Friday, August 14, 2015

終戦70周年を記念する日、未だ消えぬ憎しみと恨みの煩悩の火を消す誓いの日

今日、平成27年8月15日は、終戦70周年の記念日です。70年前のこの日、日本は昭和天皇の終戦詔勅の玉音放送でもって、昭和12年の盧溝橋事件に端を発する日中戦争以来の長い戦争の幕を閉じることができました。

70年前の今日、日本人の心境は、史上前例の無いスケールで国民皆が多大な犠牲を払って耐え忍んだ戦争が、敗戦という形で終わったことへのいいようの無い失望と虚無感に伴い、それまでの戦時中の苦痛からの開放感やそれまでの敵国であったアメリカを始めとする連合軍に占領されることへの不安感などが複雑に入り混じったものだったと思います。
この節目の日、終戦の意義について考えてみることは大切です。

70年前の今日の日まで、それまでずっと、日本は負けることの無い神の国である、これは現人神である陛下の皇軍による聖戦である、と多くの日本人が信じていました、というか、信じ込まされていました。西洋列強からの脅威に対抗すべく、急ピッチで帝国主義にある西洋列強に習い富国強兵化した明治以来の大日本帝国は神道を国家宗教とし天皇陛下を政治利用してきました。明治天皇も昭和天皇も、戦争を好みませんでしたが、政府、特に、軍幹部が、陛下に、”戦争するしか打開の道がない”と説得し、 日清戦争、日露戦争、そして、こうした流れと、世界大恐慌などによる不景気にある国民の怒りや失望を外に向けるため、満州を日本の新しい植民地とすることで打開しようとし、満州事変が勃発。その結果、満州国を建国し、日中関係が急激に悪化する中、日米関係もそれに伴って悪化し、盧溝橋事件ば勃発し、日中戦争が始まりました。そして、アメリカは日本への制裁を強め始め、とうとうハルノートでもって日本の満州をはじめとする大陸での権益や権益拡大の野望を打ち砕こうと迫ってきました。これに対し、5.15事件や2.26事件などで文民統制だけでなく諸外国との関係悪化や戦争を好まない天皇陛下のご意向にも欺き、自分達の飽くなき覇権欲を追及するようになった軍部は、” 対対米開戦”でしか日本の満州などにおける権益を確保できないと主張、そう天皇を説得し、真珠湾攻撃による大東亜戦争の火蓋が切られたのです。

当時、ハルノートを突きつけてきたフランクリンルーズベルト政権は、アメリカ国民に、戦争不参加という公約をしていました。しかし、ナチスドイツにより致命的になりかねない打撃を受けているチャーチル政権のイギリスは執拗に、アメリカに援助を求めていました。つまり、アメリカの対ナチスドイツ戦争を要求していたのです。しかし、ルーズベルトは自分を選出してくれたアメリカ国民との不戦の公約を破るわけにはいきません。とはいえ、同盟国であるイギリスを”見殺し”にするわけにもいきません。そこで、ルーズベルトは、何とかしてアメリカ国民がヨーロッパで既に展開していた第二次大戦に参戦することを公約に拘わらずに進められるような政治的工夫が必要だったと考えられます。そこで、目をつけたのが、当時のアメリカの東アジア政策の癪に障る日本の大陸での権益拡大に干渉し、日本を苛立たせ、日本からアメリカに攻撃を加えてくるようにすれば、アメリカ国民は反日感情を抱き、不戦を誓った大統領に対し、熱狂的に対日戦を支持し、それによりアメリカはナチスドイツの圧倒的攻撃に苛まれる同盟国イギリスを救うこともできるという”ずる賢い政治的計算”が成り立つわけです。実際こうしたことがルーズベルトとハル国務長官などの側近の胸中にあったかどうか、歴史的仮説の憶測の余地がありますが。しかし、実際、当時の歴史は、こうした”筋書き”通りとなり、こうしたルーズベルトの思惑通りに、辛抱できない日本の軍部は対米戦へと日本と突入させ、ルーズベルトはアメリカ国民の心に激しい対日嫌悪感の炎を燃えさせ、日中戦争が一気に大東亜戦争というスケールの大きな世界戦へと拡大したのです。

