Friday, December 5, 2014

“心理屋”の仲田昌史先生による、大和魂を活かす年末ストレスへの処方箋



毎度お~きに!サイコロ振って、じ~と眺めるサイコロジー(psychology)、“心理屋”(心狸屋という方もおられる)の仲田昌史です。泣く子も黙る寒さのシカゴから発しております。師走ですね。皆さん、も~かってまっか~?うちはぼちぼちですわ~。ぎょ~さん儲けなあかんのに。。。あきまへんな~。相変わらすの貧乏暇無しですわ。銭はたまれんけど、ストレスだけはたまりますな~。けったいなこっちゃ~!どないせ~っちゅねん?

しょうもない前置きはこれまでにして。。。

そうです。師走ですね。大晦日にかけて、一年で最も忙しい時。特に、景気が良かろうが悪かろうが、“飽きない”で、“商い”されている“しぶとい”商人(あきんど)の方、大晦日までに帳簿うまいこと合わせて年越せるようにする為のより一層の奮闘、お疲れ様です。

師走といえば、臨床心理学的にみて、一年で最もストレスのレベルが高まる時ともいえます。そして、私のように、心理サービスで生計を立てている人間にとって、ここが稼ぎ時(笑)。

そう、かく言う私のような臨床心理、メンタルヘルスにおけるプロにとっても、この時がとても忙しく、必然的にストレスがたまりがちです。他人事ではありません。いくら心理士とはいえ、“猿も木から落ちる”ってなことありますし。。。お互い、うまく自愛しながら、この忙しい年の瀬を心身ともに健康で超えて、新しい年を清清しく迎えたいですね。

そこで、今日は年末のストレス対策について一緒に考えてみましょう。
アメリカでは、11月の第四木曜日にある感謝祭(Thanksgiving)のあたりからクリスマスにかけてメンタルヘルスサービスを受ける人が統計的に目立って多くなります。

サンクスギビングといえば、白人の歴史観からみてとても“アメリカ”的な祝日で、クリスマスのように、全米に散らばっている家族が集まり、1620年に清教徒の経験を思い起こしながら、神の恵みに感謝し、七面鳥のご馳走を一緒に食べ、親睦を深める時です。しかし、一方、白人の到来以降、先祖代々の土地と富を略奪された先住民にとって、この日は喪に服す日(Day of Mourning)でもあります。アメリカは複雑なんです。

家族団らんに食事をする、というと、理想的ですが、家族崩壊が顕著になっている今日この頃、家族と意図的に離れて暮らす人が多いのが実情です。いつも、親と言い争ってばかりいたり、親から冷たくされたり、もっと酷い場合には、虐待された経験のある思春期末期の子供は、大学入学や就職していきまあす。あるいは、オヤジと大喧嘩しプイッと家出してフーテンになったあの寅さんのように、親元を離れた人も、理想的な家族のイメージを彷彿させる時期はかえって辛く、ストレスを感じるようになります。サンクスギビングやクリスマスのように皆で一緒に和やかにご馳走を食べられる理想的な家族なんぞ、こうした彼らにとっては、所詮、絵に描いた餅のようなものですから。家族なんか糞喰らえと、建前上、そう思っていても、実は、潜在意識にある本音では、やはり、理想的な家族がとても羨ましく思うものです。こうした心の裏と表の違いによる葛藤から、ストレスが生じるわけですが、サンクスギビングからクリスマスにかけてのこの時期、いろいろと絵に描いた餅のような家族のイメージがいやでも巷に出てくるので、ストレスが一層高まるのです。

