Tuesday, August 4, 2020

亡き父と花と虫

八月三日はこの世を去って既に三十七年経つ私の父の誕生日でした。今でも生きていれば今年、八十三歳になっていました。父についての思い出は沢山あるのですが、学生時代、お目当ての珍しい昆虫を採集し標本にする為、大阪から汽車で28時間もかけて鹿児島まで行ったというほどの虫への凝り性の父の影響もあり、私自身、小学生の頃の夏休みは父の実家からそれほど遠くない豊中丘陵にまだ残っていた林でクワガタ虫をお目当てに朝早くから父と昆虫採集の“探検”に出かけていました。当時の豊中丘陵、結構沢山の昆虫が採取できたものです。

こうして虫と相性がいいような父でしたが、私の妹に関しては虫への見方は寧ろなかり違ったものでした。そうです、いくら虫好きの父とはいえ、娘を持てば、虫よりも大切なものがあり、そして、それを虫から守ろうとしたのです。

妹が中学生になって色気付いてきた頃、水面下で致命的な肺ガンが既に進行していたもののまだ表面上では元気だった父が、妹を心配して、“悪い虫”がつかないようにしっかりと見守らないといけない、と母に言ってたことを覚えています。父は妹を眼に入れても痛くないほどかわいがっていたので、害虫から守ってあげないといけない綺麗な花に例えてそう言ったのでしょう。そして、案の定、妹をお目当てにわざわざうちまで電話してくる男の子に対する父の対応は、あたかも除虫剤を散布するかの如く、“うちの娘に何の用だ?”といったような拒絶的な対応で、大抵の男の子達はそのまま電話を切ってしまったようです。父からみれば“これでいいのだ”だったのでしょうが、妹を追い求めていた男の子達にとっては妹を一層高嶺の花にしてしまったことでしょう。そして、当時の私も、電話のベルが鳴って取ってみたら、かけてきたのは妹を目当てにしている妹の同級生からだと分ると、父のような声で“何のようだ?”、といった“防虫剤的”対応をした事があります。ところが妹が私がこうして父のまねをして妹を虫達から守ろうとしていることに気が付くと、“兄ちゃん、そんなことせんといて!”、と迷惑がられ釘を刺されました。

勿論、当時はまだ昭和50年代半ばで、バブル好景気の前でもあり、スマホどころか携帯電話もまだ一般は普及しておらず、インターネットもまだ無かったので、スマホが当たり前の今の年頃の中高生にとって想像し難いことかもしれません。当時、留守番電話がまだ珍しかった時代ですから。

今では自分のスマホのおかげて好きな彼女に直接電話して、彼女のお父さんかお母さんに取り次いでもらうなんて馬鹿馬鹿しく思えるでしょう。しかし、妹や私が中高生の頃は皆、そうだったのです。実は私もお目当ての女の子の家に彼女と話す為に電話したときは何時も緊張して、彼女のお父様に取り次いでもらうようであれば私の父のような対応をされるのだろうかと不安に感じたことを覚えています。緊、張しながらダイヤル回して、“あの、OOさんのお宅でしょうか?夜分のお電話失礼いたします。OOさんと同級の仲田と申します。OOさん、ご在宅でしょうか?”なんていった感じでかけたものです。そして、私の場合、取り次いでくれたのはいつも彼女のお母様で、“除虫剤”をふっけられた“虫”のように取り扱われることはまったくなく、“OOにどのようなご用件ですか?”なんて聞かれることもなく、すんなりと取り次いでくださり、たまに、“ああ、仲田君?OO、まだ帰っておりませんの。帰ってきたら電話させましょうか?”なんていわれることもありました。OOさんのお母様、とてもご理解のある方で、どうやら私はラッキーでした。

さて、かわいい妹を綺麗な花に例えて虫がつなないようにと妹を目当てに寄り付こうとする男の子達から守ろうとする在りし日の父ですが、いくら綺麗な花を守る為に虫を寄り付けないようにし続けると、受粉に支障が生じかねないので実を結ばないのではないかという心配があります。しかし、父にしてみれば、当時の妹はまだまだ“受粉”の適齢期ではなかったので何としてでも膨らみはじめたような蕾のような妹を虫達から遠ざけたかったのでしょう。かわいい娘に対する父の愛とは、手塩にかけて育てている綺麗な花を何が何でも虫から守り、そうすることで“受粉”の適齢期になれば“害虫”ではなく最適の“益虫”とだけ出会うことでいい実を結ぶことがことができると願う心に相通ずるものなのでしょう。

今は亡き私の父、筋金入りの昆虫愛好家であり少年時代の私にも虫を楽しむことを伝授してくれたものの、妹が思春期に入り、女性としての魅力を開花させる為の蕾が膨らみはじめると虫は寧ろ厄介で心配の対象となってしまい、妹に対する防虫策に熱を入れていました。当時の父は昆虫愛好家から妹という花を守る為に防虫の専門家と転じてしまいました。それだけに、父は妹が受粉の為に女性として美しい花を咲かせ、最適の益虫と出会い、実を結ぶことをどれだけ楽しみにしていたことでしょう。しかし、肺ガンの為、妹の開花も最適の益虫との出会いをも見ることもなく、まだ蕾の頃にこの世を去らざるを得ない羽目になってしまいました。


とはいえ、父が去ってから幾つかの益虫とおもわれる虫と遭遇した妹という花も、まだ瑞々しく咲いている間に無事に最適の益虫と出会い、とてもいい結婚生活の実を結ぶことができました。父は向こう岸でこのことを見届け、安心し、喜んでいることでしょう。かく言う兄の私も、妹が善き夫と結ばれ、二人の結婚生活年数も父が死ぬまでの母との結婚生活年数を既にこえたことを喜んでいます。妹が運命の虫との結婚生活を続けている一方、私は父と私だけが共有する妹や母が知らない虫への興味を今でもずっと大切にし続けています。今でも父がまだ元気に生きていたならば、父と二人で新幹線で鹿児島まで行き、学生時代の父が大阪から汽車で28時間かけてまで追い求めた珍しい虫を改めて探しに行きたいものです。勿論、妹が結ばれた運命の益虫、つまり、妹の夫、も虫に興味があれば、父と妹の夫と私の三人水入らずでの旅ができたことでしょう。


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