Tuesday, February 23, 2016

白人優越思想の壁とアジア系団結努力を阻む排他的勢力



私がアメリカの大学で社会学の講座の一つとして多民族関係論を学んだ時、中国系や日系を含めたアジア系はModel Minorityといわれていました。これは、アジア系にとっては“えっへん!”と咳払いできるようなものかも知れませんが、黒人やヒスパニックを見下したような見方とも考えられますので、こうした言葉に触れた時には注意が必要です。とはいえ、近年のアジア系のアメリカ多民族社会での躍進には多くの目覚しいものがあることは事実です。アメリカに移民してきた時は全く、あるいは、殆ど英語ができす、しかも、殆ど一文無しであっても、ソーシャルワーカーが指示するような援助の恩恵を受けながらとはいえ、人一倍二倍三倍の努力をすることで一世代でAmerican Dreamを築くというサクセスストーリーが沢山あります。だから、アジア系は羨望の的なのでしょうか?

実は、いくらこうしたサクセスストーリーが増えたとはいえ、公民権運動などによりアジア系を含めた非白人の地位が向上したとはいえ、白人でないアジア系には依然として直面しなければならない“壁”があります。或る意味では、現在のアメリカ社会におけるこうした“壁”は、日露戦争勝利によりやっと西洋列強に認めてもらい、同列にしてもらえたと自惚れ思い込んでいた日本が1920年のワシントン軍縮条約で体験した三国干渉以上の屈辱と似ているところがあるのではないでしょうか?

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先日、ソーシャルワーカーとしてアジア系の人達へのサポートをしている中国系の友人と昼食をしている時、彼女が、“ねえ、私たちみたいなアジア系って、白人に比べ、法の下では平等とはいえ、やはり、21世紀の現在でも、黒人やヒスパニック程あからさまではないにせよ、やはり、不当な扱いを受けていると思わない?”と聞いてきました。彼女の仕事は、中国系だけでなく様々なアジア系の移民やその子供達がアメリカ社会で安定した生活ができるように支援することなんですが、こうした人達の代表としてアメリカの複雑な社会福祉システムをナビゲートしていると、どうしてもアジア系は白人が経験しないような“壁”にぶつかると言います。私もよくアジア系の患者さんやクライアントヘカウンセリングや心理療法といったメンタルヘルスの臨床サービスや臨床宗教師としてスピリチャルなケアをさせていただいているので、彼らが訴える様々な心身的及びスピリチュアルな症状がこのような“壁”によるストレスに起因するところが大きいと思っているので、彼女に、“私も同感です”、と答えました。

こうした会話の中、彼女も私も、福祉と臨床の各々の仕事の立場を通して、私たちがお世話させていただく様々なアジア系の人達がこうした“壁”に負けないで、かつて中国人や日本人が差別に耐えながらアメリカ社会で頑張ってきたことに誇りと自身をもって、現在困難に直面しているアジア系も頑張っていけるように支援することの重要性を再確認しました。更に、これからもっともっとアジア系の議員が選出され、こうした問題の問題を解決していくことの重要性を、あたかも“共同宣言”する如く、異口同音に唱えました。
アジア系議員選出の必要性を二人で“共同宣言”した後、はっと思ったのですが、アジア系とはいえ、現在のアメリカ社会では多種多様です。中国系、フィリピン系や日系は勿論、現在では韓国系、ベトナム系、インド系、パキスタン系などのアジア系が増えています。よって、アジア系も多様化しているのです。まあ、それ自体はいいことなのですが、問題は韓国系による執拗な反日ロビー活動なのです。

韓国人はアメリカと韓国双方の二重市民権を維持することが両国の条約で決めれれており、殆どの韓国系がこの特権にあずかり、韓国とアメリカの二つの国籍をもっています。それだけに、韓国系がアメリカの政治活動に介入しはじめると、アジア系のアメリカ社会での立場向上といったことだけでなく、日系勢力を排除しようとしたり、反日運動をアメリカでも母国韓国のように法的に正当化しようとしています。だから、近年、アメリカ各地で“慰安婦”の銅像を建て、韓国系の言いなりの“歴史教育”を税金を使って公的に行うという反日運動をしているのです。

