Thursday, February 25, 2016

文武両道、武士道教育:戦後日本の学校教育への処方箋



武士道を忘れた日本は、歌を忘れたカナリア同然。武士道を忘れた日本は、歌を忘れたカナリアが棄てられるように滅びるであろう。。。。。私の預言です。

だから、子供達に武士道精神を反映した柔剣道を勧めましょう。沖縄の空手もいいですね。格闘技を全く知らずに、テレビゲーム、コンピューターゲームばかりやりながら育つ子供ばかりでは、日本は先ず精神的な側面から衰退していき、ついには国体そのものの存続が危なくなるでしょう。なんて言えば、必ず誰かが、“お前は、右翼か!”とか、“軍国主義者か!”と食いかかってくるでしょう。しかし、そうだからこそ、私は格闘技教育を日本の学校教育ではあたりまえになるように薦めたいのです。

私の高校、福岡県立修猷館高校、は元黒田藩の藩校、つまり、侍士官学校でした。“文武両道”がモットーであり、数学や物理などの“学科”だけでなく、男子は皆、部活に関わらず、柔道か剣道を最低2年間(3年目はラグビー)履修しないと体育の単位がとれず卒業できませんでした。男子が道場で生徒への愛情を持ちつつも鬼のような気合でしごく柔剣道の先生達から鍛えられている間、女子は体育館でダンスみたいなことやってたっけ?
しかし、同じ県立校であっても、大抵の学校では格闘技が必修なんてことはありません。よほど物好きな生徒が選択で取るか、部活でしか格闘技を学校で体験することはなかったことでしょう。

それに、できれば、夏休みには塾ばかりではなく、陸、海、空、の自衛隊での体験訓練もいいと思います。私も佐世保の海上自衛隊基地で、尻の皮が剥け、手のひらはまめだらけになるほどカッター漕いだり、赤と白の手旗信号やったり、魚雷のように泳いだりして、海軍精神に浸ることができましたから。それに、海上自衛隊の体験訓練のおまけは、昼間の訓練では鬼のような教官達が夕食後から消灯までのリクリエーションの時間によく航海術などについての興味深い話を初等幾何学からニュートン力学のエッセンスなどを交えながらしてくださり、学校の授業や受験勉強だけでは味わえない数学と物理の面白さに触れることができるということです。まさに、体と精神だけでなく、頭も鍛えることができ、文武両道そのものです。だから、自衛隊の体験訓練もいいですよ。

今では自衛隊もやる気と能力のあるなでしこを大歓迎するように、女性にも開かれています(でも、私が体験訓練やった時には基地にいたのは、食堂のおばちゃんを除きまだ野郎ばかり)。それに、安倍政権の女性のキャリア支援政策もあり、これからも女性士官がどんどん増えていくことでしょうから、女子もダンスだけでなく、柔剣道や空手を体育の授業で選択できるようにするといいですね。

よく、武士道とか格闘技というと、かつての軍国主義だと勘違いするインテリが戦後増えています。彼らは言葉だけの薄っぺらい“平和教育”を提唱し、格闘技は“怪我するから”危ない、とか、“好戦的にする”から危ないとかいった屁理屈やいちゃもん付けで学校教育のカリキュラムに組み込むことに反対し、男の子も女の子も“仲良く”一緒にダンスをするのがいいといいます。まったくの腰抜けです。別に男女楽しくお遊戯する事自体は問題ではないのですが。しかし、それだけではだめなのです。

そもそも、武士道を知らない人ほど、武士道を危険視し、そうした概念を自分達の教育界での権威を利用して、"平和教育“の旗印の下、反武士道的プロパガンダを行うのです。そして、こうしたインテリは、今の子供達がテレビゲームやコンピューターゲームでどんどん“オタク”化し、変態化し、キレやすくなり、陰湿ないじめが増えているということに危機感を感じていないようです。だから、こうした本当に危険なことに警鐘の声をあげるのではなく、いつまでもいつまでも格闘技は怪我するからとか軍国主義につながるからとかいって反対し続けるのです。そして、おとなしく自分の部屋でテレビゲームやコンピューターゲームをしている子供達の危険性について無知であるか、知っていても知らぬふりをするだけなのでしょう。

