Tuesday, May 17, 2016

日本の女性の母性の回復に向けて



五月には子供の日があり母の日もあります。日本では五月といえばゴールデンウィークの月でもあり、盆や正月のように家族一緒で過ごすことができるまとまった時間があります。こうした意味において、この月は、家族、とりわけ親子関係、特に母子関係についていろいろと考えることがある月だといえましょう。

しかし、近年の日本は家族関係が希薄化し、戦後日本に浸透した核家族化が平成になって更に進行し、中性子、陽子、原子、という三つの素粒子が原子を構成するということに例えられるように、父、母、子供、という三つの要素が簡単な家族を構成しているといえましょう。戦前までの日本は複世代の大家族が珍しくなく、また、親戚も一緒であることもよくあり、一世代家族であっても、寧ろ一人っ子というのは少なく、子供が沢山いました。そして、こうした大きな家族を構成する父母子の関係は複世代であっても濃厚でした。

私の考えでは、戦前までの日本の大家族における親子や兄弟関係といった家族内での対人関係が濃厚であったことの理由に母性の健全さと逞しさがあったと思われます。当時の日本は、“男尊女卑”といわれ、“亭主関白”、といった言葉が日本の家族を特徴付けるものであるかのように思われていました。よって、妻、母、の家族における地位は夫、父、のそれよりも“下”であるとみなされていました。しかし、終戦後、占領軍による“改革”の影響もあってでしょうが、戦後の女性の社会的地位の向上と核家族化の進行は並行的、正比例的だといえます。特に、ミニスカートの流行という社会現象に象徴されるウーマンリブの風潮が昭和40年代の高度経済成長の加速との複合し、女性の社会的地位の向上への動きが高まりました。こうした一連の動き結果的反応として、バブルの頃の昭和60年代から平成にかけての間では、子育てに一段落ついた主婦のパートが主流だった女性の仕事から、既婚未婚、そして、子供の有無に関わらず、パートではなく正社員として、更に、部長課長クラス、また、重役クラスとしてフルタイムでキャリアの梯子を駆け上る女性の仕事が当たり前となりつつありました。そして、それから20年以上経った今、より多くの女性が妻となり子供を産んで母となるという女性だけにしかできないことに生きがいを見出すよりも、男性と“同等”に競い合えるキャリアの世界、特に、それまで男性だけの特権と思われていたようなキャリアの世界へ参入し出世していくことに生きがいを見出す女性が実に多くなりました。この結果、男性に負けずにキャリアの道で花を咲かせる女性が増えた反面、妻として、そして、母として女性のみが咲かすことができる花を咲かせる女性が減りました。

過去20数年の間、日本の女性は確かに男性と同じ土俵のキャリアという面において目覚ましいほど逞しくなりましたが、その代償とでもいうべく、母性に関しては以前のような逞しさを失い、特に近年においては母性そのものが失われていっているような感じが否めません。そして、こうした日本の女性の母性の弱化と喪失の危機は近年非常に顕著になってきた夫婦親子関係の希薄化やその二次的症状といえる家族崩壊という社会病理の背景的要素であると思われます。

消滅の危機に瀕していると言っても過言ではない日本人女性の母性の衰退は、戦後の核家族化と高度経済成長期にアメリカからやってきたウーマンリブという個人主義的なフェミニズムといった要因があります。そして、母性の弱化は母であることの意義を弱め、子供を産み育てるという女性本来の本能的な欲求を衰退させるので、少子化や母親からの愛情を充分に受けずに育った子、つまり、John BawlbyMary Ainsworthなどがいう健全な母子間愛着関係が形成されていない、子供の割合の増加が起こります。よく経済的な理由を少子化の要因とみなす人が社会学者の間ですらおりますが、私の見解では、経済的な理由そのものは少子化の要因と断言できかねません。なぜならば、少子化は戦後高度経済成長が成熟しきってバブルの時期に入り、経済的豊かさの醍醐味を満喫できる時により顕著となり、しかも、それ以前から経済成長の裏目的な減少として既に進行していました。しかし、どう分析しても、母性の衰退という因子は、少子化だけでなく、家族における親子関係や兄弟関係を含めた家族の対人関係の希薄化と家族の崩壊に影響していることは否めません。そして、その背景には、アメリカからの影響である核家族化と個人主義的なフェミニズムといった外因的要素があります。

