Sunday, August 5, 2018

原爆で地獄化した広島でアルーペ神父の働きに神を見出す


日本で被爆したペドロアルーペ神父のことを知ってる人ってどれくらいいるんでしょうか?広島の人でも知らない人がたくさんいるようです。 


あの暑い日、原爆が広島に投下され、爆心地にいた人たちは一瞬のうちに蒸発してしまい、そうでなければ即死。。。そうでなければうめきなが苦しみながらバタバタと死んでいきました。原爆は広島を一瞬にして地獄にしてしまいました

当時、爆心地から4.5キロ離れたところにイエズス会の修練所(長束修練所)があり、そこの長をし、日本のイエズス会の修練士達の指導監督をしていたのがペドロアルーペ神父というスペイン、バスク地方、出身のイエズス会士した。強い爆風により修練所にも相当のダメージがありましたが、建物の全壊はまのがれ皆無事でした。しかし、一時間もたてば修練所のまわりにも沢山の負傷者が現れ始めました。それを見たアルーペ神父は、羊飼いなき羊たちのようにさまよう民衆を見て深く憐れまれて対応されたイエス(マルコ6:34)のように、即座にイエズス会の修練生達を指揮、総動員し、負傷者たちの手当てに励みました。そして、修練所を野戦病院として負傷者たちを収容しました。 自分達は今日何を食べるのか、これからどうやって修練所を立て直すのかなどということに構ってられませんでした。

アルーペ神父はイエズス会に入会する前、マドリッドで医学を学んでおり、しかも、スペインでトップレベルの医学生であったので負傷者の手当てとその指揮は的を得たものでした。しかし当時、充分な薬や包帯などがなく、それでもあるものすべてを使ってケアにあたったのです。アルーペ神父を始め、他の3人のイエズス会神父と修練士達は、ただただ神に祈りながら体力の限界を超えてまでも次から次へと現れる被爆者達のケアに尽くしたのです。


人に潜む悪魔によって広島が一瞬のうちに地獄と化しても、アルーペ神父のように神の僕が神の慈愛と慈悲の代表として苦しむ被爆者のケアに地獄の中で一生懸命取り組んでいたのですこうしたアルーペ神父の広島の原爆地獄での神の慈悲を示す活動は、長崎の原爆地獄で相当な被爆により自身が苦しみながらも負傷した被爆者達のケアに尽くしたカトリック信者の医師、永井隆博士の活動にも見られます。ただ神の救いの恵みを受動的に享受するのではなく、自ら進んで神の慈愛の実践することにより私達も神の救世活動ミッションの一躍を担えるように教えたのがイエスキリストです。よって、宗派の如何に関わらず、クリスチャンたるものはアルーペ神父をはじめとする長束修練所のイエズス会士達、また、カトリック信者の医師、永井隆博士、のように、イエスが説いた善きサマリア人の如く憐れみの心に満ちた慈愛で持ってイエスの善きサマリア人の例え(ヨハネ10:25-37)で出てくるサマリア人の如く苦しみにある隣人を助けるのです。最後の晩餐でイエスは弟子達がお互いにアガペの愛し合うこと要求し、そして、アガペの愛での行動でもって人々は彼らがイエスの弟子であることを知るものだと諭したように(ヨハネ13:34-35)、アルぺ神父をはじめとする長束修練所のイエズス会士達や永井隆博士はその愛の行動でもってイエスの弟子であることだけでなく、地獄にされた広島や長崎でもイエスの救いへの光が届いていることを示したものだといえます。


アルーペ神父のケアを受けることで少しでも楽になり、神の手の中にいる慈愛のぬくもりを感じながら最後の時を過ごせた被爆者が沢山いました。そして、被爆者が亡くなったあと、神父は彼らの亡骸を手厚く葬りました。 ある意味では、これは、アルーペ神父達の被爆者へのケアは緩和療法、ホスピスのような働きをしていたといえるでしょう。


イエズス会のモットーの一つに、全てのものに神を見出す、というのがあります。これは、神に見捨てられた、神なんていない、また、ニーチェの有名な言葉にあるように、神は死んだ、なんて思わせるようなところにでも、いや、慈しみ深い神は存在する!ということを示すこと、そうしたところにこそ慈愛に満ちた神を見出すということではないでしょうか。そうであれば、原爆投下後の広島の地獄の中でのアルーペ神父の存在によって、神はこうした地獄の中でも愛する人間と一緒でありその慈愛で接することなのだということが分かるのではないでしょうか。 それを示すのがアルーペ神父の存在だといえます。


奇しくも、広島原爆投下の日、8月6日、は主イエスの変容の祝日です。イエスがガレリアのタボル山でまぶしい光の中で変容したことを記念し祝う日です。そのまぶしい光は神の栄光の光ですが、昭和20年のこの祝日に広島で光った太陽の光よりもはるかに明るい原爆の閃光は人間に潜む悪魔によるものでした。あの日、広島がその閃光と共に無数の罪なき市民が無差別に殺され地獄と変貌し、一見、悪魔が勝ったようでしたが、果たしてそうでしょうか? 

アルーペ神父のような神の僕、神の慈愛の代表者の存在と働きを知り、それを受け継いでいく人がいる限り、私達は神の勝利を証明し、神の栄光が世界を満たすことを実現できるのです。そして、それがアルーペ神父が示したアガペの愛なのです。そして、ヨハネがその第一の手紙、4:8で記しているように、神とはアガペの愛なのですから、アガペを神の名において実践するアルーペ神父のような人は神の善き僕、代表、なのです。

全ては神の偉大な栄光の為に。。Ad Majorem Dei Gloriam!

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