日本ではこの時期、忘年会、そして、西洋と同じようにクリスマスパーティーなどの連続で、仕事などがとても忙しい中、付き合いも忙しくなり、まさにダブルパンチです。
日本でも、戦後、アメリカ的な個人主義が“自由”という美名の下で多くの若者を翻弄し、伝統的な日本人精神を重んじる親の世代と価値観の摩擦を生じさせ、社会経済的構造変化の影響もあって、核家族化と都市-地方の格差が進み、日本人が代々重んじてきた、家族団らんのお正月というものが廃退していきつつあります。親と子の価値観の違いは、家族関係をぎくしゃくさせ、子供は親を煙たがり、“自由”を求め、親元を離れたままになり、正月もお盆も、帰省し家族団らんどころか、挨拶すらしない世代が増えているのも現状です。このような今日におけるこの時期、“もういくつ寝るとお正月。。。”といったかつての子供のように、親もそうした子供の為に、家族だんらんになっておせち料理のご馳走を食べ、三社参りをして神様との親睦を新たにするお正月を楽しみにしながら、師走の忙しさを乗り切るといった感じがすたれてきたように思います。

かつては、門松があり、どの家にも日の丸が掲げられていたのがお正月だったのですが。。。家族が一緒で神様と一緒になって新しい年を迎え、今年もよろしく!と挨拶し、よし、今年も一生懸命頑張るぞ!と心を新たにするお正月の伝統が、飽くなき“自由”を追い求める行為を重んじる風潮へ取り替えられつつあるのが今日の日本です。だから、“自由”を追い続ける為に、家族や伝統よりも、金とか物質的豊かさを重視し、あくせくと忙しい毎日を送る。そして、気がつけば、年末年始の区別なく、ただただ、飽くなき“自由”を求めんばかり、頑張り続ける。年末年始の区別がなくなると、生活のリズムがなくなったということです。そして、リズムを失い、区切りのない生活は、臨床心理の観点から、危険なものだと言えます。

伝統的精神の喪失とリズムや区切りのない生活とストレスについて、後でもう少し詳しく述べたいとおもいます。

さて、アメリカには日本的感覚な忘年会というのはありませんが(とはいえ、大晦日ににぎやかな年越しパーティーをするが)、兎に角、クリスマス云々といったパーティーをはじめとするイベントがカレンダーに盛り沢山。日本で暮らすにしろ、アメリカで暮らすにしろ、この時期はついつい食べ過ぎ、飲み過ぎになりがちですね。日本では旦那一人で会社関係の連中と、忘年会、クリスマスだのと、飲み食いしますが、アメリカでクリスマス関係のイベントは、普通、夫婦同伴ですので、奥さんの方も旦那さんの心配だけでなく、自分の体重、血圧、コレステロール、血糖値なども気になり、夫婦共々ストレスのレベルが高くなります。しかも、生理学的に、ストレスのレベルが高まり、ある程度それが持続すると、コルチゾンなどのストレスホルモンがより多くの脂肪を体内に備蓄しようとするので、更に太ってしまいがちです。こうなれば、特にウエストラインを気にしがちな奥さんのストレスが更に高まり、血中コルチゾンが更に脂肪を体内に備蓄していき、どんどん太るという悪循環に陥ることがあります。

本当のこの季節、危ないですね。危ない、と言えば、昭和の高度成長期の時代、桜田淳子さんの歌で、“夏にご用心”というのがあり、夏は心の鍵を甘くするからご用心、恋がドレスの裾をくすぐるからご用心、それでも我慢などできなくなるから、悩ましげなそよ風吹けば、誰かと口付けするかも知れないから、危ない、危ない、だから、夏は本当のご用心!といった調子でした。

でも、この季節、乙女であろうが、おっさんであろうが、おばさんであろうが、老若男女、誰でも、ついつい食べすぎ、飲みすぎとなってしまい、体重などが余計気になり、ストレスが一層高まり、体重が増えがちで、それによってストレスが更にたかまり、といった心身的な悪循環に引き込まれがちで、本当に危ないです。自分なりに“師走にご用心”といった替え歌でもつくって自分で自分を注意するようにしてみてください。
“師走はストレスの嵐、吹き~荒れるから、ご用心!いそがし~くって、食べて, 飲んでばかりで、ご用心!それにつけ、体重が増えるから、気になりだし、気になりだし、ストレス増加~!…….”, ってな感じでどうでしょうか?

