Sunday, March 17, 2013

森田療法の浪人生支援における応用のすすめ:かつての自分もそうであった不合格者への想いを込めて


春となり、気温が暖かくな り、花が咲き、若葉が萌え、生い茂ると、新しい命の息吹を感じ、すがすがしい気持ちで満たされます、と言いたいところですが、全ての人にとってそうではな りません。特に、日本では桃の花から桜の花への過渡期は、受験生にとっての運命の明暗の分岐点とも言える時であり、桜のつぼみの下、自分の受験番号や名前 を合格者発表掲示板に見つけられなかった人にとっては、“春”の実感は覚めてしまった夢のようなものでしょう。そして、“温かかった”その夢が覚めると、 春の夢にあった温かさも一瞬にして“冷めて”しまい、心には失望の穴が開いてしまいます。桜が咲いて暖かい“東風”が吹いていても、自分の心には、その穴 から冷たい“北風”が隙間風ように吹き込んで、しみいる痛みを感じます。

実は、私も大学受験のとき、こうした“寒い”春を3度も経験しま した。桜のつぼみは開花にむけて膨らむ一方でも、当時の私の希望は“つぼみ”の段階で不合格と知った時点で一気にしぼみ枯れてしまいました。そして、こう した経験が2度、3度重なると非常にいたたまれない気持ちになります。自分でも、あれほど落ちても、そして、心身的に落ち込んでも、よく“凍死”しなかっ たな~と不思議なくらいです。よほど脳みそが足りないのか、自律神経が図太いのか。。。こうした自分自身の失敗の経験をも踏まえ、メンタルヘルスの臨床 家、心理コンサルタントとして、大学受験で不合格という痛手を負った浪人生のメンタルヘルスについて考えてみたいと思います。

一生懸命勉 強し、合格する自信があった人ほど、こうした心の痛みはひとしおです。また、一流進学校出身の人や高校時代の成績が優秀な人もより強いショックを受けま す。なぜ、あんなに猛勉強したのに落ちたんだと、自責の念で自問し、失望の上に、自分の能力に対して懐疑的になり、自尊心に深い傷がついたり、イライラし た感情に苛まれることも少なくありません。

それまでいつもクラスでもトップで、進学校へ進み、さらに優秀な成績を維持してきた人で大学受 験の時点ではじめて挫折を体験すると、やはり、不合格という現実がとても不可解に思えます。この背景には、それまで自分の一生懸命な努力がいつも思い道理 に実を結び、自分、自分の能力に対する自信が強く、必然的に高いプライドを持っているということが考えられます。しかし、はじめて“実るはず”の努力が成 果をあげられなかった時、その現実を受け入れることは非常に難しくなります。プライドが失敗、挫折という現実を客観的、つまり、森田療法でいうように、あ るがままに受け入れることを拒もうとするからです。

いつもクラスのトップであったし、進学校で一生懸命勉強したんだから不合格なんてあり えない、進学校のクラスメートのように自分も志望校に合格するはずなんだ、という自信は、ある意味では”思い込み“だともいえます。この、自己、自分の能 力への自信からくる思い込みはプライドによる思い込みでもあり、事実を客観的に認識する能力を喪失させてしまいます。密教にある唯識心理学的にいえば、プ ライドとは煩悩の元とも言われる末那識のようなものであると考えられるでしょう。本当の自分、自分を取り巻く現実の認識を歪曲させてしまう作用がプライド なのです。 

プライドにより客観的な自分と自分が置かれている現実を客観的に認識し、それをあるがままに受け入れられないと、末那識の如く自分の認識をより主観的にするプライドがもたらす“こうあるべき”である自分と客観的な自分とのギャップの狭間でただただイライラするだけです。

こ のような状態に陥ってしまっては、なかなか次の年にむけての受験勉強に熱が入りません。それで、このイライラした状態に対して何かしようとしても、その努 力は空回りで、また更にイライラし、イライラの悪循環にはまり込んでしまい、更に時間と精神的エネルギーを無駄にしてしまい、それが、次のイライラを招く という繰り返しです。 

勿論、こうした空回りを防ぐには、まず、プライドが自分自身、自分の能力、自分の現実への認識をゆがめているということに気付き、これを改めることから始めなければなりません。

一 方、自分でも努力不足だったと感じていた人は不合格を知って失望していても、やっぱり努力が足りなかったからしかたがないと自分の現実をあるがままに受け 入れることができ、失望による心の痛みから、“よし、これをいい教訓として絶対来年は合格するぞ!”と自分に発破をかけ、早速、受験勉強にとりかかるで しょう。

ということは、やはり、臨床心理の観点からみれば、不合格だったという現実をいち早く受け入れた不合格者のほうが翌年の入試に対する合格 率が高いといえるでしょう。不合格であったという現実を受け入れるということは、うじうじ不合格であるはずなんて?と自問する時間と精神的エネルギーの浪 費を最小限に食い止める効果をもたらします。

勿論、戦略的に次の受験に向けて勉強していく上で、なぜ自分は今年(も)合格できなかったの だろうか?と検証することは大切です。しかし、こうした検証は自省であり、客観的に行うものです。表面上、同じように見えますが、このことは、感情的にた だただ自分がなぜ合格しなかったのかと問い詰めることとは違います。つまり、客観的に自分の失敗を分析し、自省検証することは、感情的な要素がなく、冷静 であることです。しかし、後者のケースでは、自分のプライドが客観性を打ち壊し、自省のように見せかけても、実は、ただ自分本位の主観的感情でぶつぶつ文 句言っているのと本質的に同じなのです。この違いを見分けることは、予備校などで進路指導カウンセラーをされている方々が不合格の痛手を経験した受験生を 支援する上で留意すべき大切なことだと思います。

