Thursday, February 11, 2016

建国記念日に思う


2月11日は日本の建国記念日です。しかし、高校生を対象にしたある調査によると、何をもって日本の建国を祝うかという問いに対して、神武天皇のご即位について答えれられる生徒はほんの1%程度だそうです。

この調査だけですべての日本の高校生が自分の国の建国についてそのほぼ99%が無知同然であるとは決め付けられませんが、それにしても、どうやら近年の日本の子供達、若い人達は、日本の歴史についてあまり知らないのではないでしょうか?

私にように外国で長年暮らしていると、毎日自分は日本人なんだと意識するものです。だから、日本に長い間住んでないからといって、日本のことについて無知であれば、“なんだこいつ、日本人のくせして、自分の国について満足に語ることもできないのか”、と侮蔑されることがないように、日本人としての誇りをもって、いつでも必要に応じて日本の歴史、文化などについて外国人ができるだけ理解できるように話せるように努めています。一方、外国に住んでいる日本人でも、自分が日本人であることを誇りに思えず、慰安婦問題などといったかつての日本の帝国主義が残した負の歴史について触れられると、ただペコペコ謝り、中には、日本について批判的な外国人に同調し、日本を批判することであたかも彼らの“仲間”になることを意識しているのではないかと思わせる人もいます。日本人であることに誇りをもてない在外日本人、そして、日本の建国記念日について何も知らない近年の子供達、いったい何がこうした心理的なコンプレックスや無知をもたらしているのでしょうか?

“ゆとり教育”のせいでしょうか?それとも、戦後の脅迫神経症的ともいえる、戦前の日本の文化的歴史的価値観の否定行為の産物なのでしょうか?

私が小学校、中学校、高校時代を過ごした昭和40年代から60年代の日本はまだ国家斉唱は当たり前で、拒否するのはほんの一握りの人でした。戦後なので古事記や日本書記について詳しく学ぶことは公式なカリキュラムから外されてはいたものの、当時の先生方はまだその殆どが戦前教育を受けた方々でしので、折にふれ、戦前ごく当たり前に教えられていた古事記や日本書記にあるような神話的な日本の歴史の側面などについて話してくださる先生がいました。どうやら、最近の子供達は、こうした先生からカリキュラムにない日本の面白い歴史や文化について教わる機会に恵まれていないようです。

戦後、神武天皇即位を記念することを建国記念日として祝うことがしばらく廃れていましたが、東京オリンピックから数年後、再び祝日して制定され、現在でもこの習慣が維持されてはいます。しかし、どうやら今では形骸化した習慣となってしまったようです。だから、2月11日は祝日なので学校や休みだからということは知っていても、それが建国記念日であると言える子供はすべてではなく、しかも、建国記念日だと知ってはいても、そもそもこの祝日が記念する日本の建国とはいったい何なのか説明できる子供やかなり少ないでしょう。

近年、建国記念日の歴史的、神話的、背景について日本人として誇りをもって世界誰とでも話せる国際的センスある日本人が少なくなっています。その一方で、教育国際化という美名の下、私が学生時代には想像できなかったぐらい、英語教育が重視され、今では殆どの学校で英語を母国語とするネイティブスピーカーの先生から“生の英語”を当たり前のように習うことができます。私が学生の頃、ネイティブスピーカーの先生から英語を習うことができるのは限られた“お金持ち”の学生ぐらいなものでした。だから、殆どの学生は、ネイティブスピーカー吹き込みの英語のテープを擦り切れるまで聴いたり、NHKの英会話講座、短波ラジオで英語圏のラジオ放送や在日米軍基地のラジオ放送を聞くことで"生の英語“にやっと触れられる程度でした。

私のように昭和時代に学生生活を日本で過ごした者に比べ、確かに今の日本の子供達は英語がより流暢かもしれません。しかし、日本の歴史や文化について、日本の建国に関して満足に語れないようであれば、いったいこのような国際的教育にはいかなる意義があり、どのような利益があるのでしょうか?