しかも、北半球に住んでいれば、この季節は冬で、風邪ひきやすい季節でもあり、心身ともに疲弊します。疲弊するということは、ストレスに曝されるということです。そして、疲という漢字に病だれがあるように、疲れは病と深く関わっており、その前兆的要素です。つまり、疲弊の要因の一つであるストレスは様々な病気の引き金となるわけです。
となれば、ストレスからの開放を願いますよね。

よく、クリスマスには何が欲しい?と聞きあいますが、目に見えるプレゼントもいいけど、正直いって、誰もが、ストレスからの開放が欲しい!というのが本音ではないでしょうか?

でも、実際には、ストレスから完全に開放されることなんてないのです。ストレスフリーなんていうのは、一種の妄想です。ストレスからの開放とか、ストレスフリーなんていうことを宣伝文句にしてクライアントを集めようとしている心理業や宗教業があれば、どうもそういった類のものはいかさま臭い、と考えたほうがいいでしょう。
やはり、この類で正統なのは、ストレスから逃げるのではなく、ストレスとうまく向き合う技を修得する為の道場、とかいったものです。

そもそも、仏教でも、キリスト教でもこう教えているじゃないですか、本当に苦しみから解放されるのは、涅槃してから、あるいは、キリストによって救われてから、だと。現世において生きてる間、苦しみ、悲しみ、苦痛といったストレスは人生にとってつきものなんです。まあ、正直いって、ストレスとは、一生懸命頑張って生きていいる証拠です。つまり、刻々と容赦なしに変化する、つまり、無常な(無情な?)環境に適応しようと一生懸命努力している"副産物“がストレスなのです。つまり、より適応してくると、必然的に、ストレスも軽減されます。

私は、心理学者の端くれという身分の他、宗教学者の端くれでもあり、臨床心理学と臨床パストラルケアを統合して、パストラルカウンセリングとうサービスを提供させていただいておりますので、ここであえて言わせてもらえば、カルトではなく正統な宗教というのは、悩み、苦しみ、不安など、そして、それらによるストレスから逃げるのではなく、こうした、この世で生きていく上で付きものの苦痛とどのようにして向き合い、ただ向き合うのではなく、どのようにして更に自分を成長させていけるような意義を見出しながら人生の様々な苦痛と向き合いながら生きていくかということを説いているのです。お釈迦様も、イエス様も、とどのつまりは、こういった教えと言う点では本質的に同じことを教えてくださっているのです。合掌、アーメン。

だから、ストレスから開放されよう、とか、ストレスから逃れよう、なんて考え、それに向けての無駄な努力をしないでください。失望し、更にストレスが増加するのがおちですから。つまり、ストレスをあまり煙たがらず、それに対して臆病にならず、大和魂を奮い起こして、向き合うのです

では、いったいストレスにどう対処すればいいのでしょうか?

****

結論を先にいえば、ストレスとうまく付き合っていく方法を自分なりに見つけ、交感神経(興奮、奮い起こし、加速、原動力、精神的起爆剤)と副交感神経(沈静、ブレーキ、リラックス)のバランスに注意しながら、試行錯誤しながらでも実践していき、それに慣れていくことです。慣れるということは、適応するということです。

先程、大和魂を奮い起こしてストレスと勇敢に向かい合う、と言いましたが、神道の観点からみて、大和魂、つまり、伝統的に日本人の魂には、荒御魂(あらみたま)という交感神経に相当する、“動”があり、自律神経に交感神経の他、副交感神経があるように、和御魂(にきみたま)という、荒御魂(あらみたま)よって興奮状態になっている心と体を、穏やかに鎮める効果をもつ、和御魂(にきみたま)があります。

神道的に見れば、ストレスの多いこの時期、どちらかというと荒御魂(あらみたま)ばかりで突進してばかりなので、生活にリズムをつけ、区切りを付けて、和御魂(にきみたま)の状態に戻るようにしなければならないわけです。音楽でも、リズムにのせて、荒御魂のような激しい演奏の部分もあれば、和御魂のような穏やかな演奏の部分もあり、両方がうまくリズミカルに配分、アレンジ、されてるから言い音楽となるのです。激しい荒御魂的、交感神経を奮い起こしっぱなしのような音楽だったら、聞いてるだけでも疲れてしまいますよね。

