Monday, August 13, 2018

長崎浦上天主堂から鳴り響くアンジェラスの鐘とマリア像が語り続けるもの:如己愛人による平和



長崎の浦上天主堂の鐘、アンジェラスの鐘、は今日も一日3度鳴り響いています。そして、天主堂にある被爆した、今では頭部だけのマリア像はいつも私達をじっと見つめています。

この鐘の響きはいったい何を語っているのでしょうか?何を訴えているのでしょうか?そして、この鐘そのものは何を意味しているのでしょうか?

このマリア像は私達を見つめながらいったい何を訴えているのでしょうか?そして、この像そのものは何を意味しているのでしょうか?


               


浦上天主堂そのものは昭和20年8月9日の米軍による原爆投下にて一瞬のうちに外壁の一部を除き破壊されました。まさに、紀元70年にローマ帝国によって聖都エルサレムが焼き尽くされた時、かつての栄華を極めた大神殿はその西側の壁を除きすべてが破壊されたことのようでもあります。しかし、原爆による破壊力はスケールが桁違いです。

実は、この天主堂には破壊されなかったものが2つあります。その一つがこのアンジェラスの鐘であり、もう一つは木製マリア像の頭部です。

長崎に投下されたプルトニウム爆弾は浦上天主堂からそれほど遠くない上空500メートルで炸裂したため、天主堂の鐘は完全に溶けてしまい、木製像なんて完全に灰となっていたというよりも蒸発していたはずです。なぜならば、このプルトニウム爆弾が炸裂した時の温度は摂氏30万度という気が遠くなるような恐ろしさだったからです。太陽の表面温度(摂氏約6,000度)よりもはるかに高い温度ですから。それなのに鐘は融けなかったどころかその原型を失っていません。また、木製のマリア像、頭部だけしか残ってはいないとはいえ、燃えた形跡すらなく、炭化することもなく、その聖母マリアの顔を認識できます。

太陽の温度よりもはるかに高い熱に晒されても破壊されなかった浦上天主堂のアンジェラスの鐘とマリア木像の頭部。まさに、旧約聖書ダニエル記3章に記されている、バビロニア帝国のネブカデネザル王が強いる偶像崇拝を神の名の下に拒否したがため、縛られて灼熱の炉に放り込まれた、シャデラク、メシャク、アベデネゴ、の3人が無傷で生き延びていたことのようです。堅い信仰心のこの3人が神の加護により炉の中で焼かれることなくいられたことのように、大浦天主堂のアンジェラスの鐘と木製マリア像の頭部が破壊されることなく広島に落とされたウラン235爆弾の1.5倍ほどの破壊力をもつプルトニウム爆弾の灼熱と衝撃から守られたことは、神の計らいによるものとしか言いようがありません。

鐘は原型を留め殆ど無傷ですが、灼熱の地獄の中でも焼けなかった木製マリア像の頭部は顔に大やけど“の傷跡が残っており、特に、かつて美しい硝子がはめ込まれていた目は硝子が"蒸発”してしまい、窪んでいます。


原爆の破壊力のすさまじさは言うまでもありません。 そして、このような恐ろしい大量殺戮兵器である原爆を開発し使用する戦争の恐ろしさを知らしめること、そして、このことを忘れないようにという願いがこめられていることは勿論です。更に、この恐ろしさを忘れ、再度、このような戦争をすることになりまた核兵器が使われるようなことがあれば、人類は滅亡しかねないという預言的な警告も含まれているといえるでしょう。しかし、これらだけでしょうか?

原爆が破壊しうるものは、物質的なものだけでなく、人の心も傷つけ破壊します。太陽の表面温度よりもはるかに高い灼熱地獄を耐え抜いたとはいえ、マリア像頭部の顔には大やけどの傷跡が残っているように、 原爆は多くの人に心身的なトラウマを残しており、心をこえたプシケにも深い傷を刻み込んでいます。そして、こうした傷跡は被爆者の世代を超えて、今でも私達の心とプシケに刻まれています。

しかし、いくらその破壊力が計り知れないものであり、物質的なレベルを超えたものであっても、やはり原爆でもっても破壊しきれないものがあります。 原爆が破壊できなかった浦上天主堂のアンジェラスの鐘と木製マリア像の頭部が象徴するそれはいったい何でしょうか? 

