを促進させることができます。

私達はたとえトラウマを受けても、心の持ち方により、いつもその柔軟さを維持し、クリエイティブな活動を続けるかぎり、PTGを通した新たな成長への希望があります。そうであれば、どんなに筆舌に尽くしがたかった辛い経験であっても、直接言葉でそういったことを表現できなくても、比ゆやイメージなどを豊富に用いた絵、詩、散文、歌などでクリエイティブに表現することができます。そして、自分でそう表現できなくても、普段はただあ~、この歌いいな思っていた歌でも、PTGが進行するにつれ、歌により、自分がまだ言葉では表現できないような辛い経験に意義を感じ取ることができるようにもなります。
PTGという心の回復は典型的なTragic Optimismという形をとらなくても、クリエイティブでも可能です。

大震災以降の、今でも誰にもいえないような気持ち、今でもバラバラな記憶、頑張って心理士に話そうとしなくてもいいのです。話さなければ、心理士にわかってもらえるようにうまく離せなければ自分の心の回復は望めないのではないかなどと心配なさるのはよくありません。それよりも、自分なりに、できればクリエイティブに、それらが持つ意義について、力まずに、でもできるだけマインドフルに探してみればいいのではないでしょうか? いや、探そうとしなくても、心が回復するにつれ、自ずと、意義を見つける機会を示唆してくれることもあるでしょう。そうした意味でも、ただ、マインドフルでいることがとても大切です。そして、たまには、喜納昌吉さんによる作詞作曲の  (すべての人の心に花を)”という歌でも聞きながら、3年前のトラウマ的な経験を振り返ることができるか、不安であっても、少し勇気を出して試してみることも、心の回復進展へのインパクトをつくることになるかもしれません。あるいは、もし、4年目を迎えた今、またあのときのトラウマへのフラッシュバックにさいなまれたなら、この歌を聴きながら、今自分が辛い思いをまたさせられているフラッシュバックをクリエイティブにプロセスし、詩的なイメージとして昇華できないか試してみることはどうでしょうか?

この歌、何か、大震災の経験、そのトラウマからのPTGについて何か比ゆ的つながるところがあるかと思います。もしそうであれば、この曲が、いままで見えていなかった過去の辛い思い出と震災以来の心の苦しみに新しい意義とこれからの希望を与えるひとつの手立てとなるかもしれません。

実際、私は、この歌を、遠く日本で被災されたご家族の方々の心配などからのストレスと、彼らが抱える不安への共感ゆえ不安の中にいる方々への心のケアで使わせていただきました。そして、皆様は、自分の心にある心配などをこの歌にあるイメージと照らし合わせることで、新しい意味、意義を見出し、心身的症状の軽減や改善を体験されました。
この歌には、流されたものは流され、いたいどこに流されたかわからないけど、仏教的にみれば、大きな縁起の法則にある諸行無常の森羅万象の中、いままだここにいる自分は流されたものと切り離されたわけではないという実感があります。流されることで失った対象への悲嘆ゆえ、喪失された対象がもどってくることを願うのではなく、寧ろ、対象喪失の辛い現実を森田療法でいうように、あるがままにうけいれ、仕方がないと割り切りった上での悲嘆表現です。

こうした森田療法的な現実の受け入れにより、最震災で物理的、物質的に失われた対象は喪失されたが、心の世界、つまり、記憶の中では、そうした喪失された対象は失われていないということに気付く。しかも、仏教的なスピリチュアルな概念では、自分の五感の世界を超えた森羅万象のどこかで喪失されたと思われる対象といまでもつながっており、それを証明する為に、"という比ゆにある、新たな意義、意味を見出していくことができるわけです。

こうしたところまでくれば、フラッシュバックがなくならなくても、今までのように不安、パニックに陥ることもあまりなくなります。なぜならば、フラッシュバックの度に、あたらしいをみつけ、咲かすことができるからです。そして、こうしたも心理的意義、意味を実感できるようになれば、森田療法的にみたPTGの成果だといえます。

大震災を受けた東北地方にももうすぐ春が訪れ、やがて泥や瓦礫だけの土地にも花が咲くようになります。被災者の方々の心にも"が咲くことを信じております。そして、いついつまでも、流れる涙で潤された"が咲くことでありましょう。ある意味では、"が被災された方々のPTGを象徴的に特徴付けるものなのかもしれません。


川は流れて どこどこ行くの
人も流れて どこどこ行くの
そんな流れがつくころには
花として 花として 咲かせてあげたい

泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か
花をさかそうよ

涙ながれて どこどこ行くの
愛もながれて どこどこ行くの
そんな流れをこのうちに
花として 花として むかえてあげたい
。。。。
花は花として わらいもできる
人は人として 涙もながす
それが自然のうたなのさ
心の中に 心の中に 花を咲かそうよ

泣きなさい 笑いなさい
いついつまでも いついつまでも
花をつかもうよ




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