私はメンタルヘルスの臨床および臨床宗教という両面からアメリカにおける個人だけでなく家族が抱える様々な問題を長年取り扱っているので、アメリカの家族の荒廃ぶりを心理学的な角度からだけでなく社会学的、更に、スピリチャル、パストラル学的な角度からも多角多面的に認識しております。このような立場から、近年の日本の家族というものを岡目八目的にみておりますと、また、時折対応するアメリカ在住の日本人家族の問題の分析に即しても、近年の日本の母性の衰退とそれが要因である少子化、家族での対人関係の希薄化、更に、家族そのものの崩壊、の背景にはアメリカ社会が先取りする形で抱えている同類の社会病理の陰が見受けられます。

アメリカでは既に戦後すぐの昭和20年代、つまりベビーブームの初期より、母乳よりも粉ミルクで育ち、母親とのスキンシップよりも保育所で育つ子供達が増え始めました。この頃のアメリカは米ソ間の核武装拡大競争に特徴付けるられる冷戦の始まりにも関わらず第二次世界大戦戦勝の英雄気分というよりも西側陣営の覇権の玉座を手に入れ、政治軍事経済面だけでなく文化、生活面などにおいても世界的羨望の的になるような“豊かな暮らし”をアピールするようになりました。こうしたアメリカの“豊かな暮らし”ぶりのアピールは或る意味では共産主義の東側陣営諸国の暮らしぶりの貧弱さを強調するようなプロパガンダ的な要素もありました。アイゼンハワーが大統領だった頃、当時副大統領だったニクソンが資本主義国の西側陣営のトップにあるアメリカの主婦達は電気洗濯機などの家電機器を使いこなし自分の時間が沢山ある“豊かな”生活を楽しんでいることを共産主義東側人生の旧ソ連のクルシチョフ書記長にみせびらかすかのように説明していたことは有名です。こうした東側陣営へのアメリカの“豊かさ”を羨望させるようにアピールしていた頃、強くて豊かな覇権国アメリカでは、“豊か”になった人達がどんどん広々とした郊外のマイホームベットタウンへ移り住む社会現象が始まりました。

当時のアメリカは反共主義に躍起でありその結果、朝鮮戦争、そして、ベトナム戦争と二つの大戦争を第二次世界大戦終結後まもなく始めたにも関わらず、これらの戦争が外地であったということもあり、寧ろ、戦需景気でサプライサイド型のケインズ的アメリカ経済は潤いました。よって、これらの反共戦争が遠いアジアの外地で繰り広げられる中にも関わらず、昭和20年代後半はら40年代初期のアメリカではかつてニクソンがクルシチョフに見せ付けたようなお金だけでなく自分の時間も沢山ある“豊かで自由な生活”は更に浸透していき、また、ベビーブームと個人主義的なフェミニズムが進行し、母親のおっぱいの味を知らない子供、母親との時間よりも保育園での時間がはるかに長い子供が増えていきました。そして、この期間に育った母乳の味を知らずかつ母親よりも保育園やベビーシッターやナニーで育てられた子供達が親となり同じことをし始めたのが昭和40年代以降だといえましょう。その結果、アメリカでは日本よりもはるか以前から、共産国だけでなく他の西側陣営の国々の女性よりも非常に多くの自由を手に入れていたので、その自由を活かし更に富を増やそうと、女性のキャリア進出は目覚ましくなりました。しかし、その反面、離婚はほぼ二組に一組の割合で、核家族化が既に進み、家族は離婚という“核分裂”を起こし、その破壊的エネルギーによりアメリカの家族はナルシシズムの“放射能”で汚染されその病理的影響はアメリカ社会に深く浸透しています。それ故、アメリカは犯罪率が高く、こうしたアメリカ社会で暮らすということは常時社会不安に曝されるということであり、経済的に豊かであっても必然的に不安とストレスと毎日向き合うことになります。そして、こうしたアメリカの社会病理は着実に日本にも伝播し、日本社会を蝕み続けています。