12月3日は、カトリックにとって日本にキリスト教をもたらした、聖フランシスコザビエルを称える記念日なのですが、ザビエルはイエズス会の神父でした。イエズス会といえば、ザビエルの大学時代(パリ大学)のルームメイトの一人でもあり、親友であった、聖イグナチオロヨラによって創設されたグローバルな修道会です。その修道会、イエズス会には、イグナチオロヨラによって教えられた霊操(Spiritual Exercises)というのがあるのですが、その教えには、"動“(Action)と”静“(Contemplation)のバランスを重んじることがあります。これを、神経学的にいえば、健康な精神状態とは、交感神経と副交感神経のバランスを保っていること、そして、神道的にいえば、荒御魂と和御魂の両方を、時と場合に応じてうまく使い分けることです。そう、交響曲にある激しい演奏の部分と穏やかな演奏の部分がうまくリズミカルに統合されているように。仏教には、中道の教えがあり、これも、動と静のバランスを保つことを教えていると考えることができましょう。

荒御魂の状態で一生懸命頑張った後、和御魂によって、ほっと一息ついて心と体が落ち着く状態にすることが大切です。これによって、元気回復。そして、次の荒御魂の機会にもベストで頑張れるのです。これぞ、大和魂によるストレス対処!

荒御魂と和御魂のバランス、ActionContemplationのバランス、交感神経と副交感神経のバランス、どちらにせよ、中道を行く為には、まず、ストレスからは逃げられないし、完全に征服することもできないので、ストレスは生きている証であるという現実を素直にあるがままに受け入れるということです。いい意味での、“仕方がない”という諦めです。

これは、現実を自分の好き嫌いにかかわらず、あるがままに受け入れ、それに適応する道を体得することを目指す森田療法そのものです。つまり、ストレスは生きている上で完全排除できないという現実を冷静に、客観的に、あるがままに受け入れ、こうした現実受容の前提において、ストレスに適応できるような方法を模索していくことです。

その為には、ストレスそのものよりも、ストレスが自分の心身に与える影響に焦点をあてることです。つまり、ストレスの量と質と、自分のストレスに対する耐性、強靭性といった二つの要素の係わり合いの中にストレスがどれだけ、どのように、自分の心と体、それに、スピリチュアルな要素にまで影響を与えるか考えねばなりません。

こうした要素の絡み合いに関する、普遍的な数学的公式はありません。なぜならば、これには個人差があるからです。そのような公式があったとしても、それは統計学的なもので、臨床的にみて、個々のケースにどれだけ当てはまるかは、疑問が残るところです。心理学者の中には何でもかんでも統計学的に処理し、数学的な普遍性を錯覚されるようなもので議論すればいいと思い込んでる人が結構いますが、彼らの議論に惑わされてはいけません。まあ、参考程度にして、自分のケースがそのようにならかくても、あまり心配しないことです。心配するとストレスになりますから。

そもそも、統計学を学んだ人はご存知でしょうが、統計学的手法によって得られた結論なんて、はっきりいえばある程度“いかさま”なんです。というのは、統計学というのは、難しい言葉でいえば確率密度関数、簡単にいえば、サイコロ振った時の目のでる確からしさの分布状態、つまり、確率という怪しい数学がそのパラダイムであり、当たり外れがあるというわけです。だから、博打ですわ。いや、失敬、くじの当たり外れのようなもんです。

くじで“スカ”が出たからといっていちいちくよくよしてたら、それこそストレスでしょう?

