Thursday, December 27, 2018

あなたはクリスマスを本当に知っているでしょうか? クリスマスと最後の審判

キリスト教徒が総国民の一割どころか、1%に達するかどうかという程の日本でもクリスマスは、クリスチャンの多い欧米のクリスマスに負けないぐらいとても賑やかなものです。聖書を一度も開いた事が無い人、キリスト教について無関心、無頓着、まったく無知な人であってもクリスマスが近付くとお祭り気分となり、プレゼントを買いまくったり、パーティーに忙しくなりますね。そして、どうやらサンタのほうがキリストよりもクリスマスの主人公であるかのような様相を示しているのが現実なのではないでしょうか。

クリスマスセール、クリスマスケーキ、クリスマスツリー、クリスマスパーティー、サンタ、。。。衝動的な買い物、そして、新しいクリスマスに因んだ商品に取って代わられた古いものはごみとして捨てられ、胃もたれするほどの飲み食い、など、こうした物質的側面、快楽的お祭り騒ぎがクリスマスだと思っている人が多数派かもしれないが、こうした人達にとって本当のクリスマスを知れば、びっくりというよりも、意外としらけてしまうのではないでしょうか。

クリスマスの真夜中のミサで朗読されるルカの福音書2章にあるキリスト降臨の話によれば、マリアとヨゼフの二人がベツレヘムの近くまで来た時、マリアは突然陣痛に襲われいつ破水してもいいような状態となり、二人はあわててお産に適当な宿を探したが、どこからも“塩扱い”同然にされ、仕方なく見つけた場所が動物小屋で、イエスはそこで無事に生まれました。小屋の動物たちに見守られるだけで、マリアとヨゼフの他、だれもいません。勿論、助産婦、看護師、医師なんかなしでの、緊急なお産だったのです。マリアとヨゼフはあり合わせの物で処置を施し、薄汚い布で赤子のイエスをくるんで、動物が餌を食べる為の入れ物に置いた。この広い世の中で、貧しい家族は数え切れないほどいても、まして、このような形で産み落とされる子供はいったいどれくらいいるだろうか?

ユダヤの民がイザヤによる預言書などによって700年以上も待ち望んでいたメシアがエルサレムの神殿のような立派な所ではなくベツレヘムの街はずれの薄汚い動物小屋でこのようなとてもみじめな形で降臨するとは誰も想像しなかった、というか、だれも想像できなかったことでしょう。しかし、ルカによる福音書によればそうなのです。ダニエル書9:25やゼカリア書9:9などといったバビロン捕囚時からその後に記された預言によればメシアは王といった形で降臨することを示唆していたので、まさか失われたユダヤの王国(イエスが降臨した頃のユダヤの王国はローマ帝国の支配下にあった冊封国そのものでしかなかった)を救うべく王がベツレヘムの街外れの動物小屋で汚い布で包まれてた哀れな姿の赤子で現れるなんていった誰が想像できたでしょうか。

メシアはエルサレムの荘厳な神殿のどこかに降臨すると考えるのが普通だったことでしょう。しかし、神の計らいはこうした人間の思惑とはまったく裏腹でありました。そして、メシア出現、降臨についての預言も、具体的にいつ、どこで、どのように現れるか明記していませんでした。よって、メシアであるイエスキリストの貧困の中での人目に触れないような明け方前の降臨はまったく不意打ちであり、人間の心の盲点をついたものであったといえます。このことは、本当のクリスマスを理解する上で神学的に非常に重要なことです。

