Saturday, September 14, 2013

謙遜の美徳、謙虚さの美徳、カトリックのミサ、茶の湯



ルカによる福音書に次のようなことが書いてある:

(イエスは)客に招かれた者たちが上座を選んでいる様子をごらんになって、彼らに一つの譬(たとえ)を語られた。 「婚宴に招かれたときには、上座につくな。あるいは、あなたよりも身分の高い人が招かれているかも知れない。 その場合、あなたとその人とを招いた者がきて、『このかたに座を譲ってください』と言うであろう。そのとき、あなたは恥じ入って末座につくことになるであろう。  むしろ、招かれた場合には、末座に行ってすわりなさい。そうすれば、招いてくれた人がきて、『友よ、上座の方へお進みください』と言うであろう。そのとき、あなたは席を共にするみんなの前で、面目をほどこすことになるであろう。 おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。 (ルカ、第十四章、7-11)

これは第22主日(C年)における福音朗読の一部である。

イエスはこの婚宴のたとえ話を通して謙遜の美徳について教えていることがわかる。

これを読んでまず頭に浮かぶのはどのようなイメージだろうか?

9月6日のこのブログ(On Humility - Wedding Banquet, Japanese Tea Ceremony, the Kingdom of God, reflection of the 22nd Sunday Gospel Reading Year C)に詳しく書いたが、やはり、日本人としてまず浮かぶイメージは婚宴よりも茶室における茶の湯である。

茶室の庭の蹲でまず清めをしてから、躙(にじり)口という、小さな入り口から、座ったままで茶室の中に入る。そして、どこに座るか決める様子が、このイエスの婚宴のたとえ話から彷彿される。

イエスが婚宴のたとえ話でいう上座とは、茶の湯における主客の座る場所に相応する。茶の湯において、だれが主客の席に座るか決める際、仮に自分が主客であっても、遠慮して自分からは座ろうとしないことが多い。勧められて、やっとそこに座るのがよいとされる。つまり、日本人の美徳感覚では、主客の席のようなものは、内心、誰もが座りたいと思っていても、遠慮し、譲りあい、皆からその場で勧められて、感謝の気持ちを示して、座るのである。

イエスは、こうした席に自分の欲、内心、を丸出しにして、我が物だと座るのは、みっともない、恥ずかしい、行為だと示唆している。常に、自分より身分の高い人、偉い人がいるかもしれないということを認識し、謙虚でなければならないと諭す。

更に、イエスは、謙虚さがとどのつまり、自分の面子を壊さない上でも重要なことであるとも示唆している。

アメリカの文化人類学者、ルースベネディクト、が“菊と刀”で指摘しているように、日本人は本音と建前を使い分ける。そして、それは日本人が面子を維持することにこだわるからだと分析している。こうした性質を持つ日本人にとって、このイエスの謙遜の大切さについての婚宴のたとえ話はクリスチャンでない方にとっても受け入れやすいものであろう。しかも、このたとえ話のポイントは、茶の湯の席決めのポイントにも相通ずるものがあるから、日本人にとってよりわかりやすいかと思われる。

もし、イエスがほぼ2,000年前、ローマ帝国支配下のユダヤの国、ガレリア地方、ではなく、戦国から安土桃山時代に日本各地を歩き回りながら説教していたとしたら、丁度、千利休が茶の湯を堺で教えていた頃で、謙遜についての説教をするうえで、婚宴のたとえ話をするよりも、茶の湯のたとえ話をしていただろう。先に引用したルカの福音書の話を茶の湯に置き換えて読み直してみると面白い。

また、ルカによる福音書第十三章23節から24節にはこう書いてある:ある人がイエスに、「主よ、救われる人は少ないのですか」と尋ねた。 そこでイエスは人々にむかって言われた、「狭い戸口からはいるように努めなさい。事実、はいろうとしても、はいれない人が多いのだから。これは、イエスが救われたものが神の国(天国)へたどりつくには、努力を要する狭い戸口からしか入国できないと諭しているのだが、この教えには謙遜の教えをも含んでいる。つまり、自分のプライドのよる努力よりも、謙遜の心からの奉仕の努力こそが神の国への唯一の入り口である“狭い戸口”から入ることができる為の条件であると教えていると考えられる。そうであれば、イエスがここでいう“狭い戸口”とは、茶室の中を天国にたとえるとすると、まさに、躙口に比喩することができる。もし、イエスが千利休の時代に日本を歩き回って説教していたら、天国への狭い戸口を茶室の躙口に例えていただろう。

