Thursday, March 21, 2013

平家物語と仏陀の涅槃


                                 平家物語と仏陀の涅槃


平家物語の冒頭は、

                                         祗園精舎の鐘の声、
                                         諸行無常の響きあり。
                                         娑羅双樹の花の色、
                                         盛者必衰の理をあらはす。
                                         おごれる人も久しからず、
                                         唯春の夜の夢のごとし。
                                         たけき者も遂にはほろびぬ、
                                         偏に風の前の塵に同じ。

もちろん、高校の古文でもお馴染みで、この冒頭はあまりにも有名で、よく琵琶法師が語るのが定番ですね。平家物語といえば、平清盛を中心とした平家一族の栄枯盛衰を描いたものだといえますが、この冒頭からもわかるように、平家の栄枯盛衰を娑羅双樹の花が咲き散っていくという諸行無常の念に投影しているかともいえます。 でも、仏教的に考えてみるとどうもそれだけじゃないような感じもします。

日本ではもう桜前線が北上しているさなかで、皆さんの心は桜の方に向いていることでしょう。そして、日本人はよく諸行無常の念を“もののあはれ”の心として美しく咲いてはすぐに散っていく桜の花に投影することで世界的にも知られています。しかし、仏教徒としての日本人の“もののあはれ”の心は平家物語の冒頭にもあるように、釈尊のクシナガラでの入滅の際の涅槃と深い関係のある娑羅双樹の花の変化にも見出しているといえましょう。

釈尊は心と体を疲弊させる苦行にはあまり意味がないことが分かり、下山し、尼連禅河(ナイランジャナー)で沐浴し、村の裕福な一族の娘であるスジャータがこしらえた甘い牛乳のおかゆのお布施によって回復する。それから、菩提樹の下にて瞑想にふけったが、その心を乱そうと悪魔の妖精による妨害に見舞われる。しかし、それを克服し、悟りをえる。つまり、大悟、成道し、仏陀となった。 7日間、その菩提樹の下で悟りの喜びを味わい、縁起、十二因縁Twelve Nidanasを悟る。その後、尼抱盧陀樹の下へ移り、7日間、そして、羅闍耶多那樹の下でさらに7日間解脱の喜びを味わった。その後、また尼抱盧陀樹の下に戻り、28日間、自分の悟りを俗世の人々に伝え、共有するかどうか瞑想思索したが、人々は悟りを理解することはできないだろうから、伝えても意味がないと諦めた。しかし、バラモン教の最高神であるブラマー(Brahma、梵天、帝釈天ともいう)が出現し、釈尊に自分の悟りを世の人々に説くように3度も繰り返し請願された。これにより、釈尊はまず自分がかつて一緒に苦行していた五人の仲間に説くことからはじめ、自分の悟りの確かさをも十二因縁を通して実感する。

こうして、釈尊は法(Dharma)に目覚めた者、つまり、仏陀、としてインド北部広く悟りの教えを説いていき、弟子も増えてきた。そして、自分の悟りにある十二因縁に沿って、その最後にある老死を迎え、花が咲く娑羅双樹のもとで涅槃するのです。それを記念する日が旧暦の2月15日と言われ、日本では3月15日に釈尊の入滅を記念する涅槃会(悟りを開いた日を記念する成道会は真珠湾攻撃記念日と同じ12月8日)に行うのです。

京都では涅槃会の行事において涅槃絵(別にしゃれじゃないですが)を公開し、そして、涅槃の際のお供え物である、花供御 (はなくご)があります。ところが、京都の人のユーモアというか、花供御を ”はなくそ”ともじり、“花供租あられ”がよく京都のお菓子屋で売っている。仏さんが死んだら、その鼻くそを食べる?なんていう面白い言い回し。ちょっと脱線しましたが。。。

本題に話を戻しますが、釈尊の人生の結末である涅槃との関連を考えれば、娑羅双樹の花には平家の栄枯盛衰を哀れんだものよりも、むしろ、釈尊の一生の盛衰を投影したものであるともいえます。

さて、釈尊が弟子達に囲まれ、クシナガラで入滅する際、8本の娑羅双樹の中で涅槃することを選ばれました。その理由は、娑羅双樹を通して仏の如来(Tathagata)の超自然的な効果を示す為であります。釈尊の最後のご説法が終わると同時に8本の娑羅双樹のうち、4本が即座に枯れ、残り4本が青々とし、白い花が咲き乱れ、鶴が舞うようであったと言われる。これが、釈尊(世尊)の肉体は涅槃に入りたまえど、説かれし仏法は構成に残りて栄える、という四枯四栄の言われである。つまり、四枯は釈尊の消えてゆく肉体を投影した枯れた四本の娑羅双樹を指し、四栄は仏陀となった釈尊の教え、仏法、が十二因縁を超越した永遠のものであることを、白い花を咲かせた残り4本の娑羅双樹に託したものだと言われています。

今は丁度彼岸の最中で、十二因縁、とりわけ、その中でも生と(老)死の一連性、一貫性をより感じる時でもあります。そして、煩悩を克服し、悟り、仏法に目覚めて、十二因縁を超越して、彼岸の浄土へと渡れ、ご先祖様との再会をもより強く望む時でもあります。  

それまでの煩悩の世界である此岸での諸行無常の中、もののあはれの念で、ただひたすら今という時を一生懸命四諦八正道に精進しながら生きているのです。

平家の栄枯盛衰を哀れんで詠った娑羅双樹の花は枯れてしまいました。それは、釈尊の涅槃の時、荼毘に付され消えていった命が消えた肉体のようなものです。もし、平清盛が仏法に悟り、欲を出さず、権力への執着といった煩悩を克服していれば、平家物語の冒頭だけでなく、その全体そのものがまったく違った話となっていたでしょう。

合掌

仲田昌史

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