こうしておよそ二千年前のベツレヘムの街外れの動物小屋で貧困さの中で降臨したキリストを最初に謁見できたのは当時夜通しで羊の見張りをしていた羊飼い達でした。当時のパレスチナにおいて羊飼いは、かつての日本でいえば、所謂、“部落民”と呼ばれていた人達が就くような職でした。神は、当時社会の最底辺にあるとされた羊飼い達に天使を遣わし、彼らを動物小屋へ導き、生まれたばかり、降臨したばかりのキリストを、世界中の誰よりも先に直に見ることができるようにしたのです。メシアである神は、ダビデ王やソロモン王の頃のユダヤイスラエル王国の栄光を復活させるユダヤ人の新しい王として司祭達などの宗教家や社会の特権階級者などの目の前に降臨しませんでした。が集うエルサレムの神殿ではなく、メシアである神は、ダビデ王やソロモン王の頃のユダヤイスラエル王国の栄光を復活させるユダヤ人の新しい王として司祭達などの宗教家や社会の特権階級者などの目の前に降臨しませんでした。バビロン捕囚から帰還後に再建し、更に、ヘロデ王のプライドにかけて改築されたエルサレムの神殿ではなく、神はあえて、世間から見放されたような動物小屋に降臨したことを祝すのがクリスマスなのです。ユダヤ教の教典でもある旧約聖書に記されているメシア降臨の預言を理解した上でキリスト教の神学や教理に通じており、聖霊に満たされて、堅い信仰心のある信者でないと、こうした本当のクリスマスの話は何もめでたくありません、というか、寧ろ、ばかばかしく聞こえるかもしれません。この理由について考え、理解することは、クリスマスの意義だけでなく、クリスマスの背後にある神の私達への心を理解する上でも不可欠です。

マタイによる福音書2章1節から12節によると、生後すやすやと育っていたイエスの所へ、特別な星の導きにより、はるばる東方から現れた異邦人の三賢人が貢物を持って参上しました。彼らがイエスを謁見した際に差し出した金と投薬と乳香という貢物からして、三賢人は幼子イエスをもう既に王でありメシアであり司祭でもあると認識していたといえます。そして、ルカ2:21-40によれば、イエス生誕後、モーゼの律法による清めの40日が経ってからマリアとヨゼフがイエスを神に奉献する為に寺院に連れてきた時、多くの人達が寺院にいる中、シメオンとアンナという敬虔深い老人だけがイエスをメシアであると認識し、シメオンは後にイエスがイスラエルの民にどう影響し、それに伴い、母であるマリアも苦しむことを預言しました。シメオンによるこの預言は、イザヤ書52:13から53:12にかけて記されている受難のメシアについての預言を満たすのがまさに今寺院で神に奉献されたイエスという赤子であることを示唆していたのです。

福音書に記されている限り、そのほかだれも貧困に生まれた赤ちゃんをメシアだとは認識できませんでした。ただ、当時、ローマ帝国の冊封国でしかなかったユダの王であったヘロデは、メシアに謁見する道中に立ち寄った三賢人から“新しく生まれたイスラエルの王はどこか?”、と尋ねられたことで、ローマのカエサルの操り人形の同然であっても自分こそがユダヤ人の王であるという誇りで何とか生きていたようなものだったので、自分以外にユダヤ人の王がいるのかと思うと、いてもたってもいられない不安に駆られたのである。しかも、新生の“イスラエル王”に謁見した帰りに立ち寄り、この王がどこにいるのか報告すると思っていたヘロデは三賢人がそれをすっぽかして去って行ってしまったことに激怒し、ベツレヘム周辺の2歳以下のすべての子供達を皆殺しにしてしまいました(マタイ2:16)。しかし、天使がヨゼフにしたお告げのおかげで、肝心のイエスは、マリアとヨゼフと共にエジプトに亡命し、この虐殺から間逃れていました(マタイ2:13-15)。もし、三賢人がヘロデ王の思うようにイエスに謁見した後、イエスの居場所を報告していたならば、イエスはヘロデ王の手によって暗殺されていたことでしょう。しかし、三賢人はあえてヘロデ王の所に立ち寄ることもなく来たときと別の道で帰っていきました。

そして、ヘロデ王の死後、イエスはマリアとヨゼフと共にエジプトから帰還し、ナザレというガレリア地方の村で育ち、30歳ぐらいの時、突然、半年年上のいとこである洗礼者ヨハネが洗礼していたヨルダン川に現れ、洗礼を受け、洗礼者ヨハネはまずこのイエスを旧約聖書でその出現、降臨、が預言されていたメシアであると認識し、イエスの福音を伝道する活動が始まったわけです。しかし、それでも人々はなかなかイエスをメシアであると認識できず、しかも、イエスの弟子達ですらイエスをメシアであると長い間理解できませんでした。