英語などの外国語が流暢であることは、様々な外国人の方たちと意思疎通しながら語り合う上で大切ですが、それ以上に大切なのは、やはり、自分は日本人であるというアイデンティティーをコンプレックスなしに意識し、寧ろ、誇りをもって、自分が生まれ育った日本という国のユニークな文化や歴史について世界各国のそれらと関連付けながら語れるような教養ではないでしょうか。日本の建国記念日にまつわる歴史的、神話的なエピソードほど、世界でも類の無い日本のユニークさをしめすものはないかと思います。

現在の世界194カ国の中で唯一日本だけが建国以来2,600年以上途切れることなく続いている国であり、その歴史は今年(平成29年、2016年)の2月11日の建国記念日でもって2、676年とされています。現在ある190以上の世界の国々の中、日本のような、建国以来途切れない長い歴史を持つ国はどこにあるのでしょうか?日本人として、様々な国々の人達に日本のことについて語る上でこうした問いかけをしてみるもいいのではないでしょうか。

よく、中国5,000年とか4,000年の歴史とか言いますが、中国が統一国家として初めて建国されたのは紀元前221年の始皇帝による秦です。しかし、この統一国家は紀元前207年に滅び、項羽と劉邦の間の楚漢戦争において劉邦が勝利し、三国時代前の漢の時代へと変遷。その後の中国の歴史は、一つの王朝が建てられても、何年後かに他の王朝がそれを打倒し、次の王朝へと移行、そして、また何年後かに他の王朝がそれを打倒して、更に他の王朝へと移り変わる繰り返しを1911年の辛亥革命まで続け、その後中華民国という共和制へと移行しましたが、1949年の共産革命で中華人民共和国となりました。つまり、現在の中国の歴史は100年にも満たないのです。しかも、秦の始皇帝による中国統一から数えても、神武天皇による統一国家としての日本建国よりも400年以上遅れているといえます。

また、アブラハムのカナン定住以来のユダヤの歴史は4,000年近いと言われていますが、ユダヤの民は長い間国を持たずに遊牧的な生活をしていました。飢饉によって食べていけなくなると、カナンの地を離れ、アブラハムの孫であるヤコブの息子の一人、ヨゼフのいるエジプトへ移り住んみました。そして、およそ400年にわたるエジプトでの生活はやがてエジプトによる迫害を受け困難を極め、過越というユダヤの大切な祭りが記念するように、神はモーゼを起てて、ユダヤの民をエジプトから脱出させ、旧約聖書にある出エジプト記に詳しく記されているように、40年にわたる苦難の放浪の後、一握りの生存者だけがモーゼの後継者であるヨシュアという将軍とモーゼの弟であるアロンという司祭を指導者として、ヨルダン川を渡り、再びカナンの地へ戻り定住しました。しかし、その後、カナンの先住民との間の絶え間なき抗争に悩まされ続けられました。更に、南西のエジプト、北のアッシリア、そして東のバビロニアという外国列強勢力の脅威にも悩まされ続けられました。そうした歴史的背景の中、ユダヤの民は神に、自分達もこうした列強勢力に負けないような強大な王国を建国することをせがみました。しかし、神はこのような理由から王国を建てることはかえって災難を招きかねないということで渋りましたが、民は神のアドバイスを受け入れられず、その劣等感的な感情ゆえ、ダダをこねる聞き分けの無い子供のように王国を建てることをねだり続けたのです。そして、ついに神のユダヤの民の要求に応え、王国建国への計らいをたてました。

