Monday, September 23, 2013

45歳の娘の胸を触りたがる77歳の父親の行動から学んだこと ー 臨床心理の常識を超えて




今朝、45歳の女性の方が相談に来られ、認知症を患う77歳の父親の”いやらしい”行動にどのように対処すればいいか悩んでおられるということでした。

”お父様の’いやらしい’行為とは具体的にどういうことですか?”、と尋ねると、それは、彼女が父親に身を寄せて親子の愛情を示そうとしたり、介護の為にオムツを替えようとすると、時々、いきなり彼女の胸を触ろうとしたり、胸に自分の顔を押し付けよとしたりする行動をし始めたということです。

彼女によれば、この父親は厳しくても、いつも自分や自分の兄弟達、それに、亡くなられたお母様を優しさと強さで守り、養ってくれた人だったということです。まじめ、規律正しい、勤勉、ストイックだが”父親的な”思いやりがあるよい父親であったということです。どうやら、典型的なドイツ系です。しかし、6年前にお母様が亡くなられてから、落ち込むようになり、心配した彼女が自分の住む家に移り、一緒に住むことを勧めても、持ち前の頑固さで拒否しました。父親は、母と一緒に41年前に購入し、自分や兄弟達を育て上げてきた長年の家を手放すことに強い抵抗を示しました。そこで、彼女は自分の夫と相談し、自分たちの家を売却し、母の死後父が一人で住んでいる家に夫と子供と一緒に移り住むことで落ち込みがちな父を独りにすることなしに見守ることができると考えたのです。この考えには父親も反対しなかったので、彼女と夫は自分たちの家を売り、子供達と一緒に父親が住む家に7ヶ月後に引越しました。

父が離れることを拒む家に自分たちの家族が一緒に住むことで父親の悲しみも和らぐであろうと思っていたのですが、そうではなく、しかも、物忘れが非常に顕著になりだしたことに気付きました。それでえ、これは普通のグリーフではないと思い、プライマリーケアの医師に父親を看てもらい、その医師は認知症の可能性を感じ、老人医学の専門医チームに紹介すると、そこで認知症であることがわかりました。

あまり微笑まなくなった父親、ぼ~と窓の外を見ながら座っていることが多くなった父親。いつも毎朝必ず読んでいた新聞も読まなくなった父親。ぼ~とテレビを見ていても、殆ど何も覚えていないような父親。自分の子供や自分の兄弟の子供達に会っても、誰が誰であるか認識できなくなってしまったおじいちゃんになってしまった父親。そして、亡くなった母の写真をよく眺めながら母の名前を呼んだり、涙を浮かべている父親。
そして、自律神経の機能の低下も顕著となり、介護が必要となり、主に彼女が2年半前ぐらいからおむつの交換などの介護をしているということです。

当然、彼女と父親のスキンシップは濃厚で親密なものです。しかも、親子です。
彼女は、子供の頃、父は優しくても厳しく、あまりスキンシップを感じることなく育ち、しかも、それが当たり前だと思っていました。だから、こうした介護を通してのスキンシップは未知の経験で、初め、戸惑いがありましたが、すぐに慣れ、寧ろ、”やっと父との肌を通しての温もりを分かち合うことだできる”と思うようになり、思わぬ幸せさを感じたということです。
父親は時々、彼女の顔を見ながら母親の名前を呼んだりすることがあったので、初めは、自分のことを母と勘違いしているのではないかと思っていました。ところが、今からおよそ2ヶ月ぐらい前から、父親は彼女の胸に手を当てたり、胸に顔を埋めようとする行為をとるようになったということです。彼女は非常に気持ち悪くなり、一瞬その場を離れ、いったい自分に何が起きているのかを把握しようとして呆然と立っており、向こう側では父親が悲しそうな顔をして彼女の方を見ているということです。

彼女は、もしかして、自分の父親は脳が耄碌していく過程で性的に異常な症状を呈するようになったのではないかと心配するようになりました。初め、医師に相談しようかと思っていたのですが、やはり恥ずかしく、自分のことよりも、父親のことを思うと、やはり、父のことを恥ずかしい人だと思われたくないという願いから、悲嘆カウンセリングや性的問題についてのカウンセリングをも手がける、私のことを友人から聞き、相談に来られたということでした。

そこで、私は彼女に、お父様が彼女の胸に手を当てようとする時や顔を胸に埋めようとする時、どのような表情であるかを尋ねてみました。すると、彼女は暫く考えているような様相を示した後、”そうですね、今、はっと思ったんですが、父はどことなく嬉しいというか、満足しているというか、何か、'安らか’というか、'幸せ’な雰囲気をかもし出す顔をしていますね”、と答えました。更に調べてみると、彼女も、”べつに下心で私の体に触れようとしているのではないのではないかという気がしてきました”と言いました。
この父親、恐らく、45歳の自分の娘を亡くなった自分の妻の若い頃の姿と交錯したり、或いは、更に遡り、潜在意識的に自分の母親であるかと、認知症的な脳神経機能や心理的な老化によくみられる退行により錯覚している疑いがあります。そうであれば、性的な病理ではなく、老化によく見受けられる脳神経、心理的機能の低下による様相の一つであると受け止め、意義のある対応をすることができます。勿論、更に調べてみたところ、この父親には性的な異常性は見受けられませんでしたし、彼女の胸に対する行為が性的な病理からくるものであるということを証明できる要素もありませんでした。
このように説明した後、彼女に尋ねました。