イエスの伝道活動には明確なパターンが見出せます。それは、彼が社会や権力者達から見放されたり、汚らわしいとされている人達に寄り添い、救いの手をさし伸ばす一方、こうした人達を嫌い、疎外したり嘲笑したりする人達を厳しく批判するということです。ある意味では、メシアであるイエスは、自分が降臨したときの境遇のような、社会から見放されているような人達の傍にいることが多く、救いへの道を示す彼が教える福音はこういった人達のほうが社会の日当たりのいいところで暮らす人達よりもよく受け入れることができたということです。

こうして、イエスがガレリア地方からエルサレムに向けて弟子達を連れて伝道活動を続けていくうちに、イエスの活動を煙たがり、やがて彼を殺そうと企てる動きが当時の宗教権力者の間に起こりました。彼らは、イエスなんてメシアではないと断固否定し、彼は自分がメシアだと言って社会を混乱に陥れる危険分子だとみなし、しかも、彼は自分がイスラエルの王だと名乗るのでカエサルにとって脅威となり、ひいてはローマ帝国の国家的安全にとっても障害となる、というでっち上げの容疑を起てて、彼を処刑すべきだと、エルサレムを含めた区域のローマ総督ピラテに圧力をかけ、処刑させたのです。

歴史的にみて、メシアが降臨せんとしていた時、メシアを身篭っていたマリアは“塩扱い”され、動物小屋で産みだし、降臨させたものの、社会はそれに気付くこともありませんでした。そして、イエスが大人になり、洗礼者ヨハネの下で洗礼を受け、伝道活動を始めたものの、社会の殆どの人がイエスをメシアだと認識できず、多くの人達から“塩扱い”される日々でした。“塩扱い”といっても塩撒きながら追い出されるならまだしも、石投げられる中、なんとか危機一髪だったということもあったほど、酷い時もありました。そして、ついに、社会の指導者達から厄介者とされ、エルサレムで嘲笑の中、処刑されたのです。

世間の目からみれば十字架に貼り付けられて死んだイエスの姿は非常に屈辱的なものでした。その頃、やはりイエスは旧約聖書で預言されていたメシアだったかも知れないと多少の希望を抱いていた人も、その希望が打ち砕かれ、イエスはやはりメシアじゃなかったのだと失望したり、混乱と悲嘆の中に落ち込んでいく人達もいました。恐らく、まだ信仰心が欠けていた当時の弟子達の多くもそうだったことでしょう。イエスの十字架での死をイザヤ書52章13節から53章の終わりにかけて記されている預言の実現として捉えることで、やはりイエスこそがずっと預言されていたメシアであり、やがて復活し、この預言の正当性とメシアの勝利が証明される時がくることを実感できる信仰の眼でみることができた人は当時誰一人としていなかったかもしれません。

イエスの降臨から死に至るまで、エルサレムであれベツレヘムであれナザレであれ、パレスチナのどこにおいても彼をメシアと認識したお祭りなんて一度もなかったのです。そもそも、いったい誰が、社会の邪魔者とみなされる人を讃えお祭りするでしょうか?

クリスマスのお祭り気分の中、こうした惨めな人の惨めな生誕から惨めな死についのお話、いったい誰が聞きたいでしょうか?皆がわいわいがやがた楽しく食べて飲んで踊ったりしているクリスマスパーティーの最中にこうした聖書に記されている本当のクリスマスの話や、メシアの人生について話せば、“お前、時と場所を弁えろよな!雰囲気ぶち壊しじゃないか!出て行け!”、と“塩扱い”でしょうね。

キリスト教についての関心や理解が薄い社会にとってクリスマスとは皆がお金を使い、物が売れて経済が潤い、楽しければ、キリストだのメシアだのマリアだのヨゼフだのどうだっていいことかも知れません。

