Friday, November 21, 2014

キリスト教の霊性と武士道に代表される大和魂の共通性についての雑感



キリスト教は西洋文明を特徴付けるものと考えている人が多いかと思います。確かに、キリスト教が西洋文化に与えた影響は多大なものであることは確かです。しかし、それだからといって、キリスト教イコール西洋文化と早合点しがちではないでしょうか?まあ、そう単純に理解しても大学入試はなんとかうまくいくでしょうが、実際に海外で外国人相手に、日本人として、日本の文化や日本人の心について愛国心を持って説明し、日本という国と、宗教を含めたその分化や武士道を含めた日本人精神などについて理解して頂く上で、そのような単純すぎる受験用アンチョコは通用しません。

私は、2,670年以上もの長い歴史と万世一系の天皇制を誇る日本という立憲君主国の国民として、アメリカという君主のいない建国以来250年にも満たない共和制の国に長年住みながら、こうしたテーマを踏まえながら、アメリカ人だけでなく、アメリカで暮らす世界各国から集まってきた人達と語り合うことが、仕事の上でも、プライベートなことでも多いのです。しかも、私は、カトリックでもある為、多くのアメリカ人やカトリックが非常に多い南欧やラテンアメリカ、フィリピンからの人達と、キリスト教精神、とりわけ、カトリック精神、と日本人精神についてよく議論することがあります。

今回のブログでは、こうした経験をもとに、私なりの雑感を書いてみたいと思います。

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海外発祥の文化や宗教において、キリスト教ほど日本の武士道の精神に象徴される大和魂に相応するものはないといえましょう。

武士道といふは、死ぬ事と見付けたり、と武士道の“バイブル”ともいえる葉隠の冒頭でズバリ論じていますが、これは、私の英語でのブログでも論じたように、イエスキリストの生き方を模倣し、彼の教えを忠実に実践するキリスト教徒の生き方、寧ろ、キリスト教徒としての生きがい、に相通ずるものです。というのは、イエスは、あなたがもし私の弟子として私についてきたいのであれば、自分の十字架を担いでいくということを受け入れなさい、と諭します。ここで言う自分の十字架を背負うということは、イエスキリストを自分の主であると受け入れ、その主の為、主の教えの為には、自分の命をも惜しまずに捧げることができる、つまり、主キリストの大義の為に死ぬことができるということです。これは、仏教が目指す無我の境地でもあります。なぜならば、自分が仕える主の為に死ねるということは、その妨げとなる自我を克服していることが前提となっているからです。

仏教において自我とは煩悩と深く関わるものである為、煩悩を克服し涅槃の境地へ至るには、自我を克服することを前提としています。キリスト教においても、仏教の教えにあるように、自我を否定することで、イエスキリストが示す神の意思をより良く知ることができ、それをあるがままに受け入れることで、自分の命を含めた私利私欲にとらわれずに神の意思に忠実に生きていくことができると説いています。

とはいえ、人間は自我を完全に否定し、打ち消すことはできません。それでは、いったいどのようにして、煩悩を克服したり、神の意思を理解し受け入れることの妨げとなる自我による欲望や迷いを克服することができるのでしょうか?

この問いに苦労して悩み続けた末、その解決法を示したおがイエズス会の創始者でもあるイグナチオロヨラによる霊操です。これは、神の意思を知り、受け入れるには、単に頭越しに自我を否定し克服するというよりも、寧ろ、自我と密接なつながりのある自分の心の奥底の願望や希望、そして、夢、などを認識しながら、福音書に沿ってイエスの人生を辿りつつ、彼の心中を察しながら、自分の願望や希望、自分の意思を、神のそれへと一致できるように昇華させるべく手段です。霊操は理屈や理論よりも五感をフルに活用しながら、イエスの人生における諸時点での彼の心を想像力を活かしながら察しつつ、自分自身の心の願望や希望の変化に注意を払うという、いわば、高度なレベルのマインドフルさが要求される禅的なものでもあります。

自分が仕える殿や主を守る為には、そして、自分自身を敵から守る為には、武士は常に用心深くなければなりません。その為には、武士には相当なレベルのマインドフルさが必要であり、剣術や戦法において、敵の動きを、その心の中の変動まで、いち早く認識できるほどのレベルが要求されるのです。しかも、敵は、目に見える外敵だけでなく、自分の心の中にある煩悩という剣術や戦法を鈍らせる目に見えないものでもあるのです。よって、武士が高いレベルのマインドフルさを持つ武士である為には、カトリックのイグナチオによる霊操や禅の瞑想修業といった自分の心を霊的に律する訓練が重要なのです。

