Showing posts with label 平和. Show all posts
Showing posts with label 平和. Show all posts

Friday, August 14, 2015

終戦70周年を記念する日、未だ消えぬ憎しみと恨みの煩悩の火を消す誓いの日

今日、平成27年8月15日は、終戦70周年の記念日です。70年前のこの日、日本は昭和天皇の終戦詔勅の玉音放送でもって、昭和12年の盧溝橋事件に端を発する日中戦争以来の長い戦争の幕を閉じることができました。

70年前の今日、日本人の心境は、史上前例の無いスケールで国民皆が多大な犠牲を払って耐え忍んだ戦争が、敗戦という形で終わったことへのいいようの無い失望と虚無感に伴い、それまでの戦時中の苦痛からの開放感やそれまでの敵国であったアメリカを始めとする連合軍に占領されることへの不安感などが複雑に入り混じったものだったと思います。
この節目の日、終戦の意義について考えてみることは大切です。

70年前の今日の日まで、それまでずっと、日本は負けることの無い神の国である、これは現人神である陛下の皇軍による聖戦である、と多くの日本人が信じていました、というか、信じ込まされていました。西洋列強からの脅威に対抗すべく、急ピッチで帝国主義にある西洋列強に習い富国強兵化した明治以来の大日本帝国は神道を国家宗教とし天皇陛下を政治利用してきました。明治天皇も昭和天皇も、戦争を好みませんでしたが、政府、特に、軍幹部が、陛下に、”戦争するしか打開の道がない”と説得し、 日清戦争、日露戦争、そして、こうした流れと、世界大恐慌などによる不景気にある国民の怒りや失望を外に向けるため、満州を日本の新しい植民地とすることで打開しようとし、満州事変が勃発。その結果、満州国を建国し、日中関係が急激に悪化する中、日米関係もそれに伴って悪化し、盧溝橋事件ば勃発し、日中戦争が始まりました。そして、アメリカは日本への制裁を強め始め、とうとうハルノートでもって日本の満州をはじめとする大陸での権益や権益拡大の野望を打ち砕こうと迫ってきました。これに対し、5.15事件や2.26事件などで文民統制だけでなく諸外国との関係悪化や戦争を好まない天皇陛下のご意向にも欺き、自分達の飽くなき覇権欲を追及するようになった軍部は、” 対対米開戦”でしか日本の満州などにおける権益を確保できないと主張、そう天皇を説得し、真珠湾攻撃による大東亜戦争の火蓋が切られたのです。

当時、ハルノートを突きつけてきたフランクリンルーズベルト政権は、アメリカ国民に、戦争不参加という公約をしていました。しかし、ナチスドイツにより致命的になりかねない打撃を受けているチャーチル政権のイギリスは執拗に、アメリカに援助を求めていました。つまり、アメリカの対ナチスドイツ戦争を要求していたのです。しかし、ルーズベルトは自分を選出してくれたアメリカ国民との不戦の公約を破るわけにはいきません。とはいえ、同盟国であるイギリスを”見殺し”にするわけにもいきません。そこで、ルーズベルトは、何とかしてアメリカ国民がヨーロッパで既に展開していた第二次大戦に参戦することを公約に拘わらずに進められるような政治的工夫が必要だったと考えられます。そこで、目をつけたのが、当時のアメリカの東アジア政策の癪に障る日本の大陸での権益拡大に干渉し、日本を苛立たせ、日本からアメリカに攻撃を加えてくるようにすれば、アメリカ国民は反日感情を抱き、不戦を誓った大統領に対し、熱狂的に対日戦を支持し、それによりアメリカはナチスドイツの圧倒的攻撃に苛まれる同盟国イギリスを救うこともできるという”ずる賢い政治的計算”が成り立つわけです。実際こうしたことがルーズベルトとハル国務長官などの側近の胸中にあったかどうか、歴史的仮説の憶測の余地がありますが。しかし、実際、当時の歴史は、こうした”筋書き”通りとなり、こうしたルーズベルトの思惑通りに、辛抱できない日本の軍部は対米戦へと日本と突入させ、ルーズベルトはアメリカ国民の心に激しい対日嫌悪感の炎を燃えさせ、日中戦争が一気に大東亜戦争というスケールの大きな世界戦へと拡大したのです。