すみません、私の商売、サイコロじ~と眺めてでおなじみのサイコロジー(“シケ単”こと、“試験にでる英単語”でそうした語呂合わせがあった)なので、ちょっと話が統計学云々と言った方向から“博打”の方へ脱線しましたが、あまり数学的とか普遍的とかいった一部の心理学者の言うことに惑わされ、余計なストレスに晒されないでください、とメンタルヘルスの臨床家として言いたかっただけなんです。

ストレスとは、ばい菌のようなもので、進化学上、人間の生存にとって切っても切れないものである。つまり、私達がどんなにストレスやばい菌を無くそうとしても、完全征派は不可能であるということ。

とはいえ、ばい菌のしたい放題にしておくと、私達の健康が損なわれ、時と場合によっては致命的にもなりますね。だからといって、ばい菌を皆殺しにしようとしても、かえってしっぺ返しを喰らい、思わぬ病気に罹ることも、抗生物質の使いすぎによる弊害からわかってきました。

しかし、ワクチンのからくりからわかるように、ばい菌の毒性、病原性をある程度弱めれば、かえって、耐性を高め、免疫がつくということもわかっています。ばい菌の毒性や病原性というのは、ばい菌が私達の体にどのように影響するかということです。

ばい菌のように、完全に無くすことが不可能で、たとえそうしてとしても、進化学上で、まずいことになりかねないストレスについても同じことがいえます。つまり、ストレスが私達の心身に与える毒性、病原性を抑えるような形で、ストレスとうまく向き合っていくことです、ストレスから逃げるのではないのです。

私達の免疫力は長い長い進化の過程で、ばい菌達とうまく共存してきた証であり、その賜物(褒美?)なんです。同じように、私達の精神的強靭性、ストレスや不安などの精神的なチャレンジに対する耐性、はストレスから逃げず、ストレスとうまく向き合ってきた証拠であり、その賜物なんです。

****

それでは、いったいどのようにしてストレスは生きている上での現実だとあるがままに受け入れ、ストレスとうまく付き合っていけばいいのでしょうか?

まず、先述しましたように、生活におけるリズムと区切りを失わないということです。
先に、戦後日本の社会現象の問題として、伝統的日本精神の衰退をお正月の過ごしかたに見られる変化と、年末年始の区切りなく惰性のようにがむしゃらに働き続ける現状をとりあげ、こうしたことが臨床心理学的に問題あるものであることも示唆しました。

なぜならば、臨床心理学的にみて、心身ともに健康である為には、リズムと区切りのある生活を維持することです。ストレスによる悪影響を最小限とし、ストレスへの耐性、強靭性を高めていく上でも、そして、進化学の観点からみても、大脳生理学上、このことは非常に重要なのです。

そもそも、脳が健康で、その最大限の機能をうまく発揮できる為には、脳が司る、生体時計のリズム(circadian rhythm)に沿って、区切りある生活をするということです。こうしたことは、環境の変化などがもたらすストレスに対しても、強靭性をもって対処できるようにしてくれます。これは、人間が35億年以上もの進化の過程で、数え切れないほどの困難、ストレスを乗り越え、ここまで生存してこられたという証なのです。

だらだらとしない。リズムと区切りのある生活。しかも、生活のリズムを、生体時計にできるだけ合わせるようにするということです。

生体時計のリズムは、日の出と日没の二つによって大まかに区切られています。なんか、原始人っぽくないわけではないですが。。。

生活のリズムの中に区切りを入れることで、ぶっ続けでやるよりも、休みをとることで区切りながらこなすほうが効率的であり、ストレスも軽減できることが、心理学の実験であきらかにされています。

よって、リズムと区切りのある生活を維持すると、無理することなしに、より効率的に仕事がこなせる。

生活のリズムと区切りの重要性は、荒御魂と和御魂のバランスを保つ健全な大和魂、という伝統的日本人精神の拠り所ともいえる神道の観点からも理解できます。というのは、戦後西洋がもたらした飽くなき“自由”を追い求めんばかり、御荒御魂だけで突進すると、ストレスが生体のストレス対処のキャパを超えてしまい、ストレスによる心身への毒性により、心も体も破壊的に疲弊し、最悪の場合は死に至りかねません。過労死というのも、こういった現象のひとつだと考えられます。