アンジェラスの鐘とマリア木像の頭部が象徴し語り続けているもので忘れてはならないことは、原爆に象徴される悪魔が破壊できないものなのです。そして、これが何であるか知っててこそ、原爆を作り、落とした人間の心に潜む悪魔がもたらす破壊的な力に打ち勝つことができるのです。


原爆投下直後の地獄の中で、アガペの愛に満たされた、ペドロアルーペ神父、肥田舜太郎医師、永井博士、のような方々が、我を忘れて苦しみにある被爆者の為に全力でケアにあたっていました。こうした隣人愛の行為は、神はこのような地獄の中でもこうした人達の愛の行動に見出すことができると証明しているのです。そして、原爆投下直後の広島と長崎の地獄の中で、これらの人が示した隣人愛とはまさにキリストが善きサマリア人のたとえ話(ルカ10:30-36)でもって説いた、神を全身全霊でもって愛することと並行して隣人を己の如く愛せよ(ルカ10:27)というアガペの愛なのです。そしてこのアガペの隣人愛の実践こそ、原爆に象徴される悪魔の力に勝つ力であるといえます。パウロがコリント人への第一の手紙の13章8節にて愛(アガペ)は不朽であると説いているように、聖霊を通した神の恵みにより人間の心に芽生え、育つアガペの愛は原爆であれであれ、悪魔のどのような力でもっても破壊できないのです。


カトリック信者でもあった長崎医科大(現、長崎大学医学部)の放射線科の永井隆博士はその随想、"長崎の鐘“で、” カーン、カーン、カーン、鐘が鳴る。暁のお告げの鐘が廃墟となった天主堂から原子野に鳴りわたる。..... カーン、カーン、カーン, 澄みきった音が平和を祝福してつたわってくる。事変以来長いこと鳴らすことを禁じられた鐘だったが、もう二度と鳴らずの鐘となることがないように、世界の終わりのその日の朝まで平和の響きを伝えるように、カーン、カーン、カーン,とまた鳴る。人類よ、戦争を計画してくれるな。原子爆弾というものがある故に、戦争は人類の自殺行為にしかならないのだ。原子野に泣く浦上人は世界に向かって叫ぶ。戦争をやめよ。ただ愛の掟に従って相互に協商せよ。浦上人は灰の中に伏して神に祈る。ねがわくば、この浦上をして世界最後の原子野たらしめたまえと。鐘はまだ鳴っている。原罪なくして宿り給いし聖マリアよ、おん身により頼み奉るわれらのために祈り給え“、と記している。

“ただ愛の掟にしたがって”。。。つまり、これは永井博士自身、そして、広島のアルーペ神父や肥田医師もが実践した、ルカ10:27にあるレビ記19:18に基付くアガペの愛の掟なのです。実は、永井博士が原爆投下によって被爆しただけでなく信者でもあった妻を亡くし、自分が亡くなるまで二人の子供と住んでいた二畳ほどの見た目には粗末な“小屋”は如己堂と呼ばれ、“己の如く他人を愛す”というルカ10:27のアガペの愛の掟がその呼び名の由来です。たとえ、見た目には粗末であっても、この小屋は己の如く他人、隣人を、善きサマリア人のように、愛する、アガペの愛を象徴するものでした。そして、この愛こそ、長崎のアンジェラスの鐘とマリア木像が私達に、核兵器の背後にある悪魔の力に打ち勝つ為に訴え続けているものであります。

核兵器恐ろしさを忘れないことは勿論ですが、それだけでなく、己の如く他人、隣人を愛するアガペの愛の不朽さこそ核兵器の悪魔の破壊力に打ち勝つ神からの力であることを忘れてはいけません。

だから今日も、そして、これからもずっと、如己愛人のアガペの愛で満たされた核兵器なき平和な世界が実現するまで、長崎の浦上天主堂からアンジェラスの鐘は鳴り続け、マリア木像は私達を見つめ続けているのです。

悲しみや怒りや憎しみだけからの反戦、核廃絶運動を進めるよりも、戦争、被爆、による心とプシケの傷跡を抱えながらも、如己愛人のアガペの愛によって癒やされる核兵器のない平和を希求し続けることの大切さを訴えているのが浦上天主堂のアンジェラスの鐘であり、被爆マリア像なのです。いくらその運動が世の為、人の為、といった大義名分であっても、如己愛人のアガペの愛に動機付けられたものでなければ、それは他人に対する同情とそうした行為をとる自分への自己満足でしかありません。パウロもコリント人への第一の手紙13章のはじめの3節にて、如何なる善行でも、それがアガペの愛からのものでなければ無意味であると説いているではありませんか。

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