日本でもアメリカで戦後先行していたように、産みの母親のおっぱいの感触と母乳の味を知らず、そして、母親とスキンシップを通した密度の高い時間を存分に過ごすこともなく、仕事で忙しい為に保育園で育てられた子供が増え、今では、こうして育った子供達が成人し、その多くが結婚したとしても子供を授り育てることを望まず、夫婦というよりも仲のいい友達といったような夫婦となり、特に近年においては結婚することすら望まず、しかも、いつの間にか男女間の愛を深める為や子供を授かる為のセックスすらしなくなる傾向が顕著となり一方、セックスをゲーム化、商品化するといったような病理的な性的行動が蔓延しています。つまり、こうした社会病理現象の中において、性というのは寧ろ夫と妻という家族の“原子核”に子供という“電子”を加えて家族という“原子”を構築していく上で重要な母子間愛着関係と密接不可欠な生物心理学的な要素というよりも、単なる快楽追求や金銭的利益追求の手段でしかないようにとらえられていきます。こうした性的な問題は、少子化や家族における対人関係の希薄化と家族の分裂崩壊といった社会問題と深く関わっており、これら全てに共通項として、日本の女性の母性の衰退とそれがもたらす結果的影響の悪循環が挙げられます。

このような現実の中、'自分を産んでくれた母親のおっぱいの感触と母乳の味を知り、母親とのスキンシップを通して質の高い愛着関係を構築できた、発達心理学の教科書にあるような理想的な情緒発達を成し遂げられた人はどれくらいいるでしょうか?それとも、こうしたことは今では単に過去の歴史、或いは、時代遅れの心理学の教科書にしかない“絵に書いた餅”でしかなくなったのでしょうか?

そうだからといって、母性に対するニヒリズムが進行し、母性の衰退が更に悪化してしまうと、日本の将来はどうなるのでしょうか?そうであれば、心から“お母さ~ん”と呼べる人がいる日本人はいなくなってしまうのではないでしょうか?一方で、オフィス街はキャリアにおいて男性と火花を散らし競争し続ける女性で溢れているかもしれませし、日本経済は数字の上では日当りがいいように見え、錯覚の幸せに生きていることでしょう。そのような近い将来では、母の日もゴールデンウィークもそれらが意図する母子間、家族間の絆のありがたさを感じ取るということも形骸化し、ただお金を使って楽しい時を過ごすだけとなるかもしれません。そして、家族という父と母と子供という中性子、陽子、電子、に例えられる素粒子をもつ、社会を構成する原子は、母性の衰退により、父と母が成す原子核が崩壊してしまい、必然的に原子内の電荷的バランスが崩れ、それ故、原子核を取り巻く電子に例えられる子供もナルシシズム的“放射能”という形の破壊的電離エネルギーで放出されることに比喩できる破壊的行動に走ることでしょう。近年の不可解な少年少女の非行問題は、こうした原子の崩壊と電離反応に例えられます。また、非行少年少女の臨床心理において顕著なのは自己概念の不健全さによるナルシシズムであり、発達心理学的にみて、このナルシシズムは幼少期において健全な母子愛着関係が構築されなかったからなのです。そして、これら全ての背後には母性の衰退がみられます。