しかし、新約聖書の始まりにあるマタイとルカによる福音書は、母親のマリアが陣痛中にもかかわらず“塩扱い”同然にされ、その結果、動物小屋で惨めな形で産み落とされたことで降臨したイエスという名のメシアが伝道の先々の多くで“神扱い”よりも“塩扱い”された挙句、エルサレムで非常に惨めな形で処刑されたという話ですが、いったいどうしてこのような惨めな生まれで惨めな死に方をした“塩扱い”された惨めな人の話を福音と呼んで喜ぶのでしょうか?今一度、考えてみる必要があります。マルコによる福音書は、イエスの降臨や子供の頃の話をすっ飛ばして、いきなり、洗礼から伝道活動の話に入り、また、ヨハネ(洗礼者ヨハネとは違う)による福音書は、イエスの降臨を、“はじめに言葉ありき。この言葉は神と共にあり、実は、神(そのもの)でもあった”(ヨハネ1:1)、そして、この(神と共にあり、また、神でもある)言葉は私達との交わりの為、(あえて)肉体という形でこの世に現れた、つまり、降臨した(ヨハネ1:14)と、哲学の教授の講義のような感じで述べています。スタイルや表現方法にそれ相応の違いがあれど、これら4つの福音書はどれもすべてイエスの十字架での死の3日目に起った復活についてそれぞれの視点から詳しく記していることをしっかりと抑えておき、改めて旧約聖書にあるメシア降臨についての預言、特に、イザヤ書52:13から53:12に記されているメシアの受難と復活について、対照させると、世間の目でみれば惨めな話がどうして、感動し神に感謝し、喜びでもって神を賛美するような福音であるのか、その理由と意義が心の眼で見えてきます。そうであれば、どうしてあのような惨めな出生でしかないようなメシアの降臨がクリスマスとしてお祝いできるのかということも分ります。

どうやら、私達は神、メシア、を自分たちの都合や欲望により勝手にイメージしてしまう傾向があるようです。だから、本当のメシアの降臨、存在に対し、寧ろ、無頓着、無関心、無知なのではないでしょうか? 聖書を読んだから、とか、洗礼を受け、教理も勉強して、ちゃんと教会に通っているから、自分は信者でない人と違って神、メシア、キリスト、を理解している、と断言する人程、注意が必要でしょう。なぜならば、当時、イエスの迫害の音頭とりをしていたのが敬虔であることを非常に誇りに思う宗教指導者達でしたから。

クリスマスは12月25日といわれていますが、一日限りのお祝いではありません。25日から元旦にかけての8日間をChristmas Octaveと言い、伝統的に1月6日とされる公現祭までの間を指します。典礼的にはこれに続く主日、主の洗礼、を祝う主日、までの間をクリスマスとします。ラテンアメリカでは、マリアがイエスを産んだとされる12月25日から40日たった2月1日までの間をクリスマスと考え、2月2日にLa Fiesta de la Candelariaというお祭りをしてクリスマスの締めくくりをします。つまり、クリスマスとは12月25日という日に始まり、初八日、そして、1月6日の公現祭、その後に続く主の洗礼の祝日、更に、2月2日のマリアの清め期間が終わり、イエスは寺院で神に奉献されたことを記念する祝日まで、続くものだといえますので、これからしばらくじっくりと瞑想しながらイエスというメシアの降臨の意味を考えてみるとよろしいと思います。その際、大切なのは、どうしてあのような形で、羊飼い、三賢人、シメオンやアンナ、のようなごく一部の人意外だれも気がつかないような形で降臨したのかということを考えねばなりません。

信者でろうがなかろうが、クリスマスについて、その歴史的背景と、キリストのこの世への降臨と一生がどうしてあのように“塩扱い”の連続といってもいいようなものに終わったのか、どうして、一部少数の者を除いて、当時の社会の人々は彼の福音の教えに直に触れても彼をメシアと認識できなかったのか、今一度、考えてみることが大切です。その際、もし、当時自分がパレスチナ地方に存在し、旧約聖書を通してメシアの降臨が預言されていることを知ってはいたが、果たしてイエスに対してどのような対応をしていたか、一部の少数派のように“神扱い”か、それとも大多数派のように“塩扱い”か、自分というレンズで批判的に考えてみる必要が信仰上重要です。