終戦から70年経った今でも、安倍談話は旧日本軍の侵略行為などに対する謝罪と反省の色が薄いとか、昭和天皇の戦争責任、大東亜戦争は日本が西洋列強植民地主義の下で奴隷同様にあった東南アジア諸国を開放することで大東亜共栄圏という”ユートピア”を構築する為の戦争であった、などなどと、いつまでもいがみ合いが続き、感情的なレベルにおいてはこの戦争は今でも続いています。こうしたことについて、”どうしてそういつまでも過去に’拘る’のか?”と聞くと、”お前は、日本の過去の蛮行について何も反省していないのか?”と責められるでしょう。しかし、こうした言い争いがいったいどうして戦後の平和の為になるのでしょうか? 煩悩に翻弄されず、こうした我による執着がもたらす解釈の違いという表面的なレベルでのいざこざに捉われていては、いつまでも問題の本質について無智でいるままです。そうであれば、皮肉にも、また戦争が起こるでしょう。

心理と神学、宗教学を専門とする私から観れば、こうした感情的な”戦争”の続行は、加害国とされる日本と被害国とされるかつて日本が交戦あるいは軍事的介入を行うことで多くの人達が犠牲となり苦しんだ国々双方において煩悩の火が燃え続けている証拠です。厳密にいえば、この煩悩の火は、憎しみや恨み、怒り、それに、一種の妬みなどといった病的な感情がその要素として考えられます。そして、こうした煩悩の背景には、我があります。つまり、どの国も、自分が”加害者と言われたくない”、"自分は被害者だ”ということへの我による執着があり、この執着が、煩悩の感情的な火を燃やし続ける理由なのです。

そもそも、戦争とは煩悩がもたらす最悪のものだといえましょう。

幕末に勝海舟に頼んで咸臨丸に乗せてもらって渡米してから”西洋かぶれ”になった福沢諭吉は、西洋の良きところを取り入れてもアジアとの調和の重要性を諭す勝海舟を”時代遅れ”とでも嘲笑し、脱亜論を強調し、明治政府はこれを脱亜入欧の新しい理想とし、当時の富国強兵政策の哲学的な根底ともなりました。こうした誤った西洋への"妬み”による”執着”という複数の煩悩により、日本はその帝国主義の覇権欲を高めていきました。
確かに、当時のロシアによる脅威を考えれば、日清戦争による朝鮮独立と朝鮮への介入、そして、日露戦争によるロシアへの牽制と朝鮮併合による日本防衛の”防波堤”は”地政学的必要悪”だといえるかもしれません。しかし、こうしたロジックをそのまま、当時のアメリカに当てはめれば、広島と長崎への原爆投下も”戦争早期終結の為の必要悪”だという屁理屈が罷り通るかもしれません。

私達は、我を捨て超越した次元で、煩悩的感情論によらず、こうして一水四見的に真実を悟らねばなりません。仏教心理学といえる密教的唯識論において、人間の識とは、潜在意識にある末那識によって歪められ、私達はついつい知らずに思い込みの愚を犯します。しかし、無智という煩悩ゆえ、こうした思い込み、つまり、妄想、を我への執着というもう一つの煩悩により、”真実だ!”と主張し、違った角度から同じ事象について観たり考えたりすることができなくなります。こうしたことが、言い争いの背景にあり、更に、このような感情に支配させた心が感情的な争いへと発展し、憎しみ、恨み、怒りなどといった破壊的な煩悩的感情の火が燃え出すのです。心理的なレベルにおいては、もうすでに煩悩による火を放ちあう戦争が始まっているのです。