発達心理学において強調される母子間の愛着関係が父親の権威や夫婦としての父母間の関係以上に重要な家族の心理的力学の調和の鍵を握ってといることを鑑みれば、父親(夫)は中性子、母親(妻)は陽子、そして、子供達は、中性子と電子が成す原子核、つまり、父と母の両親、を衛星のように取り囲む原子に例えられます。そして、それぞれの原子は規則正しく各々の軌道に納まっていることが力学的に安定した原子であることの証であるように、健全で安定した家族において子供達は自分勝手で逸脱した行動をとりません。電荷的に正の電荷を持つ陽子と結合しやすい負の電荷を持つ電子の関係は母子間の愛着関係に例えられます。そして、電子に例えれられる子供達は電荷的には陽子に例えられる母親に中性子に例えられる父親よりもひっつきやすいと考えられますが、実施には、陽子と引っ付いて一つの原子核を構成しているのは中性子であり、電子はある程度距離を置いた原子空間に存在しています。このことは、母子間の愛着関係が心理的な母と子の絆は電荷的に陽子と電子が結びつきやすいように強いものであっても、実際には同じ家族という原子空間内にあっても或る程度の距離があることで、心理的に健全な離乳ができていることを示しているといえましょう。

父母という家族という原子の原子核が、原子核の構成素粒子の一つである陽子に例えられる母親の母性の衰退により崩壊することが子供という原子核の周りの電子に電離反応を起こさせ、それまで“行儀よく”定まった電子軌道に収まり、他の電子や原子核と安定した電荷関係を維持していたにも関わらず、この電荷関係のバランスが崩れたため、電子が軌道から飛び出すようになり、家族という原子は放射能のような破壊的電離エネルギーを放出しながら崩壊していくことを示しています。

しかし、こうした動きに危機感を感じる人は、日本の女性の母性の回復を原点とし母子関係を基軸とする家族の再建に焦点を置いた日本社会の建て直しについて多角的、学際的に取り組んでいくことでしょう。そうでこそ、日本の将来が暗いものでないことを確かにできるのです。

資本の蓄積と投資、豊かさ、自由、これらそのものは問題ではありません。しかし、私達がこれらの要素をどのように運用、活用していくかが重要なのです。戦後、アメリカを筆頭に、その“属国的”な立場におかれている日本はどうもアメリカの病理だけはしっかりと頂いてきたようであり、こうした一連の問題の一つに近年顕著となった母性の衰退があると思われます。よって、これからは、母性を大切にし、その結果、家族を重要視する本当の豊かさと自由でもって心底から生きがいを実感できる日本社会を作るためにそれまで蓄積してきた資本を投資することが必要です。


そもそも、日本は神話の世界において、天照大神という女性によって暗闇から救われた国です。日本人の命の糧である米は天照大神の恵みそのものであります。そして、母としての天照大神であるからこそ万世一系の君主制をバックボーンとして日本は2、675年以上もの長い間幾つもの国難を天照大神直系の末裔である天皇と共に乗り超えてきて今日まで発展することができたのです。そもそも、日本の女性の母性というものは天照大神の心を反映したものであり、現在の母性の危機という国難を乗り越える為にも、今一度、日本人すべての“おかあさん”であり、“陽子”である天照大神の普遍的恒常的な母性の恵みに触れながら日本の母性を回復させていきましょう。

ペンタコストと武士道精神:神の“神風特攻隊”が聖霊に力付けられて飛び立つ日



私の洗礼名かつ堅信名はフランシスコ。平和と調和を愛し、荒廃しはじめていた西欧の教会の建て直しに励んだアシシの聖フランシスコに因んだものですが、多くの日本人にとって、フランシスコという名は、イスパニア出身で、最初の布教先であった天竺から危険をかえりみずに遠い異国の日本へ1549年12月8日にやってきて布教した聖フランシスコザビエルの名前としてのほうがお馴染みでしょう。実はこのフランシスコザビエルというイスパニアのイエズス会士は、戦国武将織田信長もどこか心打たれるところがあったといわれる“かえりみはせじ”の信念に燃えていた男です。だから、フランシスコという名を冠する以上、宣教師としての私もそうでなくてないけません。実際、フランシスコザビエルは伝道布教へ“出陣”して依頼、まずインド、続いて、ジャワ、更に日本へ。そして、次の“攻略地”であった中国への伝道の旅路において病に倒れ、イスパニアはピレネーの山岳にある故郷バスクの土を再度踏むことなくその信念の人生を全うしました。
こうした背景もあり、今日のお話はペンタコストに因み、フランシスザビエルのような宣教師になったつもりでさせていただきます。