日本仏教の中でも禅は、武士を中心として広まり、武士道と禅には深いつながりがあります。自分の私欲よりも、自分が仕える殿、主、の為に精進できる為に、武士達は禅を通して自我を克服していき、16世紀にフランシスコザビエルが日本でキリスト教を布教し始めた時、キリシタン大名となった者も含め、武士達の中でキリスト教を受け入れる者が結構いたのは、おそらく、イエズス会のザビエルが示したように、イグナチオの霊操にあるように、キリスト教と禅の似通った昇華による自我克服に惹かれたところがあるからではないでしょうか。

それでは、イエズス会神父であり、この会の創始者であるイグナチオロヨラの親友でもあるザビエルというスペインからの宣教師が1549年に日本にもたらしたキリスト教には、その日本への道のりと武士道との接点にはどのような背景があるのでしょうか?
日本神話における天照大神の子孫である神武天皇が東征(東遷)を成し遂げ日本を建国してからおよそ160年後、釈迦がインド北東部、現在のネパールで、八正道、波羅蜜多などに精進することで輪廻転生の苦しみのサイクルから解放され涅槃へ至る道を説き、仏教となって広まりました。それからおよそ500年、つまり、神武東征による日本建国からおよそ660年後に、イエスという人物が、中東はカナン、現在のパレスチナで、罪の終わりなきサイクルから開放され、アダムとイブが原罪により失ったエデンの楽園よりも更に素晴らしい神の王国へ導かれる道について説いていました。

イエスは当時のユダヤ教が偽善者によって指導されていることを嘆き、こうした偽善的指導者に盲目的に従う人達を迷える子羊とし、彼らを正しい神の道、つまり、神の王国への救いの道へと導く為、モーゼがかつて伝えた神の法の新しい解釈をしていました。こうしたイエスの動きに対し、既成勢力であった偽善的指導者達は当時自分達の土地を統治していたローマ帝国のピラテという総督に対し、イエスはその“反社会的な危険な教え”によりローマ帝国領である彼らの土地の治安を危うくし、ひいては、ローマ帝国全土への'治安にも悪影響を与えかねないから“処分”したほうがいい、といった趣旨のことをそそのかし、陰謀によりイエスを十字架で処刑させました。

確かに、処刑されたイエスは生身の人間として死にましたが、三日後に彼は預言通り復活し、悲しみと失望のどん底にあった弟子達を驚かせたものの、彼らに希望と勇気を与え、復活から40日後にエルサレムから昇天し、その10日後に彼の名において天から弟子達い聖霊が降臨し、彼らは更に勇気付けられ、迫害による死を恐れることなく勇敢にイエスの教え、つまり、キリスト教を当時のローマ帝国領であったユダヤ人が定住していたエルサレムを首都とするユダを中心に、パレスチナ各地で布教していきました。やがて、かつて彼らを熱心に迫害していたユダヤ教の若手高官であったパウロも馬からの転落事故により失明しこん睡状態にあった時にイエスの声を聞き、180度転換して、熱心なキリスト教信者となり、しかも、熱烈な宣教師となって地中海を渡り、地中海沿岸のローマ帝国の諸都市で迫害に耐えながらついにローマで殉教するまで精力的に宣教していきました。このパウロによる一世紀におけるローマ帝国の様々な領地での異文化的宣教の成功が、現在キリスト教が世界的宗教であることの礎となったと考えられます。

