Tuesday, July 14, 2015

戦後70年目の思いがけない“戦争終結”と喜びの共有

先日、あるフィリピン人老人の日本との戦争がシカゴでやっと終わりました。そして、この老人と奥さんと共に、この戦争終結の喜びを分かちあいました。


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“絶対に日本人なんかと口きくものか。。。フィリピンへ里帰りする途中に日本の上空を飛ぶとしたら、それこそ空から‘糞’撒き散らしてやりたい、とずっと思ってましたけど、まさか、この年になって、日本人の先生から聖書について学ぶなんて夢にだに思いませんでしたよ。本当に、神に感謝です。”

先日、日本統治時代のフィリピンで少年時代を過ごした90に近いシカゴ在住のフィリピン人の方から言われました。

この老人と奥さんは、私が毎週日曜日の夕方、シカゴのカトリック教会で教える聖書の勉強会に参加されている方です。

この老人、戦時中、父が日本の憲兵隊によって、抗日ゲリラの疑いで銃殺され、彼らが住んでいたビザヤ地方のイロイロ島の村は焼き払われました。こうした経験から、彼の日本への憎しみは相当なものでした。戦後、年数が経つにつれ、その憎しみの激しさはある程度緩やかになったとはいえ、70年近くの長年にわたり日本に対して非常に複雑な感情を抱き続けていました。

敬虔なカトリック信者なので、当然、キリストの“汝の敵を愛するがゆえ赦すべし”という教えを知っています。同じように日本統治時代に言葉では言い現せきれないような辛い体験をされた奥様が、日本に対していつまでも複雑な感情を持ち続ける夫にこうしたキリストの隣人愛による赦しの教えに従うことを促しても、この老人にとっては、“はい、わかりました”、とすんなりと実践できるものではありませんでした。それだけに、この人は更に悩み、奥さんも悩み続けたのです。赦しの難しさの現実との葛藤の中で。

それゆえ、今までずっと、フィリピンへ里帰りする時、いくら高くついても、絶対に日本経由で行くことをしなかったというのです。

しかし、既に日本への憎しみを昇華させた奥様の辛抱強い祈りの成果と、私が教える聖書の勉強会という巡り合せ、仏教的にいえば、“縁起”、を通して、今まで長年にわたって抱き続けていた複雑な対日感情も変わり、今度、フィリピンに里帰りする時はぜひ東京経由で、できれば、東京で2~3日観光してみたいとのこと思うようになりました。それに、もうこれが最後の里帰りになるかもしれないので、ともおっしゃいました。

この老夫婦曰く、初めて、私が日本人であると知った時、驚いたそうです。はじめは、私のことをタガログ語などのフィリピン語を知らずにアメリカで育ったフィリピン人か、中国系アメリカ人の神学の先生だと思っていたそうです。私の略した名前が“マサ”なので、皆から、“マサ先生”、と呼ばれており、“マサ”といえば年配のフィリピン人にも馴染みのあるスペイン語ではパンなどを作るのに小麦粉と水や油を一緒に捏ねた材料、そして、フィリピンのタガログ語でも同じ意味。また、タガログ語では、“マサヤ”といえば、幸せな、という意味になり、“マサラップ”という言葉は、おいしい、という表現に使われる。だから、“マサ”という名前から私が日本人だとはすぐに想像できなかったんでしょう。

今まで、こうした聖書の勉強会で教えていた人は、フィリピン人、アメリカ人、スペイン人、メキシコ人などの神父や神学者だったからです。それに、終戦以来、日本人との接触は一切なかった、というか、避けていたそうです。最後に覚えている日本人との接触は、彼が多感な少年であった1945年に家族を殺した日本兵や憲兵隊。村を焼き払い、自分達を野垂れ死に寸前にまで追いやった日本兵なのです。そして、いくら日本がその年に無条件降伏し、日本とフィリピンの国交が1956年に回復し、日本とフィリピンとの交流が活発になったとはいえ、この老夫婦、とくに、この老人、にとって日本人に対して心を開くことはいつまでも非常に難しいことでした。

歴史という形の上での戦争はもう70年前に終わっていても、この老人にとって、心の中では、まだ終わっていなかったのです。

私が、このフィリピン人老夫婦に、“こんなに長い間、本当に辛い思いをされ続けてきたのですね。しかし、奥様の粘り強い祈りと神の恵みによって、やっと心の中での戦争も終わりましたね。だからこそ、神の計らいにより、私達は今こうして一緒に神の恵みを喜びのうちに享受できるのですね。本当に神に感謝です。そして、奥様、パウロがコリント人への第一の手紙で申したように、愛とは辛抱強さである、ということをあなたが最愛の夫に実践してきたからこそ、今、私達はみな、こうして喜びと感謝の気持ちに満たされるのですよ”、と言葉をかけると、皆で抱き合い、ただ、ただ、“神に感謝!”、"神に感謝!“。

私もここに、神の恵みの力がいかにして私達の苦しみの中から湧きあがり、共有できる喜びと新しい希望へと導き得るかということ、そして、こうして恵みの成果を体験するには並大抵ではない辛抱強さのある祈りで示される信仰心が必要であることを改めて、この老夫婦と共に実感しました。仏教的にいえば、それゆえに、いい“縁起”も訪れるのですから。

このフィリピン人老夫婦が近いうちにフィリピンへの里帰りの途中に日本を訪問され楽しまれることを願います。


神に感謝。合掌。

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