私の中国系の友人の心配しているようなアメリカのアジア系に対する社会問題などに対処するには、やはりアメリカ社会でのアジア系の団結が何よりも大切なのですが、こうした韓国系によるアジア系社会の日系排除的な分裂は、寧ろ何の利益もありません。
日中関係もいろいろと問題が山積みで、しかも、中国でも反日感情はうまく悪用できる外交カードであり、政治的な打算でもありますが、アメリカの中国系の人達は、私の友人も含め、韓国系のような、反日運動を煽り立て、アメリカでのアジア系団結を揺さぶるようなことは、私が知る限りしません。勿論、フィリピン系、ベトナム系、インド系などほかのアジア系もそうです。なのに、どうしてか、韓国系だけがいつも躍起になってアメリカ各地の地方自治体、それに、アメリカ連邦議会にまでその反日アジェンダを押し付けているのが現状です。彼らのこうした運動の屁理屈は、“日本が'反省‘することでアジアの平和、ひいては、アメリカの極東政策の利益となる”といった類です。しかし、これは、アジア系の団結やアジアの平和にとって寧ろ害ではないでしょうか? どうも、最近のアメリカのアジア系社会において、韓国系だけが自分達だけの反日アジェンダを母国から“直輸入”し、独り歩きし、アジア系社会の安定を揺るがそうとしているのではないでしょうか?

私の中国系の友人が言うように、アメリカ社会で暮らすアジア人やアジア系アメリカ人にとって一番大切なのは、多様性が一つの調和に集約されるような共同体的な概念であり、それが、多民族多文化国家アメリカ社会の大切な一部であるという認識です。United We Stand, Divided We Fall,というモットーで、アメリカをかつて二分した南北戦争を克服し、アメリカは建国以来の連邦制による多様性多元的統一、Union,を維持しているのです。そして、この統一された多様性、多元性がアメリカという国の強さの背後にあるのです。よって、アジア系だけでなく、黒人であれヒスパニックであれ、アメリカ社会を構成するすべての民族、人種、そして、宗教を含めた文化、は差別されたり排除されてはいけないのです。そうでないと、この統一性が分裂され、内部闘争が起き、アメリカをアメリカ合衆国たるものとしているUnionが危険な状態にさらされるからです。

私の中国系の友人のように、その母国、先祖の国、中国では今でも反日感情が強くでも、アメリカ社会においては、自分達だけでなく、日系を含めた全てのアジア系が直面する問題に効果的に対処し、解決していくには、アジア系すべての連帯が不可欠だとわきまえている人もいれば、韓国系のように祖国が奨励する反日運動をアメリカでも拡散拡張することで日系を攻撃し疎外しようとしている人もいます。私は、アメリカに住むアジア系がそれぞれの文化的民族的多様性多元性を維持しつつアメリカ社会の一部を構成するアジア人として一つの連帯感を共有することは、ひいては、アジア各地の様々な国々とその人達が一つの連帯感を共有し、アジアの平和と繁栄にむけて一緒に頑張っていけることと連呼すると信じています。或る意味では、これは、かつて、19世紀後半にアジアを蝕んでいた西洋列強によるアジア侵略へ真っ向から勇敢に立ち向かった日本が夢見ていた大東亜共栄の本当の意味での理念を反映するものでもないでしょうか。当時のアジアの大国であった清帝国にすらできなかった西洋人によるアジア侮蔑を排除することに挑戦したのが、自国だけでなくアジア各国を西洋列強からの束縛から解放し近代化することを進めた日本が抱いていた夢ではないでしょうか?

日本人として私たちが反省し続けねばならないことは、こうした素晴らしいアジアの連帯感を築き挙げることの理想が、どうして、あのような醜い軍国主義や全体主義に塗りつぶされたのか、どうして天皇の名を使って西洋列強のようになってしまい解放すべきアジアの国々から同じアジアの仮面をつけた醜い敵だとみなされるようになったのか、ということではないでしょうか?