終戦から70年経った今でも、安倍談話は旧日本軍の侵略行為などに対する謝罪と反省の色が薄いとか、昭和天皇の戦争責任、大東亜戦争は日本が西洋列強植民地主義の下で奴隷同様にあった東南アジア諸国を開放することで大東亜共栄圏という”ユートピア”を構築する為の戦争であった、などなどと、いつまでもいがみ合いが続き、感情的なレベルにおいてはこの戦争は今でも続いています。こうしたことについて、”どうしてそういつまでも過去に’拘る’のか?”と聞くと、”お前は、日本の過去の蛮行について何も反省していないのか?”と責められるでしょう。しかし、こうした言い争いがいったいどうして戦後の平和の為になるのでしょうか? 煩悩に翻弄されず、こうした我による執着がもたらす解釈の違いという表面的なレベルでのいざこざに捉われていては、いつまでも問題の本質について無智でいるままです。そうであれば、皮肉にも、また戦争が起こるでしょう。

心理と神学、宗教学を専門とする私から観れば、こうした感情的な”戦争”の続行は、加害国とされる日本と被害国とされるかつて日本が交戦あるいは軍事的介入を行うことで多くの人達が犠牲となり苦しんだ国々双方において煩悩の火が燃え続けている証拠です。厳密にいえば、この煩悩の火は、憎しみや恨み、怒り、それに、一種の妬みなどといった病的な感情がその要素として考えられます。そして、こうした煩悩の背景には、我があります。つまり、どの国も、自分が”加害者と言われたくない”、"自分は被害者だ”ということへの我による執着があり、この執着が、煩悩の感情的な火を燃やし続ける理由なのです。

そもそも、戦争とは煩悩がもたらす最悪のものだといえましょう。

幕末に勝海舟に頼んで咸臨丸に乗せてもらって渡米してから”西洋かぶれ”になった福沢諭吉は、西洋の良きところを取り入れてもアジアとの調和の重要性を諭す勝海舟を”時代遅れ”とでも嘲笑し、脱亜論を強調し、明治政府はこれを脱亜入欧の新しい理想とし、当時の富国強兵政策の哲学的な根底ともなりました。こうした誤った西洋への"妬み”による”執着”という複数の煩悩により、日本はその帝国主義の覇権欲を高めていきました。
確かに、当時のロシアによる脅威を考えれば、日清戦争による朝鮮独立と朝鮮への介入、そして、日露戦争によるロシアへの牽制と朝鮮併合による日本防衛の”防波堤”は”地政学的必要悪”だといえるかもしれません。しかし、こうしたロジックをそのまま、当時のアメリカに当てはめれば、広島と長崎への原爆投下も”戦争早期終結の為の必要悪”だという屁理屈が罷り通るかもしれません。

私達は、我を捨て超越した次元で、煩悩的感情論によらず、こうして一水四見的に真実を悟らねばなりません。仏教心理学といえる密教的唯識論において、人間の識とは、潜在意識にある末那識によって歪められ、私達はついつい知らずに思い込みの愚を犯します。しかし、無智という煩悩ゆえ、こうした思い込み、つまり、妄想、を我への執着というもう一つの煩悩により、”真実だ!”と主張し、違った角度から同じ事象について観たり考えたりすることができなくなります。こうしたことが、言い争いの背景にあり、更に、このような感情に支配させた心が感情的な争いへと発展し、憎しみ、恨み、怒りなどといった破壊的な煩悩的感情の火が燃え出すのです。心理的なレベルにおいては、もうすでに煩悩による火を放ちあう戦争が始まっているのです。

そして、こうした戦争が戦後70年たっても続いており、憎しみや怒りといった煩悩の火が燃え続けるだけなく、今でも双方を傷つけあっていることは非常に残念なことです。

我による執着といった煩悩と、憎しみ、怒りや恨みなどといった煩悩的感情を克服せずして、いくら”不戦”とか”平和”とか、集団的自衛権行使反対だとか憲法9条死守とか、血眼で叫んでも、動物的な脳でしかない大脳辺縁帯が司る煩悩的感情を人間的に進化した脳の象徴でもある前頭葉による理性で統制できなければ、また戦争が起きるでしょう。煩悩の感情という火が統制されることなく燃え続ける限り、かつて不戦を誓ったルーズベルト政権の”ずる賢さ”と、かつての武士道精神を欠き精神的に堕落したかつての日本軍部の”慎重さの欠如”が日米対戦をもたらしたように、戦争は起こるのです。