実は、“塩狩峠”などで有名な、プロテスタントの小説家、三浦綾子さんが、“泉への招待”というエッセー集の“狭き門より入れ”という章の中で、千利休は、聖書にある“狭い戸口から入るように努めなさい”という聖書の言葉に触発されて躙口を考案したことの可能性を示している。この背景には千利休が宣教師の影響を受けたことを示唆するものがあるが、千利休の秀でた弟子、摂津城主であった高山右近、はキリシタン大名であったことからも納得がいく。

そもそも、カトリックのミサと茶の湯には類似性があることは多くの人が指摘している。また、カトリックのミサと茶の湯、両方に参加した人ならこの類似性についてすぐに納得がいくはずである。

まず、カトリックの教会に入るときは入り口にある聖水で清めを行う。これは、茶室に入る前に蹲で禊をするのに似ている。そして、教会の席に座る前にはキリストの聖体が保管されている聖櫃に向けて膝間付いて敬意を示す。 この膝間付きの行為は謙遜の表現でもある。そして、これは、茶室に入る際、躙口の前で足を畳んで座り、座ったままで体を動かして、低身の姿勢を示すことに相応すると思われる。勿論、低身の姿勢は謙虚さを示す。つまり、聖水であれ、蹲であれ、清めることで、謙遜の反対的要素である自分の驕りやプライドの元である自我、エゴ、を洗うのである。だからこそ、膝間付いたり、座禅の姿勢でより聖なる所へと身を運ぶことができるのである。そうのような清い謙虚な心であれば、聖なる場所で、自分の欲望丸出しで一番いい席に座り込もうとするようなことを卑しみ、自ずといい席を譲り合うようになるものである。

ミサにおける聖体拝領において、パンがキリストの御体となり、ぶどう酒がキリストの御血となる。聖体拝領において、先ず、一礼して、パンの姿をしたキリストの御体を分かち合うように、茶の湯においても先ず、一礼して茶菓子を分かち合う。続いて、聖体拝領では、また一礼して杯に入ったぶどう酒の姿をしたキリストの御血を飲み合う。一人が飲み終わると杯を丁寧に清め、次の人が一礼して飲む。茶の湯においても、濃茶を一つの茶碗で一礼しながら回し飲みします。同じパン、同じ茶菓子、同じ杯のぶどう酒、同じ茶碗の茶を分かち合うことは、参加する人すべての連帯感を高めます。

カトリックのミサにおける聖体拝領はイエスが自分が十字架で処刑される前夜にエルサレムで行った最後の晩餐です。自分の命がまもなくなくなるということを自覚していたイエスは手遅れになる前にどうしても愛する12人の弟子達と一緒に親密な連帯感を高めておきたかったのでこの晩餐を開いたのです。茶の湯においても、これが起こった戦国時代という歴史的背景を考えれば、いつ誰の命が奪われるか分からない先行き不透明な時代に、同じ茶碗で飲むといったことを通して親しい仲間の間での連帯感を高めておきたかったという心理的要素があったと考えられます。つまり、ミサのおける聖体拝領であれ、茶の湯であれ、参加する皆が謙虚になることで一心同体となり、すべてを分かち合い、共有するということを通して敬意を払い、連帯感を高めるのです。こういった場において、自分だけが特別扱いを受けようとする者は、まさに“でる釘は打たれる”で、受け入れられません。そもそも、そういった者は、膝間付いてから教会で着席したり、躙口の前で膝を畳んで入ることはできません。

よく、キリスト教は個人を重んじる西洋の文化を代表するものだと思われていますが、イエスが説いた、福音書に記されている、本来のキリスト教というものは、むしろ、日本の伝統的精神文化に近いものだといえるでしょう。西洋文化に影響を与えたキリスト教というのは、そもそも、313年にローマ皇帝コンスタンティヌ一世が、自分の政治的都合からそれまで迫害していたキリスト教を利用し、自分の名誉を肥やす手段(ミラノ勅としたのが西洋的なキリスト教の始まりです。しかし、この皇帝はその後、またキリスト教徒を自分の都合しだいで迫害しましたが。。この事実を見逃さずに改めてキリストの教え、つまり、ローマ帝国主義に“汚染”されていない“あるがまま”のキリスト教を知れば、キリスト教がいかに日本の精神文化や伝統文化と似通ったものが多いかが分かると思います。それは、かつての日本帝国主義に“汚染”された偽りではない、本来の日本人の伝統的精神との類似性のことです。

謙遜の美徳、謙虚さの美徳は、戦後アメリカからもたらされた個人主義の影響で、現在では以前のように重視されていないようですが、日本人の精神的な面からの亡国を手遅れになる前に防ぐ為にも、しっかりと代々継承していけるように努めねばなりません。その為には、茶の湯であれ、キリストの教えであれ、あらゆる手段をとり、より統合的、多角的に日本人の伝統的美徳を教えていくのがいいでしょう。

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