Tuesday, April 28, 2020

新型コロナウイルスのようなZoonotic Virusによる疫病パンデミックに対する公衆衛生学的かつ心身的免疫抵抗力について小野田寛郎さんの人生体験から学べるところがあるのではないか?


今回、世界全体を疫病大流行化、つまり、エピデミックを超えパンデミックを引き起こした新型コロナウイルスが、かつて2004年に世界を恐れさせたSARSの流行の元であるウイルスと同じ毛色のもので、これと同じようにコウモリという野生動物から人間にもたらされたものであることも科学的に分ってきました。野生動物、とりわけ、コウモリ、を第一宿生とするウイルスはドブネズミに負けないほどあります。そして、病原ウイルスを満載したコウモリそのものは勿論、その糞尿などとも接触することで、人間や家畜やペットなどもこうしたウイルス達の第二、あるいは中間宿生とされ、症状の如何に関わらず感染させられるリスクがあります。

言ってみれば、同じ温血動物哺乳類でも、ドブネズミが地を走り回る病原体の貯蔵庫であるならば、コウモリは空飛ぶ病原体の貯蔵庫であるといえるでしょう。それなのに、中国などのアジアの一部では、ネズミやコウモリの肉を食べる人がかなりいるので、人間にとってCOVID-19やSARSといった危険な伝染病の元凶であり、野生動物から人間へと感染するウイルス(zoonotic virus)がいつでも伝播される危険性が潜んでいます。だから、人間がこうした野生動物を食べる限り、いつどこでまた次の恐ろしいパンでミックが起っても不思議ではないということになります。私のようにアメリカに住んでいれば、近所のどこにでもみられるリスや、私が住んでいるシカゴの住宅地でみられるウサギ、ですらまだ私達が感染していない人間の免疫にとって未知の病原ウイルスや細菌が潜んでいるかもしれないので、みだらに接触しなくても、その糞尿に注意しなけれなりません。これはネズミ駆除や処理の際、マスクと手袋をつけて、次亜塩素酸ナトリウムを含んだ消毒液を使うような感染予防の注意です。

といった意味で、生態学上、野生動物との共生は病原ウイルスとの共生という課題よりも大切だといえます。後者の場合、パンデミックとまではいかなくてもそれ相応のエピデミックにより相当の数の人間が感染することで抗体を作っていき、それを幾世代も繰り返すことで恒久的あるいは準恒久的抗体を人類共有の財産としていかなければならなりません。これには相当長い時間がかかります。しかし、この時間を短縮したのがワクチンなのです。しかし、すべての病原体に対して私達は効率的なワクチンを開発できるわけではありません。こうした科学の限界は、人間はそのどんな知恵でもっても、自然の摂理の下での現象に完全に打ち勝つことはできないという、謙虚な教訓でもあります。

だから、人間が”文明”の美名の下でもたらし続けている自然環境破壊による生態系のバランス崩壊が野生動物を宿生とする病原ウイルスをそれに対する抗体を持っていない人間にばらまかれるリスクが高まるという説にも納得がいくわけです。

こうした今回の新コロナウイルスによるパンデミックで私は大日本帝国陸軍小野田寛郎少尉の驚くべき人生体験を改めて思い起こします。小野田元少尉は、大東亜戦争中、フィリピンを奪回しにきたマッカーサー将軍率いるアメリカ軍に追われ、フィリピンの山奥に潜伏し、上官からの反撃司令を待っていました。しかし、潜伏中、上官から終戦について知らされる機会もなく潜伏を続けていました。

アメリカ軍やフィリピン政府からの終戦通告と降伏命令を”わな”だと警戒し、29年間も潜伏し続けていた小野田寛郎さん、マラリアやデング熱など、熱帯特有の伝染病にかかることもなく健康だった。驚くべきことはそれだけではありません。

ここで先ず大切なことは、小野田さんは、入り込んだフィリピンの山奥の環境を自分が暮らしやすいように、木を伐採し、せせらぎを堰止めたりして、”開発”していったのではなく、自分自身が、慣れない野生生活に適応させていったということです。さもなければ、アメリカ軍、或いは、現地の人に見つけられ、無差別攻撃を得意とするアメリカ軍であれば、山一体を丸焼きにされ殺されていたか、現地の事情に精通しているフィリピン政府関係者から拿捕されていたことであろう。つまり、小野田さんにとって野性環境に従順に適応できるかどうかが潜伏生活における生存の鍵だったのです。そして、伝染病のパンデミックにおいても、ここに何か小野田さんのこうした適応体験から学べるものがあると考えられます。後に小野田元少尉は、人間に対してははったりが利くかもしれないが、自然にはまったく利かないという、古来より日本人が抱いていた自然に対する畏敬の念を含んだ発言をしており、こうした自然に対する謙虚な姿勢が、小野田さんの野生環境適応能力の背後にあると考えられます。

高温多湿の熱帯林の中でも現地の人でも寄り付かないような所で、生命維持に不可欠な蛋白源として、恐らく野生動物を生で食べなければならなかったと思われますが(焼肉にしたら煙がのぼって隠れているところが見つかるから火をおこすことは自殺行為)、これらは新コロナウイルスのような病原体の宿生でもあることが多いので、それを食べていれば誰も知られずに一人で病死している可能性もかなり高い。しかし、そのような野生動物のような様々な病原体との接点のある生活を30年近くも続けていたにもかかわらす、時折体調を崩すことがあってもこれといった病気何一つ、しかも、病状がないだけでなく、不顕性感染もみられなかったが故に、帰還帰国後検疫をパスということは、感染免疫学上、病理学上、非常に興味深いものです。


勿論、私達が想像すらできないような過酷で危険な野生環境でたった一人で電話も手紙もない本当に人間社会から切り離された状況で精神疾患をも患わなかったという事実は、臨床心理学的にみて驚異的としか言い様がありません。そして、この小野田さんの当時いつその終わりが来るのかわからなかった切り離された環境での生活体験は、今、私達が強いられている外出自粛要請による”引きこもり”生活でのメンタルヘルスについての教訓を残しているといえます。こうしたことから、身心医学的にみて、小野田さんのケースは免疫心理学において免疫と自律神経の機能の相関性を環境適応という進化学上大切な要素を鑑み研究していく上で非常に貴重なケースといえるのではないでしょうか。小野田寛郎さんのフィリピンでの野生環境サバイバルについて免疫心理学的適応ということに焦点をあてて研究してみると人類と病原ウイルスがこれからどう向き合い、そして、必要ならば、戦い続けていかなければならないかということへの指標がみえてくると信じています。

小野田さんは、29年間のフィリピン熱帯林での野生生活を経て帰還後もそしてブラジル移住後も、91歳まで一貫してほぼ健康な人生を全うされ他界されたが、こうした小野田さんの生きた過程を改めて環境変化適応能力という要素に自律神経と免疫の相関性に焦点をあてながら身心医学的に研究をすすめていくと、人類は何か新しい貴重な教訓を得ることができるはずです。つまり、これから私達が小野田さんが体験されたことを私達自身の生き方にどう活かしていくかによって、私達は公衆衛生学的にパンデミックに対してより高い抵抗力と生存強靭性をもつようになるのではないでしょうか。

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