現在、中国や韓国は異常なほどの過去の日本の戦争責任への執着を示し、多くの日本人を苛立たせています。つまり、こうした隣国の執着の煩悩が、日本人の煩悩的感情の火をつける。そうすることで、より煩悩的な感情による戦争がエスカレートすることになる。こうした隣国の煩悩の思う壺にはめられて日本はどのような得をするのでしょうか?真珠湾攻撃も、ルーズベルトの煩悩の巧みな罠にはめられ、武士道精神を欠いた旧日本軍部の苛立ちの煩悩的感情によって行われたものであることを忘れてはいけません。
 
武士道の根本はやは禅定といったような、煩悩的感情にすさぶられない不動の強い心を培い維持することにあります。これは、前述した、前頭葉的な理性による感情統制(抑圧とは違う)にも並行するものだといええましょう。こうした不動の精神的境地は無我であり、煩悩が食い込む余地はありません。軍人たるものは、こうした禅定の武士道精神を示さねばならないのです。そうでないと、また無謀な戦いをしてしまうのです。そして、一般市民である私達も、こうした武士道的な禅定の不動の精神力を涵養することが、まず自分の心を常に平安に保つことでめざしていける世界平和への確かな一歩ではないでしょうか。

終戦記念日である8月15日は、奇しくも、聖母マリアの被昇天を記念する日でもあります。聖母マリアは、穢れ無き乙女(immaculate virgin)ゆえ、神の御子、イエス、を身篭り、出産させこの世に送り出しました。これは、マリアの意思ではありません。父なる神の意思の救世の意思なのです。罪深い、つまり、煩悩の連鎖を断ち切ることができない、弱い精神力の人間が住む世を救うためにマリアを使わせたのです。乙女マリアの穢れなさはその肉体だけでなく、心と魂もです。なぜなら、マリアの心や魂には我がないからです。無我ゆえ、マリアは、神の意思を素直に受け入れ、自分にその結果どのような試練が襲い掛かるかなどといったことを厭わずに、ただ神の意思のままに神の子、イエスを身篭らせ、産み、夫ヨゼフとの愛の下で育てたのです。

そして、今日、この聖母マリアはこの世での使命を全うし、体と心と魂共に、天に受け入れ(assume)されたのです。神の力の導きで、かつて彼女が神の意思をあるがままに受け入れた如く、そのままの姿で受け入れられたのです。

終戦記念日と聖母マリア被昇天の祝日との関わりについて考えながら、私達も、マリアのようにもっと我への執着を捨て、無我となり、神の意思であれ、キリストの教えであれ、釈迦の教えにある仏法であれ、何か、自分の存在よりも偉大でそれを超越したところの真実に目を開き、素直に受け入れることが必要なのではないでしょうか?

宗教云々にかかわらず、こうした私達すべてが我を超えたところにある偉大な真実とは、隣人愛ではないでしょうか?マリアが素直に受け入れた父なる神の救世の意思、そして、その結果生まれ育ったイエスが説いた教え、そして、釈迦が説いた八正道や仏法の教えにも、我を無にすることで隣人をよりよく愛することの真実があります。だから、父なる神は自分の菩薩的な化身ともいえる御子イエスを愛する罪人である私達の救いの為に罪滅ぼしの生贄に捧げられた。その時のイエスと父なる神との一致した望みは、こうした神の私達への隣人愛、アガペ、を理解し、煩悩、罪、に支配されない禅定のような境地にある無我の生き方へと改心することだったことを忘れてはいけません。