高校や大学などで私がキリスト教についての講座を担当すれば、こうした問いかけ、かならず授業で行い、期末試験の論述問題にも出題します。勿論、講座の演習では、普段、社会、経済、政治の目がいかないようとことろでいかにしてメシアの降臨を体験できるかということが鍵となります。そもそも、神の本質は慈しみと哀れみの愛であり、それ故、罪によって神に背き、神から距離をおいていった人間を呼び戻す為、あえてメシアを降臨させたわけであり、罪に気つかないが故それを悔い改めようとしない人にとってそもそも神なんてどうでもいいことであるかも知れませんが、一方、罪に気付き懺悔して神との関係を修復したいと謙虚な心にある人にとって、あのような哀れな姿で降臨したメシアが伝えんとしている神の愛のメッセージをしっかりと受け止め、それによって、マリアやヨゼフのように考え行動していくことができるでしょう。

こうした問いかけなしにキリスト教の本質は絶対に見えて来ないのですから。

このクリスマスという期間に、どうしてメシア、キリストは、あのような以外な形で2,000年近く前のパレスチナに降臨したのか、そして、当時、自分がその地で暮らしていたならどう反応していたか、しっかりと考えておくと、灰の水曜日から復活の主日にかけての40日間である四旬節、そして、復活の主日からの40日間である復活祭の期間を一層意義深く過ごし、より堅く深い信仰心をイエスとの絆を強めることで築くことができます。

クリスマスを口実に、どんちゃん騒ぎの後、クレジットカードの明細書やカロリー摂取量や体重計の針なんか気にしているようでは困ります。それでは、キリストがあのような形で降臨したという本当のクリスマスが無意味になってしまうではないですか。

何も聖書を今更気張って読んだりする必要もありません。ルカによる福音書2章のキリスト降臨の話を心で咀嚼するように瞑想しつつ読むと、今自分がいる現実のどこに神の降臨が起こっているかもしれないということがあなたの心の眼において見えてくるでしょう。そして、あなたはやがてそのビジョンに駆られて、神の降臨が見える現場へ慈しみの心でもって喜びながら動いていることでしょう。セールもパーティーも、クリスマスツリーや派手な明かりもないところでしょうが、そこには心の眼でしか認識できない光があるはずです。しかし、そこは、ついこの間までクリスマスだと騒ぎたてていた連中が見向きもしないようなところでしょう。

長年出稼ぎ労働者達と生活を共にされてきた澤田和夫神父様、そして、今でも大阪のあいりん地区で出稼ぎ労働者達と生活を共にされている本田哲郎神父様、また、ミャンマーで電気などの便もあまりよくない村の人たちとの交りの中で伝道されている畠基幸神父様、などのような方々の司牧活動の場が本当のクリスマスを体験できるところであると分かるでしょう。そこでは物資はとても限られているでしょうが、物質的な豊かさの計りでは計り知れない、あの動物小屋でしか体験できなかったような宝の共有が実感できるはずです。

クリスマスというメシアの降臨を本当に体験できた喜びにある人は、降臨時のメシアのような状況にある人の傍らにいるでしょう。

元来、人と人とのつながりを大切にしてきた日本人ですから、本当のクリスマスの意義は日本人の心に受け入れ難いものではないはずです。そして、教会とはこうした人と人とのつながりに聖霊が降り注がれることでできていくのです。普段、社会や政治の目が行き届かないようなところから教会は始まるのです。

そして、キリストが最降臨する祭の最後の審判において、彼はマタイ25章31節から46節にあるように問いかけるでしょう。その際、“ええ、あの時、あのみじめな人があなただと分かってたらちゃんとケアしていましたよ。。今更何ですか?”、なんて文句言わないでいいようにしておきましょう。もし、二千年ほど前、マリアに陣痛がきた時、マリアの中にいた子がメシアだとしっていたら誰もマリアとヨゼフを“塩扱い”せず、皆競って、“どうか、うちへ起こしください。最善のケアをさせていただきます”というまさに“神扱い”反応をしめしていたことでしょう。

メシアだとか神だと最初から分っていればよほどの精神異常者でも無い限り誰も“塩扱い”するわけがありません。しかし、どうしてそれが分らなかったのでしょうか?メシアの降臨があのような以外な形だったということからの教訓はこうした私達の心の眼の盲点を克服する為のものでもあります。

あなたのクリスマスへの理解と対応が、あなた自身の最後の審判に影響を与えないことはないのですから。それに、“情けは人のためならず”ですし。メシアの降臨があのような哀れな形であったことが教えることは、自分自身の最後の救いへとつながるのです。



No comments:

Post a Comment