実は、この熱心な伝道者、パウロの宣教術には実にイグナチオによる霊操の観点からみて実に武士道的なところがあります。新約聖書の膨大な部分を占める彼の手紙を読めば実感できますが、パウロは実際にイエスと会ったことがないにもかかわらず、馬からの転落事故によりこん睡状態に陥っていた時の夢で現れたイエスとの出会いにより、この熱狂的元迫害者は熱狂的なイエスキリストの僕、つまり、侍となったのです。そして、自分が主として受け入れ、忠誠を誓ったキリストの為であれば、自分はどんな迫害などによる苦しみにもただ耐えられるというのではなく、寧ろ、その耐えるべき苦しみの中に例えようのない喜びを感じるとさえ断言しています。こうしたパウロの心は、まさに武士道において理想とするような精神ではないでしょうか?そして、それは彼らにとって忠誠を誓い合った主であった天皇陛下の為であれば自分達はどのような苦しみにでも実存学的かつ霊的な喜びを感じながら潔く散っていった特攻隊などの日本戦士達の武士道精神、大和魂ではないでしょうか?パウロは主キリストの為、苦労に苦労を重ねながら、長期に渡り、地理的にとても広範な領域において様々な文化や習慣を持つ人達へ宣教し、その為、牢獄につながれても主の為に奉仕できたことの喜びと感謝を超え高々発し、また、ローマで処刑される時には感無量の名誉的な喜び、本望が満たされた喜びにおいて殉教しました。このことは、パウロには自我という煩悩の必要条件が完全に昇華されていたからです。こうしたパウロの心理は、祖国に残した愛する両親や兄弟を惜しみつつも、“天皇陛下万歳!”と言いながら散っていった日本戦士の心理と比較も値するものだと思います。

当然、当時の世界最強国であったローマ帝国ではイエスの教えであるキリスト教を厳しく禁止し、キリスト教徒を徹底的に迫害していました。ところが、4世紀になり、時のローマ皇帝、コンスタンチヌスは、それまで迫害し続けていたキリスト教をローマ帝国の国教とする決断をし、そのローマ帝国の帝国主義的拡張政策により、ヨーロッパ全土のほとんどがローマ帝国時代にキリスト教化されました。そして、ローマ帝国がイスラム勢力の介入などにより滅亡しても、かつてのローマ帝国から分化した、フランスやスペインなどのヨーロッパ諸王国の君主はバチカンのローマ法王の承諾と祝福によって王位を継承していたので、中世におけるヨーロッパでのキリスト教勢力は絶対的なものでした。そして、カトリック国でるスペインとポルトガルの新世界探検による植民地拡張の為の大航海時代が幕開けし、これと共に、キリスト教も“未開”とされていた新世界に“キリストの福音による新しい文明”をもたらすことを目的に宣教師達が帝国重商主義の商人達と共に新世界へと送り込まれ、キリスト教は更に世界的宗教として広まっていきました。また、それに先駆け、アラブ商人により、イスラム教もアジア各地、特に、東南アジア、に広まり、すこし遅れて宣教してきたキリスト教と対立するようになりました。

インドや日本へキリスト教を布教したフランシスコザビエルを含め、当時のヨーロッパ帝国主義の宣教師達は、中南北アメリカやアジア、アフリカの“未開”の地でキリストの福音を広め、現地人をキリスト教に改宗させることで、この世において“神の王国”を建設せしめると信じ込んでいました。しかし、ザビエルに関しては、日本という国は始め思っていたほど未開ではなく、寧ろ、ヨーロッパ以外において、当時の中国と並んで実に独自の文明を発達させ、しかも、スペインやポルトガルが容易に植民地化できなほどの強い軍政(侍による封建的政治制度)と象徴的な天皇制を維持していることに感銘していました。織田信長はキリスト教の日本での布教を許可したものの、信長の後に最高権力者となった豊臣秀吉は、スペイン領であったフィリピンからメキシコへ航行していたサンフェリペ号の四国沖での遭難事件をきっかけにバテレン追放令を発布し、公式にキリスト教の布教を禁止しはじめました。更に、徳川幕府が設立されると、キリスト教への禁教令は更に厳しいものとなり、その後250年以上の厳しい迫害が続きました。

秀吉の時代には、サンフェリペ号事件をきっかけとして、このスペイン船に乗り組んでいたスペイン、ポルトガルの神父や修道生、また、この船とは関係のない、叙階を目前としたイエズス会員でもあったパウロ三木や12歳のルドビコ茨木という熱心な日本人信者も含め、26人の信者が京都から長崎の西坂の丘までを、1月末の寒さの中を強行軍させられ、処刑されました。いわゆる長崎の26聖人です。また、キリシタン大名として摂津の国を治めており、千利休の秀でた茶の湯の弟子でもあった高山右近も将軍である徳川家康から棄教することを命ぜられたものの、右近はそれをきっぱりと断った為、城と領地を剥奪され、流刑となり、歓迎されたフィリピンで疲労により客死しました。更に、フィリピンからドミニコ会の修道士達とやってきて捉えられ長崎で処刑されたローレンチオルイツは、処刑される直前に棄教することで命を救われる最後のチャンスを与えられたが、彼は、きっぱりと、自分は自分の命なんぞ惜しくはないことを、“たとえ私にあと1,000個の命があったとしても、私はそれらをすべて主イエスキリストの為に捧げるのだ!だから、お前の好きなようにするがいい!”と日本人処刑者へ断言、つまり、自分はいくら棄教することをそそのかされても、たとえ、棄教することで自分の命が救われるとしても、絶対に棄教なんぞしないから、殺したいなら殺してみろ!と明言し、パウロ三木や茨ルドビコ木はじめとする26聖人のように、主イエスキリストの栄光の為という大義の為に潔く死んでいきました。

