Tuesday, August 8, 2017

被爆国日本:被爆犠牲者の白骨を埋めた焼け土に今咲く白い花を守る為に



二度あることは三度ある、といいますが、昭和20年8月、わが国に2発も落とされた原爆、絶対に三度目があってはいけません。

しかし、長引く戦争を早期に終結さることで、日本上陸による更なる戦死者の出現を防ぐ為にも、広島と長崎に原爆を投下することは”必要”だったと一貫して主張するアメリカは、2発の原爆を日本に落としてから、寧ろ、核兵器開発にどんどん加速をつけ、対抗するソ連と核兵器開発競争の凌ぎを削ってきました。この米ソ間の競争に、英、仏、中華人民共和国、インド、パキスタン。。。そして、今では北朝鮮、が世界規模での核兵器競争に参加するようになりました。そして、広島、長崎への原爆投下から72年目の今日、かつての米ソ間の冷戦時代以上の核兵器の脅威に晒されています。核兵器保有国の”仲間入り”をしたがる北朝鮮ですが、世界で最初に核兵器を保有したアメリカへの敵対心を核によってむき出し、アメリカとの核戦争さえも辞さない構えです。

このような原爆投下後の世界の核兵器に関する現実、現状、を考えると、人類は広島と長崎への原爆投下からいったいどのような教訓を得たといえるのでしょうか? そして、今年(2017) 7月、日本は国連において、核兵器廃絶への核兵器禁止条約 (Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons)に批准しませんでした。世界唯一の被爆国である日本がこの条約を事実上ボイコットしたということは世界を驚かせました。こうしたことからも、いったいわが国は広島と長崎の教訓を活かしているのか、疑わざるを得ません。

このような日本の摩訶不思議な態度の背景には、日米同盟の盾の裏にあるアメリカの目に見えない差し金があることが考えられます。日米同盟というのは、ある意味ではアメリカの核の傘による保護というようにも特徴付けられるように、日本は核兵器保有国とならなくても実質てきには核保有国のように、この同盟により在日米軍が保有する核兵器によって守られているというものなのです。建前上、日本は非核ですが、本音というか本質においては、日米同盟による在日米軍ゆえ、実質的には核兵器保有国と同じなのです。そして、このような現状が今でも可能なのは、実は、広島と長崎への原爆投下直後の一部の日本政府関係者達の対米姿勢から始まったのです。なぜならば、原爆投下からすぐ後に、彼らは戦勝国となることが時間の問題とわかっていたアメリカに対して媚を売り始める為にアメリカへ非常に協力的になろうとし、アメリカが原爆投下が実際の人体にどのような影響を与えるかについての科学的、医学的、データを何よりも欲しがっていたことを察知しており、被爆によって死亡した人たちを病理解剖し、まだ生きていた被爆者達に様々な人体実験といえるようなことを医療行為のようにみせかけて行ってました。勿論、こうした日本人医師達やその背後にある政府関係者達の意図は、被爆者への思いからではなく、自分達がアメリカから”日本の優等生”と見られたいという欲望によるものだといえます。つまり、同じ日本人でありながら、彼らは自分達が原爆を投下したアメリカという国から好意的に見られたいという理由から、被爆者達を利用したといっても過言ではないといえます。そして、こうした背景の産物が、今でもその一部が広島にのこっている原爆傷害調査委員(Atomic Bomb Casualty Commission)です。ここでは今でも被爆者の追跡調査を医学的に行うだけで、被爆者に必要な治療などはいっさい行いません。

まだ終戦前、原爆投下直後から一部の日本人が原爆投下を自分達の対米政治的利益追求の為に利用していたことと、昨年、日本が国連で核兵器廃絶への国際条約を唯一の被爆国であるにもかかわらず批准しなかったことは無関係ではないと考えられます。

確かに、現在進行形のアメリカと北朝鮮による核兵器に関する緊張増大もハラハラさせる大きな課題ですが、やはり、日本人としてそれ以上に真剣に考えておくべきことは、やはり、こうしたわが国内部にある、盲目的対米追従に潜む核兵器の脅威に対する無頓着さだといえます。

戦後から現在にかけての地政学的情勢を鑑みれば、日米同盟はいたしかたなく日本の安全保障にとって必要です。国際法でも自然法でも支持される集団的自衛権の行使そもものが問題であるわけでもなく、本当に恐ろしいのは、日本人の中に、広島と長崎で見せ付けられた核兵器の恐ろしさの現実に今でも盲目で、それを世界で一番最初に開発、投下、そしてその開発競争覇権の座を死守せんとするアメリカの核兵器政策を全面的にバックアップすることで甘い汁のおすそ分けを欲しがっている人たちです。彼らの目には、被爆して苦しんでいる人たちへの共感などはなく、こうした状態をどのように自分達の利益とつなげていくかとしか考えられない人たちなのですから。

二度あった、しかも、わが国日本に被られた原爆投下、三度目を絶対に許してはいけません。もし、ここで失敗すれば、2,670年以上途切れなく続く世界で稀な日本の皇室も、万世一系の天皇を君主とする日本の国体維持だけでなく、日本人を含めた世界人類、世界全体そのもの、地球全体が破壊されるでしょう。そして、こうした核兵器開発競争の究極的終焉までの間に多大な利潤を得た、かつて広島と長崎で呻き苦しみながら、水を求め続けながら、蛆虫に食われ続けながら強烈な悪臭を放ちながら死んでいった被爆者達を政治利用して利益を得た人たちの末裔は、アメリカの核兵器推進派と一緒に秘密裏に開発されていた宇宙船で破壊寸前の地球から脱出していることでしょう。勿論、その後に必ず、核兵器とは比べ物にならない神による裁きがあるのですが。


”ふ~るさ~とのまち焼かれ、身寄りの骨埋めし焼け土に~。今は白~い花さ~く。ああ、許すまじ原爆を~、三度許すまじ原爆を~。” 浅田石二作, “原爆を許すまじ


原爆によって犠牲となった方々の焼土の中の(白)骨と、戦後、復興した被爆地に咲く白い花の修辞的コントラストは私達に何を訴えんとしているのでしょうか?  今を生きる私達が、原爆を三度許すまじ続ける限り、かつての地獄には美しい白い花が咲き続けることができます。

原爆投下で白骨化した犠牲者達の魂が今年もまたかつての焼け土に白い花を咲かせてくれます。そして、この白い花は、1968年の核拡散防止条約(Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons) よりも更に上の, 被爆者の思いより一層反映している2017年の核兵器禁止条約 (Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons) が目指す 核兵器がない平和な世界への思いを象徴するものでもあります。しかし、かつて、被爆によって苦しんでいる人たちを自分達の対米利益追求の手段として利用した一握りの心なき日本人の末裔達がいつこの白い花を踏みにじり永遠に枯らしてしまうか分りません。そして、この白い花がもう見られなくなった暁に、三度目の惨事が起こり得るのです。これは留意すべく預言でもあります。

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