旧約聖書にある列王記などを読めば分かるように、ユダヤの王国はサウルを初代王とするが、サウルは器量の無さ故、すぐに失脚し、後継者ダビデ王によって王国は確立されました。しかし、ダビデの息子であり後継者であるソロモン王による統治の初期にはその栄華を極めたものの、後世のソロモン王は中国の“傾城の美女”の故事にあるように、女と酒に溺れ、偶像崇拝などといった神に背く行為に陥り、こうした堕落が祟って、ソロモン王以降のユダヤの王国は南北に分裂し、謀反者とされるサマリアを首都とした北王国が先ず紀元前722年にアッシリア帝国によりつぶされました。一方、エルサレムを首都とする残りの南王国も紀元前586年にバビロニア帝国により壊滅同然にされたものの、神の慈悲により70年にわたるバビロン捕囚の後に、再建されました。しかし、バビロン捕囚後のユダヤの国はバビロニアを打倒したペルシャ帝国の支配下にあり、しかもバビロニア侵略以前のような王国ではなく、王なき国でした。ペルシャの後、ギリシャの支配下となり、紀元前166年にギリシャへの反乱に成功し、およそ420年ぶりに完全独立を果たしたものの、紀元前36年に強大なローマ帝国の支配下に置かれました。キリストの死後35年ほど経った紀元70年に、バビロン捕囚時代に書かれたダニエルの予言にあるようにローマ帝国により完全に消滅させられたのです。その後、1,850年以上経ってから、1948年にイギリス主導の国連勢力により現在のイスラエルが建国されました。

知られている民族の歴史としては中国やイスラエルは日本民族の知られている歴史よりも長い歴史をもっているかもしれません。しかし、途切れなく続く国の歴史としては、やはり、紀元前660年に神武天皇即位により建国された日本より長く続統一国家は世界のどこにもないのではないでしょうか。ということは、万世一系の君主国家としての日本は世界文化遺産にふさわしいといえましょう。

このような世界でも類のない国、日本に生まれ育った日本国民は、沢山の細石のような国々を東征により平定統一した神武天皇、そして、悠久の君主国家として日本を築き上げ守り続けてきた先人達に感謝し、日本人としての誇りをもってこれからも日本というユニークな国が千代に八千代に永遠に苔生す巌とあり続けられるように努力していかねばなりません。そして、日本のこうした世界に類なき歴史的、文化的背景について誇りをもっていつでも世界のどこでも話せるように努めることも大切です。

因みに、私は、日本の建国記念日の背景について世界各国の方々と話す時、古事記や日本書記にある神武天皇を旧約聖書にあるアブラハムと比較対照させることで理解を深めていただいています。

創世記12章からアブラハムとその妻であるサラがそれまで住んでいたバビロンの土地から、かなた西方にあるカナンの未知の土地へと移住し、そこでユダヤ民族を増殖させよ、という神お告げに始まる話が記されています。私は、これを“アブラハムの西征”と呼ぶことで、古事記や日本書記にある神武天皇の南九州日向の国から北九州筑紫の国の宇佐を経由し、瀬戸内海を通って難波の国へと東征し、その道中での様々な国々を統一し、日本という国を建てたことに比較します。アブラハムはユダヤ民族の先祖であり、ユダヤの象徴的ともいえるダビデ王やヤコブもアブラハムの血を引く者です。また、アブラハムは、その召使との間に生まれた息子、イシャメルから、宗教的に、イスラム教徒にとっての先祖でもあります。勿論、ユダヤ人であるイエスキリストはマタイの福音書一章に記されているように、アブラハムの長い家系置かれているので、アブラハムはキリスト教徒にとってもスピリチュアルな先祖であります。こうした背景を鑑みても、アブラハムと神武天皇を並行させながら日本の建国について語ると、世界の方々の多くが、“な~るほど”、とうなずき、日本の文化や歴史に対する興味を高めてくれます。

“西征”のアブラハムの子孫達は、アブラハムがその礎を築いたといわれる国を万世一系と維持することができませんでしたが、東征の神武天皇を初代天皇とし万世一系の君主国として2,670年以上途切れなく続き発展してきた国、日本の国民たる私達は、こうした建国記念日の背景にある歴史的神話的なことを誇ることができます。だから、“君が代”を誇りをもって歌えます。

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