だから今日の私“お説教”は気合が入っています。そして、この気合っていうのは実はペンタコストの意味する聖霊の力なんです。

まあ、“ペンタコストと武士道精神”という演目のはじめの部分はいいとしても、後半の、“神の‘神風特攻隊’”という部分は刺激的かもしれませんが、そのほうがいいでしょう。刺激のない説教なんて子守唄同然ですからね。説教するお坊さんや牧師さんにとって居眠りしている人が観衆の中にいることほど辛いものはありませんから。。。

それでは、はじまり、はじまり。

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主に賛美!そして、聖霊の降臨に感謝!
今年の5月15日、日曜日、はペンタコストという聖霊が天からエルサレムにいたキリストの弟子達へ降り注がれ、弟子達に後戻りができない変化が起きたことを記念する日です。この神秘的な現象はイエスが復活してから50日目に起こったので50を意味するギリシャ語からペンタコストといわれ、イエスの昇天後から10日目です。

さて、信者にとってこのペンタコストという日は、死することをも躊躇せず覚悟を決めた“神風特攻隊”出陣のような日である、と言うと、皆さんはどう反応されるでしょうか?恐らく信者の方でもそのようなペンタコストの考えは前代未聞だとおっしゃる方が多いかと思います。そうだからこそ、この機会において一発“爆弾”を落としておき、こうした人達の未だ開いていない心の部分に風穴を開けてみたいとおもいます。

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キリスト教をあまり知らない人、また、キリスト教徒であっても、クリスマスやイースターに対しては何か特別な感じを抱きつつも、ペンタコストについてはあまり感じない人も結構います。しかし、聖霊により敏感で聖霊による教会刷新に熱心な信者にとってペンタコストはクリスマスやイースターに並ぶ特別な日というよりも、寧ろ、これらとはかなり違う意味がある日です。というのは、クリスマスとイースターにおいて主キリストが主体であるのに対し、ペンタコストの主体は私達だからです。

そもそも、ペンタコストはイエスの復活から50日間にわたるイースター(復活祭)の締めくくりの日でもあり、イースターとは切っても切れない縁があるのです。つまり、イースター抜きにペンタコストは語れないということです。しかし、イースターそのもの十字架でのはりつけによるイエスの死なくしては語れないこと、更に、イエスの死はイエスの誕生なしには語れないよううに、どどのつまりは、ペンタコストはイースターとクリスマス双方と関連付けなければなりません。

そもそも、天の父なる神は先ずイエスという第一のParakletosを聖霊を乙女マリアの穢れ無き体に注ぎ込むことでLogosをイエスという生身の人間としてこの世に送り込み私達と交わるようにしました。しかし、私達はイエスを受け入れることができず、ついに“始末”してしまいましたが、イエスは死界から聖霊の力により復活し、また私達と交わるようになりました。始め私達は復活の意味が分からず、怯えと懐疑心でイースターを迎えましたが、復活後のイエスとの度重なる密度の濃い交わりにより徐々にそれまでの私達の煩悩により閉ざされた心が開き始め、イエスを心底から受け入れられるようになりました。それを認識したイエスは聖霊の降臨を父なる神の約束であるからそれが実現するまでエルサレムで待機するように命じ、また、この聖霊の降臨により私達がイエスの証言としてこの世界の果てまでどこへでも伝道することになるとも預言し、天の父の元へと昇天していきました。勿論、黙示録にあるように、再降臨を通して再会することをも約束して。そして、辛抱強く待っていたところ、ついにこの聖霊による降臨が実現し、私達の集いは教会として新たなスタートを切りました。これがクリスマスとイースターと関連付けたペンタコストなのです。