さて、先ほど、プライドが客観性にとってマイナスであり、自省検証することを妨げることを指摘しました。では、ここでいうプライドについてもう少し考えてみましょう。

つ まり、ここでいうプライドは、自分が自分に対して抱く一種の主観的先入観なのです。自分を、無意識、故意、どちらであり、過大評価していることがこの毛色 の先入観の背景にあります。自分を過大評価する傾向は、自分にとって、やはり自分が“可愛い”というナルシシスト的な心理的作用が働いています。発達心理 学的にいえば、こうしたナルシシスト的な心理作用は、土居健郎がいう“健全でない甘え”によるもので、これを更に、John Bowlbyという英国の心理学者の理論から考えると、幼児期における母子間の愛着形成に何らかの問題があったからだと考えられます。だから、私のような メンタルヘルスの臨床家がこうした症例に取り組む時、必ず、その人の子供の頃の愛着形成過程と発達の道程を検証し、それと並行する“甘え”の成長における 問題点を明確にして、戦略的治療計画を練り、実践します。そして、プライドの陰ともいえる、不安、特に、自分に対する潜在意識的な不安、を暴きだし、これを徹底的に治療します。

私自身の臨床経験では、ナルシシスト的、病理的な甘えの症候でもある、自己不安、つまり、自分への自身の欠如、を影から操っている不安を退治する効率的な方法は、やはり森田療法を応用することです。

森 田療法は唯実主義をとり、屁理屈や主観的感情論にいちいち付き合いながら貴重な心理療法、カウンセリングの時間を無駄にせず、やや単刀直入的に問題の核心 に客観的に挑みます。つまり、客観的事実のみ扱うということです。だから、森田療法を導入すると、患者様が屁理屈をこねようとしたり、自己中心的自己過大 評価的な感情論に走ろうとすると、ビシっとそれを指摘し、患者様が自分で自分の事実、自分を取り巻く事実を認識できるようにコーチします。これは、ある意 味では、カナダのBritish Columbia大学のIshiyama先生の指摘にもある森田療法の認知療法的な要素でもあります。

そ して、森田療法では、不安への挑戦を主としますから、事実認識ができると、客観的事実の中の自分と、プライドなどで歪められた主観的な感情論の自分との乖 離が見えるようになり、この乖離が潜在意識的な自己中心的(ナルシシスト的)な病理的な甘えと反応し、自己に対する潜在意識的な不安の存在が認識できま す。

ここからは、自己に対する不安がどのように、人間誰でも生来持ち合わせている自己保存本能的な心理、つまり、森田療法でいう“生の欲望”が反 応しあい、自分を潜在意識的に過大評価し、客観的評価する、あるいは、あるがままに受け入れる能力の邪魔となっていることを突き止めます。そして、客観的 自己検証自省の能力機能が自己不安による自己過大評価による感情的作用により妨げられていることを証明し、一歩一歩、屁理屈や感情論を排除しながら改正し ていきます。こうした治療の効果は、客観的自省的自己検証効果でもあり、患者様のその後の行動の変化とそれが自分にどう影響するかを調べることでわかりま す。

こうしたことから、森田療法の応用は浪人生がプライドに盲目的なならないで、唯実的に自分と自分の現実をあるがままに、つまり、客観 的に、見つめ、受け入れながら、自分の目標達成に向けてより戦略的な行動計画をたてることができ、遂行していける為の支援に活用できるわけです。

森田療法の二大柱は“あるがままに生きる”ことと、“目的本位に生きる”ことです。
“あ るがまま”に生きるというのは、様々で刻々変化する感情に逆らったり、自分の思い道理に操作しようとせず、その時その時、あるがままに受け入れ(この場 合、今年入試に失敗したことは非常に悔しいけど、いまさらぶつぶつ言ったってどうしようもない、とうじうじしないこと)、自分の人生の目的(この場合、次 の年の受験では合格を勝ち取ること)からひと時も目をそらさないということです。いちいち、感情の流れに抵抗しようとしたり、それを自分の思うように操作 しようとすると、こうした感情とのやり取りに時間と精神的エネルギーを浪費してしまい、自分が志望校合格という目的に向かってひと時も無駄にせずに今やる べきことからおろそかになってしまうわけです。

勿論、あるがままに生き、かつ、目的本位に生きる、つまり、自分が不合格になったことへの 感情的な要素にいつまでも振り回されず、また、こうした感情を操作することに時間と精神的エネルギーを浪費せずにこうした失望の感情をあるがままに受け入 れた上で、合格という目的に向かってただひたすら必要なことをする努力をすればいいのです。“本当に悔しいから、来年は絶対に合格を勝ち取るぞ!”という ように。その為には、自分は進学校に行ってたからとか、いつもクラスのトップだったからとかいったプライドに捉われることの元となるような自分本位な感 情的やりとりに時間と精神的エネルギーを浪費し、イライラの悪循環に陥らないことです。

森田療法を活用し、あるがままに、かつ、目的本位に努力すれば、必ず、暖かい本当の春が来ます。

浪人生の、森田療法を活かした戦略的、効率的な健闘を切に願う次第です。

仲田昌史

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