こうした日本人信者を含めた日本での殉教者には、自分が忠誠を尽くして仕える主人の為には自分の命を惜しむことなく死ねるということを最高の名誉であると信じているところがあるようであり、これは、まさに、葉隠にある、武士道の本質は死に見出すことができるということに相通ずるところがあります。勿論、かつて、天皇陛下の為に、皇国日本の為に、愛する日本という国とその国に住む家族や愛人の為に潔く戦い散っていった、大東亜戦争の特攻隊をも含めた、古来からの無数の戦士達の武士道精神にも繋がる何かがあります。

自分が仕える主、イエスキリストの為、そしてそのキリストの教えの真実の為に潔く殉教した、ステファンをはじめ、ペテロやパウロを含めた、キリスト教2,000余年の歴史上で潔く死を恐れずに信仰を貫き通した聖人達の魂には、侍として自分が忠誠を誓った主君の為に潔く自分の命を犠牲にすることを誉れとする日本人の武士道精神と共通するものがあるように思います。

大義の為に自分の命を厭わずに潔く死ねることを誉れとするのは、キリスト教と日本の武士道の精神双方に共通する考えです。

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万世一系の天皇が脈々と天照大神の血筋を引くというように、キリスト教においても、マタイの福音書によれば、主イエスはユダヤの祖先であるアブラハムからダビデ王を経た家系の第28代目にあたります。また、新約聖書にあるヘブライ人への手紙5章によれば、イエスは旧約聖書の創世記14章に記されている古代エルサレムの王であり高僧でもあるのメルキゼデックの系列にある永遠の高僧であるとされています。つまり、日本の君主であり象徴でもある天皇が万世一系であるように、神の王国の王であるイエスもアブラハムやメルキゼデックという系列において万世一系的な素質を持っているので、ここにもキリスト教に日本人的な何かを見出すことができるのではないでしょうか。

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キリスト教の教えが弾圧や迫害にもかかわらず、かつてのローマ帝国に浸透し、やがて2,000余年かけて世界各国へと広まったように、日本という天皇を中心とする国も、細石が天皇を求心力的な核として集まり、やがて長い年月をかけて一つの大きくて力強い巌として成長し、更に、長い年月をかけて、苔が生すように、繁栄してきました。

当時は世界最強だったローマ帝国が滅んでも、その後、様々国が興隆し、衰退しても、キリスト教は広まり続けています。日本という国も、中国などの近隣諸国をはじめ、世界各国が興隆と衰退を繰り返しながら、入れ替わり立ち代わりしていく中、神武天皇以来、一つの巌として、万世一系の天皇制を維持しながら、苔が生すまで、成熟してきました。つまり、キリスト教と日本の歴史的共通性とは、それらに見られる歴史の変遷に左右されない一貫性です。

イエスは言いました、天も地も無常であるが、私の言葉こそ恒常であると。そして、それは、地上の様々な王国や帝国が栄枯衰退の変遷の中にあるのに対し彼が王である神の王国はそれらの無常の国々を超越したところにある普遍なものであるという真理につながります。

そうです、主イエスは神の王国の国王なのです。このことが立証されるのは、黙示録にあるように、最後の審判の時です。ところが、イエスキリストが王であるということに対し、心理的、霊的な拒絶的アレルギー反応を起こす人が少なくありません。実は、イエスはこうしたアレルギー反応の為に処刑されたといえますし、日本でキリスト教に対して“反日的”であるといった見方をする意見の背景にもこうしたアレルギー反応があるように思えます。しかし、私が思うには、こうしたアレルギー反応の背景には二元論的なパラダイムがあると思えます。そして、この二元論的な考えは、それこそ、非日本的なものです。