ペンタコストの聖霊降臨により、信者はそれまでとは違い、世界の全ての言葉によりイエスの福音の教えをイエスの証言者として話せるようになったのです。ただ、ここで忘れてはいけないのは“証言者”ということばは新約聖書の言語であるギリシャ語では殉教者“という意味があり、つまり、イエスの証言者たるものは殉教してもあたりまえであり、その覚悟で聖霊に導くままに世界のどこへでも送り込まれるということなのです。こういった言い方をすると違和感を感じる人にいるでしょうが、はっきりいってペンタコストとは、イエスの兵士として私達は悪霊がはびこるこの世界のどこへでも悪霊との戦いへ生きて帰ってくることがないと覚悟して出兵する”特攻隊員“なのです。普通の人間は、このようなことに怯えてしまい、逃げることを考えるでしょうが、聖霊の降臨を受け、聖霊で満たされ、その様々な恵みで”武装“し、聖霊の力で強化されていれば、怯えることはありません。寧ろ、神の栄光の為であれば喜んで殉教できるようになるのです。

つまり、ペンタコストというイエスの復活より50日目の日、聖霊が降臨し、私達信者に降り注がれ、私達の心をその力と恵みで満たすことにより、私達を主キリストの為のmartyrとして聖霊という誘導波が導くままに神の国の建設の邪魔をする悪霊と戦う為に飛び立って出陣する日なのです。使徒伝2:1-11にあるように、ペンタコストにおける聖霊は旧約聖書創世記1:2にあるような天地の創造前夜の水の上を吹きまくる強い風(ruah)を彷彿させる強い風の如くすごい音と共に降臨してきました。勿論、この“風”の源は天の父なる神であり、こうした意味において聖霊とは“神風”といえましょう。そして、神、キリスト、の兵士として陣中で待機していた信者はこの聖霊という“神風”の力によって世界中へ飛び立ち、神の国の邪魔となる神の敵と勇敢に戦い続けるのです。それは、教会というペンタコストの聖霊降臨によって命を得生まれた、パウロがコリント人への第一の手紙12章でいうようなキリストの体に例えられる、教会という聖霊で満たされた信者の共同体がこの地における神の国の基盤をも防衛することです。この教会という共同体を内外の敵から守ることは、黙示録に記された、キリストが最高の王として再降臨する際に新郎として娶る新婦を守ることでもあるのです。その為の戦いをする神風特攻隊“の出陣がペンタコストなのです。

かつての特攻隊員は、“大君の辺にこそ死なめ、かえりみはせじ”と歌いましたが、ペンタコストの日に聖霊で満たされ出陣する神の“神風特攻隊”は“キリストのようにこそ死なめ、かえりみはせじ”と歌いながら飛び立っていけます。

キリスト教徒の本懐である武士道精神の基本はペンタコストにあり!といえましょう。

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カトリックの宗教教育にも長年携わってきた私は堅信の秘蹟を受ける為の準備教育を行う際、よくこの話しをし、本当に主キリストの“神風特攻隊”として“かえりみはせじ”に“出陣”していける14歳ぐらいの子供達だけを推薦します。この“出陣”の覚悟ができていない子供は“落第”させ、覚悟ができるまで推薦しません。ということは、私は、或る意味では、主キリストの為の勇敢な“神風特攻隊”の育成をする教官であるといえましょう。カトリックのしきたりにおいて、堅信の秘蹟とは、武家の男の子が元服し、自分の刀を授かる、ということのようなものです。生半可な武士道精神しかない男の子には元服はありませんし、当然、刀を持たせるわけにもいきません。同じように、ペンタコストと比較される堅信の秘蹟は、生半可な信仰心しかない子供には受けさえることはできません。主キリストの“神風特攻隊”としての資質があることを証明できた子供だけが与えられる元服の刀に象徴できるものがペンタコストの証に例えられる堅信の秘蹟なのですから。
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最後までご静聴ありがとうございました、というか、最後まで居眠りせぐにお読みいただきありがとうございました。それでは、今日はここでお開きに。