そうでなくても、長期的ストレスの毒性により免疫力が慢性的に弱まると、感染症だけでなく、ガンなどの病気になりやすくなります。そもそも、荒御魂は諸刃の剣のようなもので、でかいことを成し遂げるエネルギーという刀と、破壊的エネルギーというもう一つの刀があるということを認識せねばなりません。

生体時計による生活のリズムにより、荒御魂をフルに活用する時と、和御魂で静寂モードにして、リラックスする時を、区別することで、荒御魂のご利益を最大限に享受でき、その副作用の毒性、ストレス、を最小限、つまり、それを自浄する生体のキャパ以内に抑えることができるということです。それに、大和魂の背景には、生体時計と同じように、太陽があるということを忘れないでください。天照大神は太陽の女神ですから。お天道様は見ているぜ~、とフーテンの寅さんはよく言ってましたが、本当です。お天道様に正直なリズムのある生活をしていれば、健全な大和魂、つまり、荒御魂の毒に触ることなく、荒御魂(動)と和御魂(静)のバランス、中道、イグナチオによる霊操でいう動と静(ActionContemplation)の中道、そして、自律神経にある交感神経(動)と副交感神経(静)のバランスを維持できるわけです。これが、ストレスへの対処の真髄です。な~るほど、なぜ、私達日本人の先人達が太陽を拝んでいたか臨床心理の観点からもよ~くわかりますね。

*おまけ: 最近、健康サプリとしてメラトニンを売っていますが、これ、結構高いですね。しかし、メラトニンとは、お天道様に正直なリズムのある生活をしていれば、和御魂の絶頂期である、日没後から睡眠に至り睡眠中への間に、脳内から分泌され、昼間の荒御魂の活躍による副作用、副産物であるストレスの毒を浄化し、それによって犠牲となった心と体の一部を修復してくれます。よって、サプリに頼る必要はないのです。大脳生理学的にみて、日中に充分に太陽の光を浴びていることが、日没後、脳で充分なメラトニンが分泌される絶対必要条件なのです。そして、メラトニンはリラックスすることに関するもう一つのホルモンであるセロトニンとも分子生物学的に密接な関係にあり、セロトニンの慢性的欠如がうつ病の背景にあることを考えれば、いかに、お天道様が臨床心理学的に大切なものかよ~くわかりますね。

お天道様は見ているぜ~。あなたの心身的健康の為にも。陰陽学もまんざらではありませんね。

さて、リズムと区切りのある生活について続けますが、ここで次に大切なのは、プライオリティーと目標をリズムと区切りの中に取り込んで、戦略的に生きるということです。こうすることで、目的本位の生活が確立でき、だらだらと時間を浪費したり、頑張っている割には効率の悪い生活をしなくなるので、余計なストレスがたまらないということです。

プライオリティーと目標をリズムと区切りの中に取り込んで、戦略的に生きるということは、受験と同じように、できるところからやる。できるところから始めると、制覇していったことで、それが自信を高め、さらなる動機となり、更に高いレベルへとチャレンジでき、それをこなすことで、一層自信と動機がレベルアップし、どんどん難しいことをこなせるようになる。

車のギアーで、いきなり五速へ行けませんよね。どんなに早く加速してぶっ飛ばしがくても、一速、二速、三速、と順を追ってしか加速できません。人より早く五速まで加速できる人は、ギアーを人より巧みに操れるからです。 ストレスによる影響を軽減しながらより効率的に困難なプロジェクトをこなすのも巧みに加速ギアーを操りながら車を効率的にぶっ飛ばすようなものです。しかも、効率的に加速するこうしたギアーのメカニズムの背景には、モーメントという基礎的な力学があります。まず、軽いギアーの一速である程度のスピードを得ると、それがモーメントとなり、次の少し思い第二速ギアーが効率よく対応し、より高い、第三速へのモーメントを作れるようにできます。こうして、順を追って、つまり、リズムと区切りを戦略的につけながら、荒御魂を驀進させ、快進撃できるのです。

