Saturday, February 7, 2015

困難な国際情勢の嵐の中、感情と理性の狭間に日本の平和を維持する努力



冷戦期以来のロシアからの脅威と、近年の中国によるあからさまな軍事的脅威に加え、現在、自称イスラム国がとった日本への挑発的行為に対し、日本の世論が非常に感情的になっております。



確かに、日本国民として、こうした世界状況に置かれれば、感情的になります。しかし、心理学の冷静な科学的な観点から歴史を検証すれば、こうした我々の感情的な反応には非常に恐ろしい落とし穴が潜んでいることを認識させ、その落とし穴に引きずりこまれないように、どのようにして理性でもって高まりつつある感情を統制できるか示唆してくれます。

冷静に理性でもって感情を統制するということは、感情を押し殺せということではありません。森田療法で教えるように、感情とは人間として、いや、それ以前の動物としてごく自然な生理学的かつ心理学的な現象で、種の生存と進化的実存性と密接な関係のあるものです。このことは、人間の脳を切断してその内部を検証してみると、どうして感情に関わる大脳辺縁帯の下である脳の大部分が動物の脳と殆ど同じであるかという解剖学的な事実からもわかります。しかし、人間が他の動物と違い、単に感情や本能のままに行動せず、理性や意思でもってこうした感情的、本能的な衝動をうまくコントロールできるのは、前頭葉が非常に発達しているからです。前頭葉が脳に占める割合は、人間が一番高いのです。

森田療法では、まず今自分が感じている感情を否定したり、ねじまげたりしようとせず、あるがままに認識します。不快な感情だからといって、覆い隠そうとしたりせず、勇敢にかつ冷静にそれを認識することで、理性でもってこうした不快な感情とどのようにして向き合い、対処しながらより建設的かつ意義のある行動をとっていけるのか努力していきます。こうした森田療法的な心理学のパラダイムでもって、理性的統制が欠如した感情論による反応的行動がいかに破壊的であり危険なものとなりうるか、現在の日本の状況と、かつての日本が経験した似たような状況とを歴史的に検証してみましょう。

今年は終戦70年を記念する節目の年です。 奇しくも、現在我が国が置かれている国際状況は真珠湾攻撃による日米戦開戦前夜の困難な国際状況に相通ずるような何かがあるような感じがします。当時の世論、特に、政治を動かすレベルでの多数派の意見は、侮辱的なハル国防長官による日本への最終通告に対する憤りからの感情論でした。そして、こうした世論は、アメリカという国の軍事力を知らずに、対米宣戦へと日本を動かそうとしていました。

そうした感情論の嵐がとりまく軍部の中でも、山本五十六元帥は始めから日米開戦なんぞ望んでおらず、徹底して日米和平推進を切望していました。それなのに、どうして元帥の意に反し、状況はどんどん真珠湾攻撃による日米開戦、そして、始めはそれによる短期戦終結という意図に反し、戦局は更に悪化し、ミッドウェー海戦を機に、フィリピンやグアム、サイパンとった砦を失い度重なる本土空襲爆撃の末、硫黄島陥落、沖縄本土戦、そして、広島と長崎への原爆投下、そして、台湾、朝鮮、満州、南樺太、千島列島、沖縄における日本の権益を失うような終戦となってしまったのか。

その背景には大和魂を曲解してしまった狂気な感情論があったと思われる。これが日本にとっての目に見えない本当の恐ろしい敵であると思われます。この狂気があからさまになってきたのは、あの2.26事件による青年将校による反乱でありましょう。彼らの狂気はまさに軍国主義の愚そのものであり、軍を腐敗、弱体化させるものであり、天皇陛下のご意向を勝手に解釈して自分達の狂気を正当化させる為に利用する非常に反日的で恐ろしいものです。こうした狂気が軍の下っ端から上層部へと侵略し、さらに、日本の政治の中枢にまで侵し始めるとどのような顛末となるか、70年前の現在から終戦にわたるまでの日本の惨禍を振り返れば自明であります。