実際、格闘技などを通して武士道精神を培うことができる子供達は、親や先生を尊敬し、忍耐力がありキレにくいし、弱いものいじめを見逃すようなことはしません。ところが、一見“おとなしく”"平和“、に見える机の上でテレビ画面やコンピューター画面をみている子供には、殺し合いのゲームに興じ、ファンタジーと現実の境界がなくなり、しかも、過保護的疎外環境にありがちで、オタク化、変態化するのです。そして、こうした普段おとなしい子が、ある日突然、キレ、平気で何人もの罪の無い人を殺すようになるのです。
人間の心には誰でも、影の暗い側面があり、普段、おとなしく従順で温和な人であってもある日突然、凶暴化し、世間を振るいあがらせ、“どうしてあのような人がこのような酷いことを”、と思わせることがあります。それは、こうした誰の心の奥底にある影の暗い部分をファンタジーだけで扱うことしかできないような環境でそだった結果、ある日、こうしたファンタジーと現実の境界線がなくなり、心の影の部分が凶暴な行動という形で表面化するのです。しかし、格闘技などを通し、武士道精神で心、体、魂、を統合的に鍛えられた人は、こうした心の影の影響を建設的に昇華する能力を持っているので、ある日突然、突発的に凶暴な行為に出て、罪なき人を何人も襲ったり、恨みや妬みなどが動機で陰湿な手口で誰かを襲ったりしません。寧ろ、彼らが武術を行使するのは、仁の精神からであり、助けるべき人を助けたりする為のやむを得ない場合だけです。武士道精神のある人は、厳しい訓練を通して自律統制を司る大脳の前頭葉が発達しているのです。

だから、武士道精神が日本、とりわけ、日本の学校教育から“平和教育”の名の下でなくなると、日本はまずこうした前頭葉が未発達で統制力のない突発的凶暴好意にでるオタクや変態から蝕まれ、別に外国勢力による侵略がなくても滅ぶかもしれません。

日本の子供には、聖徳太子の教えを彷彿させる明治天皇の教育勅語の精神でもって柔剣道などの武道を教え、武士道の精神でまず、礼、仁、義、敬の心を培い、戦うべき時にはいつでも用意周到、勝つべく戦えるように訓練すべきではないでしょうか?このようにして育て上げられた子供は、いじめや陰湿かつ凶暴な犯罪行為には至らないはずです。彼らが武術を行使するのは、弱いもの守るという義や仁の心からであり、自分の力を見せびらかす為ではありません。なぜならば、彼らの行動の背後には鍛えられ自律された精神力があり、マインドフルだからです。それが武士道の精神なのですから。そして、この精神は禅宗やキリストのスピリチュアルな教えにも相通ずるものです。

日本を守りたければ、まず、武士道の精神的伝統を守り、学校教育などにも普及させることです。そうすれば、予測がつかぬように目まぐるしく変わり続ける世界情勢の喧騒に惑わされたり混乱させられることなく、いつもマインドフルであり、耐える時には耐え、決断を迫られる時には即座に正しい決断ができ、必要であれば、意義のある戦ができ、そうでない無駄な戦を避け、他の解決策をみつけることができるようになるのです。
武士道を忘れた日本、歌を忘れたカナリアのようなものでしょうか?日本がそうならないようにする為の処方箋が武士道教育なのです。

武士道の教えのパラドックスの一つは、平和を愛する程、戦いの術を極めるということです。平和と戦術、一見相容れられないこうした二つの事象を結びつけるのが武士道のスピリチュアルな真髄ともいえるマインドフルネス、つまり、前頭葉と自律神経をフル回転させて外因的要素から心の中の平和が乱されないようにする防衛力のことです。まず、その為には、自分の心に潜む影による様々な妨害を切り落すという精神的、スピリチュアルな心の中での戦いに長けることです。自分をいつも律するこのような自律の戦術武術なき者は、いざ外敵と戦うべき時に戦えず、戦うべきでない時に誤って武器をとったりする危険があることも忘れてはいけません。

こうした意味では、四旬節第2主日(C 年)の福音朗読(ルカ4:1-13)にあるような、イエスが砂漠で40日修行し、悪魔による様々な誘惑に惑わされずそれらをすべて一刀両断したような精神的、スピリチュアルな武術こそ武士道の真髄であり、日本の子供達が先人達の伝統に敬意と感謝を示しながら将来の日本を担うために培っていくべきものなのです。

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