ギアー、慣れるまでは面倒くさいですね。初心者運転者は、ギアーの面倒くささがストレスとなりがちですが、ギアーなしでは、エンジンに対する物理的負荷が必要以上に高くなり、エンジンの寿命を縮めます。車のエンジンを私達の体に例えてみてください。
あなただけのギアーのベストな操作方法をあなたなりに確立してください。
人生とは、とどのつまり、車の運転のようなものです。

車が走り続けるにはガソリンを補給せねばなりません。その為には停車しなければなりません。つまり、休みを適度にとり、食事をしなければいけません。

車を長持ちさせ、できるだけいい状態を維持するには、定期的な検査や修理が必要です。オイル交換などもそうです。私達も、定期的な心身の健康状態をチェックすることが大切です。

完全主義はだめ。第一速から第四速をスキップして、いきなり第五速へなんてといったへたな理想主義もだめ。要は、車の加速ギアーのように戦略的で、プライオリティーと目的のあるリズムと区切りのある生活を、規則正しくやることです

それから、ユーモアも大切。私、冒頭にアホな前置き書きましたけど、これもユーモアです。仲田って言う奴、アホなことぬかしよるな~、って笑ってくれたら幸いです。そもそも、あの精神分析の父と言われるフロイトは、ユーモアとは、心理的な防御メカニズムの一つである、つまり、ストレスなどから心を守る手立ての一つであると議論しました。私も同感です。だから、私は、ユーモアとは、人生における潤滑油であるといいます。
車のエンジン、モーターオイルという潤滑油がなければどうなりますか?

ストレスとは心理的な環境との摩擦です。適応不順のバロメーターです。ユーモアと言う潤滑油で、この心理的摩擦を軽減しましょう。でないと、あなたの心と体、磨耗してしまいますよ。

ある程度の摩擦は避けられませんが、人間の心と体には、自動的修復機能(Homeostasis)が備わっており、これにより、ある程度の磨耗は適時、自動修復されます。これは、主に、睡眠時間に行われ、よって、ストレス管理には睡眠が大切であることも、これでお分かりでしょう。

ユーモアによって、ストレスという心理的摩擦による磨耗を、自動修復のキャパ以内におさえていれば、OK! 当然、睡眠という必要条件付ですが。

ユーモアというのはある程度のストレスを経験し、その対処反応としてでてくるものです。私の同僚のユダヤ人が言ってました。どうして、ユダヤ人はジョークが好きで、ユダヤ人独特のユーモアがあるか知ってるか?それは、ユダヤ人は、旧約聖書の創世記にあるように、400年近くエジプトで奴隷として辛酸を舐め、耐えてきた。神の恩恵により、モーゼによってエジプトを無事脱出したとはいえ、新天地への旅は40年間苦難に満ちたものであった。そして、その後も旧約聖書の他の話にあるように、数々の苦難の連続であった。そして、キリストが現れて、40年ぐらいして、ローマ軍により私達の祖先は国土とエルサレムの寺院を失い、戦後のイスラエルの建国まで、実に、長い間、迫害されながら世界のあちらこちらで、生き延びてきた。ユーモアなしには、俺たちの祖先は、とっくにストレスによる毒で滅んでただろうな~、って言ってました。なるほど、その通りです。ユダヤ人のユーモア、臨床心理学的に学ぶものが多いです。私達もユーモアという心理的潤滑油を活用し、精神的強靭性を高めましょう。

忘年会、しっかり笑ってますか?笑うところに福来りですし。大和魂には幸御魂(さきみたま)というのもあり、七福神という外来のめでたい神様だけが、笑うところにやってくるのではないのです。福は多いほどいいじゃないですか。
次に大切なのは、ストレスへの見方を変えるということです。ストレスに対し、あまりネガティブ、悲観的にならない、ストレスを過剰に敵対視しない、というこいとです。ストレスにビビらされるな、ということです。