こうした歴史的な流れからの反省においてどうしても大切なのは、明治維新当時、福沢諭吉が唱えた脱亜論があると思います。勝海舟に度下さする如く頼みこんで咸臨丸に乗せてもらって訪米した福沢諭吉はそれ以降、西洋かぶれとなり、和漢洋の折衷を近代日本が必要とすることであると唱えた大先輩である勝海舟の考えを嘲笑し、とにかく近代化とは貪欲に西洋文明を導入することで古臭い東洋の考えは排除したほうがいいといった、西洋的な功利主義、合理主義による富国政策をも唱えました。当時の明治政府要人たちは、西郷隆盛を除き、こうした福沢が唱えた、脱亜論を入欧脱亜論と発展させ、気が付けば、西洋的近代化が遅れ西洋列強から搾取され続けていたアジア諸国を見下すようにもなりました。ロシアからの脅威を払いのけるための国運をかけた日露戦争による勝利で、入欧脱亜論を実践し続ける日本は自惚れはじめ、第一次大戦直後のワシントン軍縮条約でアメリカとイギリスによる不当な扱いを受けるまで、あたかもこうした植民地からの搾取で潤う西洋列強帝国主義の一員だったと思い込んでいた妄想が砕かれ、連中から仮想敵国とずっと見なされていたことに目覚めたのです。そして、アメリカやイギリスといった列強の操り人形同様の偽善的な国際連盟の有色人種への差別感情にも目覚め、憤りを覚えたのですが後の祭りです。

こうしてそれまで順調だった脱亜入欧政策の入欧の部分が1920年のワシントン軍縮条約でくじかれ、しゃかも、アメリカの差し金による日英同盟の決裂もあり、既に脱亜によってアジア諸国から優越的距離感を置いていた西洋かぶれの日本にとって、この時の入欧の破綻は非常にショックなものだったはずで。もうアジアにも戻れないし、そして、欧米西洋列強からも結局は拒絶されたのですから。であれば、依然としてアジアを蝕み搾取し続ける西洋列強勢力とこれからどう対峙していけばいいのか?その苦肉の解決策の一つとして、満州国建国による満州進出が考えられます。辛亥革命のころまで、日清戦争があったとはいえ、日中関係はまだ穏やかで、しかも、近代化を目指す多くの中国の若者は当時の日本に活力を求め、留学していた者が多かったほどです。ところが、満州事変、満州国建国からは、日中関係は悪化の一途を辿り、盧溝橋事件から本格的な日中戦争へ、そして、それをうまく利用してアメリカは既に仮想敵国としていた日本に対してイギリス、オランダ、そして、中国を巻き込みながら更なる圧力をかけてきました。これがABCD包囲網です。そして、じりじりと既に国際社会から孤立していた日本を一層苛立たせ、真珠湾攻撃へと大東亜戦争の泥沼へと歴史は流れていったのです。

どうして、日本はここまで孤立し、泥沼へと外郭勢力陰謀により追い込まれる愚を防ぐことはできなかったのでしょうか?また、たとえ、そのようにおいこまれつつあっても、どうしてもっと早く、修正できなかったのでしょうか? 今の歴史教育でこうした問いかけをしているでしょうか?

当時、だれもこうした問いかけを恐らくしかなかったからでしょうか、それとも、そうすることを恐れていたからでしょうか、日本はアジアを西洋列強の束縛から解放する為の“聖戦”を戦い、大東亜共栄圏を構築するのである、といった美名の下、実際には実に多くのアジア諸国の人達に犠牲を被らせる挙句、自国も有史以来の多大な打撃を受け、亡国寸前にまで追い込まれました。当時、昭和天皇が軍部強硬派勢力の反対を押し切って終戦宣言をしていなければ、日本という紀元前660年以来続いてきた国は滅亡していたかもしれません。