こうした狂気に侵された軍は、理性的冷静さを失い、盲点に潜む敵の存在を正確かつ迅速に掴み取ることで、攻略的に対処する能力を略奪してしまう。だから、愛国武士道大和魂の名において無駄死にさせることをも厭わなくなりました。確かに、葉隠には武士道の本質は死することにあり、と記されているが、この言葉に続くところを読めば、これは、命を粗末にすることではないというパラドックス的な深い倫理哲学の教えであることがよくわかります。確かに、狂気に蝕まれた心にはこうした深い哲学真理がわからず、すぐに感情的に曲解し、無駄死にさせることが、あたかも武士道にあるような名誉ある死であるかのような妄想を作り出すのです。こうした中で、愛国心も大和魂も、そして、なんといっても実に多くの若い命が間違った方向へと向けられました。

しかし、心理学による象牙の塔的な歴史批判をすることは簡単で、理屈ではわかっていても、実際に理性で感情を統制し、過去の狂気による軍国主義の愚を繰り返さない努力をすることは極めて困難です。このことはあの山本元帥ですらしぶしぶと当時の軍部中枢部の感情的世論に意に反して従わざろうを得なくなり、とうとう後戻りができないところまできてしまったという歴史的事実からもわかります。まさに、この難しさは、夏目漱石が草枕の冒頭でのべた、智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくいという言葉の意図するところです。

日米同盟による安全保障神話の中、戦後、間違った平和教育を受け続けてきて平和ボケしてしまった多くの人達、そして、その対極ともいうべき、感情統制がうまくできないチンピラのような、かつて2.26事件を起こした青年将校達のような好戦的な人達、による日本国民の二極化が進んでおります。

感情をあるがままに受け入れながらうまく理性と意思で統制するこうことは、間違った平和ボケ的な平和主義でもなく、感情論剥き出しの好戦的な態度でもありません。感情と理性が対極的なった時のテンションのバランスを保つという、いわば、心理的力学の平衡性を維持する努力をするということです。しかし、このことは二枚舌的に振舞うということでしょうか?そうでもありません。二枚舌では、両極を行ったり来たりで、振動が激しくなり、平衡性とはかけ離れたものとなるからです。

緊張が高まる国際状況への自然な反応として私達はどうしても感情的になります。一方、健全な心、人間としての脳、でもって対処すれば、感情をあるがままに認識しつつ、大脳辺縁帯でプロセスしながらそれを前頭葉からの理性と意思でうまく統制することで、感情と理性のバランスの平衡性を維持できるのです。そして、この平衡性、バランス、の中にしか平和という、ものは見出せないのでしょうか。

本当の意味で戦争に勝つということは、戦争をせずに勝つということです。こうした本当の勝利を得るには、まず誰よりも冷静で、秀でてマインドフルでなければなりません。これは武士道の基本にある禅的な精神にも相通ずるものです。

私達を感情の渦に陥れようとする敵、特に、敵の心理、をまずよく知り、敵のアキレス腱をしっかりとコントロールするように敵の感情や考え方を抑えることができるということが前提であです。その為には何といっても情報戦とそれによる心理戦を外交によって展開することであります。どうやら、黒舟来航による開国以来、日本はこうした情報戦と心理戦を巧みに駆使する外交において非常に弱いようです。だから、歴史的にアメリカのような大国に威圧されると、智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくいといったような萎縮的な反応をし、その後、”passive –aggressive”な反応に出がちです。

これからの日本は、平和と安泰を維持する為、こうした緊張高まる困難な国際情勢の乱気流の中でいかにして安定した飛行を継続できるか努力せねばなりません。理性ある日本国民は、こうした悪天候で飛行機を操縦するパイロットに要求される、気流による飛行機への力学的影響のあるがまま(客観的、物理学的)な認識とそれに対する理性と意志による統制のバランスのような心でもって、立憲君主民主主義という日本を動かしていかなければなりません。その為には、歴史を心理学の目で科学的に今一度検証してみることも必要ではないでしょうか。また、龍樹による仏教の中道教えの意味もこうした検証の上で照らし合わせてみることも大切ではないでしょうか。

感情の流れに対し理性による角を立てずに、しかも、流されるような竿をさすことなく流されないようにするにはどうしたらいいのか、この問いは今後、代々我が国の平和をどのような国際状況にあっても維持していく上で考え続けねばならないものです。

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