”お父様、認知症だから、あなたのことを在りし日のあなたのお母様と思い込んだり、また、更に、潜在意識的にお父様の体があなたの体を自分の母親のそれであると交錯させたりしているみたいですね。それでは、これからあなたはお父様があなたの胸の温かさと優しさを求める行為に対して、あなたの愛情でどのように対応していけますか?”
彼女はまた暫く考え始めました。

そして、”さっき先生がおっしゃった、’退行’ということのお話を聞いていて、なんか父が赤ちゃんのようになって行く気がします。人って、年老い、死が近くなってくると、赤ちゃんのようになるのでしょうね。だったら、私もいつかそうなるかもしらないし、私の娘の胸に無意識的に触れていたりするかもしれませんし。よくわかってきました。私の父ですもの。しかも、今では唯一生きている私の親です。できるだけのことをしたいと思います。だから、もう’いやらしい’なんて思わないように努力し、私の胸で父を優しく支えてあげたいと思います”、と少し涙ぐみならが答えました。そして、”あら、私、自分の子供を育てていた時、いつも私の胸を子供から触られ、中には私の乳房を’噛む’のがいたりしてましたが、私はそれを’いやらしい’とか’異常’だとか、’恥ずかしいこと’だなんて全く思いませんでしたから。年老いて、耄碌しながら赤ちゃんに戻っていく父も、私の胸をかつての私の子供だそうであったように求めているんでしょうね。先生、何ていうんでしょうか、母性っていうもの、赤ちゃんの健やかな成長だけでなく、老人が’健やかに”老いを全うできる為にも大切なんですね”、と微笑ながら結論付けてくださいました。

専門家としての私の見解も、彼女の結論に100%同意します。私が更に説明しようとしていたことを、彼女はもう自分で気付いていました。

彼女は、父親の行為が人には言えないような”いやらしい”ものではないか、そしてそれに対して父に恥をかかせるようなことをすることなくどのようにして対処すればいいのかと悩んでいましたが、相談室を出られる時には、自分と父親との深いスキンシップを通した関係とその意義を新たに見出し、しかも、自分が女性として、母親として、そして、孝行する娘としての新たな自覚を母性本能の素晴らしさの再発見と共に実感され、父親が自分の胸に母性本能の恩恵を受けながら’健やか’に老いていくことができるということを嬉しく認識されていました。彼女の胸にはすごく深い優しさがあります。その優しさで、彼女の子供は健やかに育ち、そして、その優しさで今彼女の父は健やかに老いているのです。そのような胸を持つ全ての女性は本当に素晴らしいです。

臨床心理の常識では、夫でもない者が女性の胸を触るという行為は、一般に性的に異常な行為だとされ、犯罪行為でもあります。夫であれ、いやがる妻にエッチな行為をとろうとすると性犯罪として見なすのが殆どの州の法律です。だから、こうしたケースにおいても、そうだから、この父親は性犯罪の現行犯として警察に通報すべきだとか、この父親には、介護をする娘の胸を絶対に触らせてはならないなどと、対応すると、いったい誰の為にどのような利益があるのでしょうか?そして、そうすることで社会がよりよくなるのでしょうか?

彼女にも言いましたが、ただ留意すべきことは、この父親の胸を求める行為がエスカレートするようであれば、精神病理学的、及び、神経病理学的な角度から再検証し、新たな対処法を考えねばなりません。しかし、そうでない限り、森田療法でいうように、しかも、彼女自身が私との会談の中で自覚したように、”あるがまま”に受けいれ、それに意義を見出せるように建設的に対処すればいいのです。

彼女の父親はある意味では幸せです。なぜならば、健やかに老いていく過程で母性本能の温もりを赤ちゃんの時のように、とはいえ、新たな意義で、また体験しながら人生を全うできるからです。もし、自分の娘ではなく、全くの他人による介護を受けていて、いきなり女性介護師の胸を触ったとすると、厄介にことになりかねません。

今の日本では家族関係の希薄化とそれがもたらす様々な問題が顕著となり、連鎖反応的に多様な社会問題とつながっています。こうした日本の現状の中で、あえて、私は家族の絆、スキンシップ、の重要性を強調したい。スキンシップによる絆とはお母さんの胸に赤ちゃんが安心して触れられることから始まり、それがJohn Bowlbyなどが説く愛着形成理論が健全な人格形成に強く影響して成人となり、そして、健やかに老いて行く過程においても、やはり、こうしたスキンシップによる家族の絆は大切である。今の日本のお母さん達、自分の胸の形が崩れることを恐れるが故、あめり自分の胸を赤ちゃんに触らせないようになった。だから、精神的免疫力ともいえる精神的強靭性が欠如する、いわゆる”キレ”やすい子供や若い大人が増える一方、母親の胸に象徴される母性本能的な愛に再度ふれることなくして寂しく死んでいく老人が多いのではないか。

まあ、そうして老いの過程で母性本能のご利益に預かることなしに死んで行く老人達にも、女性的なイメージのある観音菩薩は、全ての凡夫を救うことが本願であられる阿弥陀如来の慈悲の光でもって、何らかの形で女性の胸の温かさと優しさをお与えくださるであろう。でも、やはり、阿弥陀如来の召使である観音菩薩のご利益だけでなく、自分の肉親である母親の温かさを肌身で感じられるような家族の絆を世代を超えて体験できるような世の中を目指したい。

それは、良い意味での土居健郎がいう”甘え”であり、河合隼雄などがいう日本は本来は母性社会であったことを示す母性愛を欲する日本人の深層心理にとっても非常によろしいものでありましょう。

アメリカよりも高齢化が進んでいる日本で暮らす皆様にとってこうした問題はアメリカの方よりもより早急な問題ではないでしょうか?だから、まず、取り急ぎ日本語で書きました。

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