そして、戦後70の歴史において、日本は甚大なる被害と犠牲をもたらしたアジア諸国との関係修復に努めてきました。謝罪は勿論、できるだけの補償をもすることで、誠意をもって和解ど新しい関係構築に努力してきました。その努力の初期に、1951年のサンフランシスコ平和条約にて、まだ日本との正式国交回復をしていない当時のフィリピンのような被害国も日本の主権回復を認めることで、日本はその翌年に再び正式に国際社会の一員として復帰できたのです。勿論、その後も日本はかつての被害国との関係修復の努力を怠りませんでした。だからこそ、1965年に日韓基本条約が締結され、竹島問題を除き日韓における今までの問題が解決したことを相互に認識しました。また、1972の日中共同声明において日本と中国との過去の問題も、尖閣問題を将来に繰り上げることで、解決したと双方同意し、日中関係も新たなスタートを切ったのです。

これで、アジアが一つにまとまれるように共に進める為のスタートラインができた“はず”だったのですが、韓国や中国は各々の政治的打算都合から、あたかもそれまでの日韓、日中、の関係修復の努力がもたらした条約が無効であったかのような対日批判や反日運動を展開し続けています。そして、近年になって、アメリカ社会で増え続け、その政治的影響力をも顕著にしてきた韓国系が韓国で展開している反日、いや、寧ろ、恨日というべく運動をアメリカのアジア系社会だけでなく、全米社会を巻き込みながら展開しているのです。

しかし、彼らは、韓国を含めた朝鮮半島に血みどろの戦を持ち込んだのは日本ではなく、アメリカとソビエトという対立しあう白人勢力とそれに同調しあう自分達であったこと、そしてこうした白人国家の対立で自分達の国が日本統治後、一つの民族の国として独立できず南北に二分されたままの“独立”となったということについて、どうして何も言えないのでしょうか?こうした日本統治よりも新しい歴史的事実を意図的に無視しているのか、それとも、単なる無知なのか私にはわかりません。しかし、いつまでもいつまでもアメリカにきてまで執拗に反日運度をし、アメリカ社会を反日に向けさせることに忙しい限り、誰も、こうした白人勢力がもたらした被害について認識しようすることなしに、いつかは歴史の闇の葬りさられ、いつまでもいつまでも日本だけがアジアの悪なのだという印象付けだけが語り継がれるでしょう。アジアだけでなく、アメリカでも。そして、アメリカでのアジア系社会は排日性をこうした韓国系のおもうままに帯びるようになり、いつまでもアメリカでのアジア系社会が向き合わねばならない白人権力による“壁”とのチャレンジはいっそう長引くものとなるでしょう。

よく考えれば分かります。

ソーシャルワーカーである中国系の友人が私に問いかけてきたアジア系が今のアメリカ社会で直面する差別的な“壁”という現実、アメリカでも執拗に展開する韓国系による反日運動の背後にある要素、そして、日本が黒舟にびびらされてから入欧脱亜主義に陥り、その延長線としてアジアからも、西洋列強主導国際社会からも孤立し、アジアを敵にし、亡国の淵にまで追いやった愚、共通項は何でしょうか?

日本人であれ、日系人であれ、中国人であれ、中国系であれ、韓国人であれ、韓国系であれ、フィリピン人であれ、フィリピン系であれ、ベトナム人であれ、ベトナム系であれ、私たちアジア人、アジア系は、アジアにおいても、アメリカ社会においても、どこでも、それぞれの独自の多様性を維持しつつかつ維持できるような一つの連帯感を構築しなけいといけません。そうでないと、いつまでも、かつての西洋列強による帝国主義的搾取のようではなくても、巧みな白人優越思想による差別の"壁“をぶつけられ続けます。それを改めて感じさせるのが、私の中華系の友人が感じるジレンマであるのです。アジアの声、アジア系の声を一つに統合できるようなアジア系議員がアメリカにはもっともっと必要です。しかし、反日感情をいつまでも政治的な道具とすることで、こうしたアジアの声を一つにすることの妨げをする勢力は、かえってアジア系が直面する”壁“を取り除くことの妨げとなることを理解し、断固反対せねばなりません。

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