三島由紀夫は“文化防衛論”において、日本文化の特徴の一つとして、包括性を指摘し、それは菊と刀というまったく違ったものを両方あるがままに受け入れ抱擁できるところにあると論じています。つまり、三島由紀夫は、日本文化は二元論とは正反対の性質を持つものであると考えているのです。

よく、キリスト教徒は日本を文化を否定し、破壊しつつ、日本を乗っ取ろうとする西洋勢力の傀儡だ、などといった反日的な目で見ている人が今でもかなりいるようですが、それは単なる西洋かぶれの、キリスト教の本質を知らない“キリスト教徒”です。また、キリスト教徒はキリストという外国人、ユダヤ人によって拒否されたみじめなユダヤ人を神の王国の王であると崇拝し、天皇に対して失礼な連中でけしからんと叱責される方もいるでしょう。

キリストを王とみなす、神の王国とは、地政学的な国ではありません。この問題は、およそ2,000年前、エルサレムでイエスが十字架で処刑される直前にローマ帝国総督のピラトから尋問された時、彼を悩ませた問題です。これは、イエスをローマ帝国の政治的行政的な権力を使って殺したかったイエスを煙たがる当時のユダヤ教指導者達の陰謀なのです。彼らは、当時、自分達のかつての王国を支配していたローマ帝国の総督に、このイエスという変わり者は、自分はユダヤ王国の王だと名乗り、ローマ帝国に対して反乱を起こしかねない危険人物であり、ローマ帝国の属国であるユダの国の平和だけでなく、広大なローマ帝国全体の安泰の為にも、このイエスという変わり者を処刑したほうがいいとそそのかしたのです。だからローマ帝国総督のピラテは逮捕され連行されてきたイエスに直接、お前は本当にユダヤの王なのか?と詰問したのです。

これに対し、イエスは、彼がユダヤの王であるなんて、それはピラト自身がそそのかされて言っているものであることを明確にし、自分ではそのようなことを言ったことはないと示しました。これに対し、ピラテは混乱の中、感情的により過激になってイエスの処刑を求めるユダヤ人の民衆が反乱を起こすことを恐れ、イエスを処刑することを許可したのです。

キリストを主とするキリスト教徒が日本の君主は万世一系の天皇であると認識できないというのは、まさに、上述のようなキリストを殺すことを陰謀とした二元論的な考えと論理的に同じものです。

日本というのは日本人にとってのこの世で最高の国であり、それは天皇がいつも国民と国の為に祈り続けられているからです。そして、キリストを王とする神の国は、霊的なものであり、日本という地政学的な国の次元を超えたところにあるのです。よって、三島由紀夫のいう菊と刀の両方をあるがままに抱擁できる本来の日本的な文化パラダイムでは、天皇を日本の君主として敬いつつ、キリストを救世主であり神の王国の王であると信仰することができるのです。天皇かキリストかという二元論的な考えは、菊か刀かといった否日本的な考え方であり、それこそまさに日本の伝統を否定するものではないでしょうか。
私は、神武天皇による日本建国以来、国民の為にいつも、代々、2,670年以上祈り続けられ、祀り続られている天皇陛下を感謝の念でもって敬い、この世の人生における父的な象徴と認識しつつ、この世を超越した霊的な次元においては、メシアであるイエスキリストを主とし、神の王国の王として、そして、三位一体における御子である神として信仰するのです。つまり、日本人キリスト教徒のあるべき姿とは、日本文化が菊と刀の双方をあるがままに抱擁するように、天皇もキリストも両方とも抱擁することです。こうした包容性に亀裂を入れるような議論は不毛であり、それこそ半日本的であると思います。

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キリスト教の霊性と武士道に象徴される大和魂、日本人精神、の共通項は、自我がもたらするものを昇華させることで自我による悪影響、つまり、仏教で言う煩悩、キリスト教でいう罪の引き金となる誘惑、私欲、混乱などを克服することで、イエスキリストであれ、天皇であれ、親であれ、愛する妻や夫であれ、自分が忠誠を誓う主、人、の為に、自分の命を厭わずに喜んで犠牲にすることができるアガペの愛の精神力であるといえます。そのほか、三島由紀夫が論じるような、非二元論的な、菊と刀双方をあるがままに受け入れられる包容性でもあるといえます。よって、主イエスキリストを救世主として、また、神の王国の王として信仰することと、天皇陛下を日本国の万世一系の君主として感謝と敬いの念でもって崇拝することは相容れられるのです。

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