こうしたカトリックの教えにを反映した憎しみ、恨み、怒りなどの煩悩的感情を隣人愛の為に克服した良き例は、フィリピンのエルピディオキリノ大統領だといえましょう。キリノの大統領は、最愛の妻とすべての子供が日本軍により殺害させ、日本に対する怒りや恨みは到底言葉では表現しきれないものだったことでしょう。そして、殆どすべてのフィリピン人は日本による軍政による過酷さを極めた生活を強いられ、殺害され、多大な犠牲を払わされたことなどから、その対日感情は怒りと憎しみに満ちたていました。そうした中で、戦後、アメリカのお膳立てで独立を果たしたフィリピン共和国の大統領がキリノです。彼は、戦後の新独立共和国としてのフィリピンを統率していく上で、こうした国民の煮えたぎった反日感情を、自分自身の日本に対する怒りや憎しみと向きあいながら対日政策を考えねばならない辛い立場にありました。勿論、彼自身、そして、代表するフィリピン国民の怒りと憎しみの対日感情をそのまま反映させた政策を取るならば、現在でも中国や韓国が行うような対日政策をしていたでしょう。しかし、キリノ大統領は、何か、こうした感情的なレベルを超越したところに悟り始め、更に自分自身のカトリックとしての良心と日本により苦しめれた犠牲者としてのフィリピン人の怒りや憎しみとの葛藤の板ばさみの中で苦しみ続けました。そして、ついに、こうした煩悩的感情である怒りや憎しみの火を燃やし続けたままでは、本当の意味での戦争を終わらせたことにはならないということ真実に開眼したのです。そして、まだ多くのフィリピン人が煮えたぎる反日感情を抱き続ける中、まず、自ら率先してこうした煩悩的感情を祈りにより神の恵みの力で克服し、キリストが教えた隣人愛でもって日本との国交回復と感情的な和解に向けての手を差し伸べてきたのです。しかし、こうしたことは、当時のフィリピン人の多くにとってはとても信じられないことでしたが、徐々にカトリック教徒としてキリノ大統領の導きの意味が理解できるようになり、今では、ベニグノ・アキノ3世大統領が、かつてのいがみ合ったアメリカと日本はフィリピンにとっての最高の友人であるとまでフィリピン国民に宣言できるようにまでなりました。

これこそが、イエスキリストの隣人愛の教えにある、仏教でも教える、憎しみや怒りなどの煩悩的感情といった戦争の火種を消すことの良き例ではないでしょうか?そして、それを率先した敬虔なカトリック教徒であるキリノ大統領は、自分の我を神の意思に“assume”、つまり、受け入れてもうことで、捨て、その変わり、その御子であるキリストの教えにある隣人愛を当時まだ憎らしかった日本へ差し伸べられるだけの精神的な勇気が与えられたのです。こうしたキリノ大統領が示したキリストの教えによる煩悩の克服による隣人愛の実践は、戦後の世界平和を願う私達すべてが模範とすべきものです。

また、8月15日は、盆明けのイブでもあり、現世へ”里帰り”している先祖の霊がそろそろ極楽浄土へと戻る準備をしている時でもあります。こうした御霊を安心して送りだせるようにする為にも、ただ送り火を焚くのではなく、私達の心が煩悩のない禅定の境地にある心であることを示すことが大切ではないでしょうか?そうでないと、御霊も心配で心配で、旅立ち辛いかと思います。特に、あの長い長い戦争で犠牲となった英霊や御霊はとくにそうでしょう。

聖母マリアの被昇天、Assumptionという英語のラテン語からの語源には受け入れるという意味があることは先に示唆しましたが、受け入れるということは、森田療法でもいうように”あるがままに”つまり、自分の我による執着なしに受け入れるということです。そのいい例がマリア様が神の意思のお告げを受け入れたことです。そして、このマリア様が今度、その任務を全うされ、天の父の元、そして、御子イエスのいる元である天へとあるがままの姿、つまり体も心も魂もそのままで受け入れられたわけです。

こうした受け入れは、70年前に昭和天皇が行ったポツダム宣言の受け入れと、天皇陛下ご自身が、戦後日本を占領した連合軍の最高司令官であったマッカーサー元帥へ示された自分の身柄を受け入れることの引き換えに国民を救うように願われたお心にもみられるのではないでしょうか。そして、こうした受け入れを願うこころは、謙虚さそのものであり、無我の表れでもあります。先述した霊操を編み出したロヨラの聖イグナチオも”Suscipe”という真摯な祈りにおいて、神に向かい、どうか私の意志を受け取っください、なぜならば、私は我を放棄し、あなたのご意思のままに自分を捧げたいからだと願ったからです。

8月15日は、私達皆が、自己の中にある我を聖イグナチオの”Suscipe”祈りにあるように放棄し、そうすることで煩悩を克服し、禅定んのような平安で、乙女マリアのような穢れ無き心でもって隣人愛を実践していく決意を新たにする日であるとしましょう。こうすることで、いつまでも私達の心の中で燃え続ける戦争の火種である煩悩的感情の火を消しましょう。


平和への願いをこめて祈りのうちに、合掌。

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