認知行動療法的にみて、ストレスに対する見方を変えるだけでも、ストレスによる影響を軽減できます。

ストレスというと、私達は条件反射的に、悪い、と思い込みますが、実は、進化学上、ストレスというのは、痛みと同じように、私達の生体が危険に晒された時に起こる生理心理学的な生体防御反応なのです。

コルチゾンなどのストレスホルモンは、危険を探知したら直ぐに防御対応できるように体を動かせるようにするものです。

コルチゾンは心拍数を上げ、機敏に行動的な対処ができるようにする、進化学上の産物なのです。これなくしては、私達人類は滅亡していたことでしょう。

どうです?ストレスに少しは感謝の念が湧いてきて、ポジティブな見方ができるようになってきましたか? 実は、ストレスにはEustressといういいストレスもあるのです。しかし、これも、一定のキャパを超えると、Distressという心身への毒となります。

問題は、危険にいつも晒され続け、コルチゾンなどのストレスホルモンを血中に放出し続けていると、血管がもろくなり、細胞も破壊され、免疫力も弱まり、循環器系の疾患や感染症だけでなく、がんなどの病気にもなりやすくなります。危険にいつも晒されてなくても、そうだと思いこんでいるだけでも、体はコルチゾンなどを分泌しますから、同じことです。

ストレスをいつも敵対視していると、当然、コルチゾン濃度も慢性的に高まります。コルチゾンの毒性は、荒御魂の毒性のようなものだと考えられます。なぜならば、コルチゾンはなにか大きな困難に勇敢に立ち向かったり、生命への危険において身を守る為に戦ったり、逃げたりする上でも不可欠で、荒御魂の驀進的な力のようなホルモンですが、荒御魂には破壊的な側面があるように、コルチゾンも量が過ぎたり、リズムや区切りなく、いつまでも血中に放出され続ていると体を蝕んでしまうという毒性ももっているのです。こうしたコルチゾンの毒性を最小限にする為にも、ストレスを敵対視しないことが大切です。

森田療法には、カナダ、British Columbia大学のIshiyama博士が説くように、認知行動療法的な特徴があり、こうした思い込みを矯正します。つまり、森田療法は、ストレスに対する間違った敵対視する思い込みを正し、その結果、不必要な血中コルチゾンの毒性を減らすことができます。

糖尿病とおなじように、いつも血中に糖があると、体が破壊されるように、いつも血中にコルチゾンがあると、体が蝕まれるのです。糖は生理学上、生命維持にとって不可欠です。コルチゾンも、危険にたいする生体防御にとって不可欠です。問題は、必要な時だけ取り出し、利用し、そうでない時には血中に分泌、放出しない、つまり、だらだらと浪費しないように、スイッチをうまく切れるようにすることです。

PTSDはコルチゾンのスイッチがうまく切れなくなっています。最近の研究では、ドーパミンのスイッチもうまく機能していないということがわかっています。

ギアーをうまくこなすように、あなたのコルチゾンのスイッチもうまく操作できるようにしておきましょう。その為には、交感神経と副交感神経のバランスを保つこと、つまり、荒御魂と和御魂のバランス、ActionContemplationのバランス、動と静の中道、を維持することです。その為には、日の出と日没によって大まかに区切られたお天道様の動きのリズム、生体時計のリズム、にそったリズムと区切りのある生活をすることです。

スイッチの切り替えが利くということは、つまり、先述した、リズムと区切りのある生活を維持することの大切さとつながります。

まあ、長い話になりましたが、年末のストレスに対する処方箋、“心理屋”主宰の私によると、こういったもんですかね。それでは、皆さん、日の出でもって荒御魂で頑張り、日没からは和御魂でご自愛ください。そして、忘年会、多いに笑い、七福神がやってくる前に大いに幸御魂です。これで、ストレスなんか怖くない!これぞ、お天道様の動きのリズムに正直な、大和魂によるストレス対処方!それじゃ、今日はお開き。

No comments:

Post a Comment