そして、こうした戦争が戦後70年たっても続いており、憎しみや怒りといった煩悩の火が燃え続けるだけなく、今でも双方を傷つけあっていることは非常に残念なことです。

我による執着といった煩悩と、憎しみ、怒りや恨みなどといった煩悩的感情を克服せずして、いくら”不戦”とか”平和”とか、集団的自衛権行使反対だとか憲法9条死守とか、血眼で叫んでも、動物的な脳でしかない大脳辺縁帯が司る煩悩的感情を人間的に進化した脳の象徴でもある前頭葉による理性で統制できなければ、また戦争が起きるでしょう。煩悩の感情という火が統制されることなく燃え続ける限り、かつて不戦を誓ったルーズベルト政権の”ずる賢さ”と、かつての武士道精神を欠き精神的に堕落したかつての日本軍部の”慎重さの欠如”が日米対戦をもたらしたように、戦争は起こるのです。

現在、中国や韓国は異常なほどの過去の日本の戦争責任への執着を示し、多くの日本人を苛立たせています。つまり、こうした隣国の執着の煩悩が、日本人の煩悩的感情の火をつける。そうすることで、より煩悩的な感情による戦争がエスカレートすることになる。こうした隣国の煩悩の思う壺にはめられて日本はどのような得をするのでしょうか?真珠湾攻撃も、ルーズベルトの煩悩の巧みな罠にはめられ、武士道精神を欠いた旧日本軍部の苛立ちの煩悩的感情によって行われたものであることを忘れてはいけません。
 
武士道の根本はやは禅定といったような、煩悩的感情にすさぶられない不動の強い心を培い維持することにあります。これは、前述した、前頭葉的な理性による感情統制(抑圧とは違う)にも並行するものだといええましょう。こうした不動の精神的境地は無我であり、煩悩が食い込む余地はありません。軍人たるものは、こうした禅定の武士道精神を示さねばならないのです。そうでないと、また無謀な戦いをしてしまうのです。そして、一般市民である私達も、こうした武士道的な禅定の不動の精神力を涵養することが、まず自分の心を常に平安に保つことでめざしていける世界平和への確かな一歩ではないでしょうか。

終戦記念日である8月15日は、奇しくも、聖母マリアの被昇天を記念する日でもあります。聖母マリアは、穢れ無き乙女(immaculate virgin)ゆえ、神の御子、イエス、を身篭り、出産させこの世に送り出しました。これは、マリアの意思ではありません。父なる神の意思の救世の意思なのです。罪深い、つまり、煩悩の連鎖を断ち切ることができない、弱い精神力の人間が住む世を救うためにマリアを使わせたのです。乙女マリアの穢れなさはその肉体だけでなく、心と魂もです。なぜなら、マリアの心や魂には我がないからです。無我ゆえ、マリアは、神の意思を素直に受け入れ、自分にその結果どのような試練が襲い掛かるかなどといったことを厭わずに、ただ神の意思のままに神の子、イエスを身篭らせ、産み、夫ヨゼフとの愛の下で育てたのです。

そして、今日、この聖母マリアはこの世での使命を全うし、体と心と魂共に、天に受け入れ(assume)されたのです。神の力の導きで、かつて彼女が神の意思をあるがままに受け入れた如く、そのままの姿で受け入れられたのです。

終戦記念日と聖母マリア被昇天の祝日との関わりについて考えながら、私達も、マリアのようにもっと我への執着を捨て、無我となり、神の意思であれ、キリストの教えであれ、釈迦の教えにある仏法であれ、何か、自分の存在よりも偉大でそれを超越したところの真実に目を開き、素直に受け入れることが必要なのではないでしょうか?

宗教云々にかかわらず、こうした私達すべてが我を超えたところにある偉大な真実とは、隣人愛ではないでしょうか?マリアが素直に受け入れた父なる神の救世の意思、そして、その結果生まれ育ったイエスが説いた教え、そして、釈迦が説いた八正道や仏法の教えにも、我を無にすることで隣人をよりよく愛することの真実があります。だから、父なる神は自分の菩薩的な化身ともいえる御子イエスを愛する罪人である私達の救いの為に罪滅ぼしの生贄に捧げられた。その時のイエスと父なる神との一致した望みは、こうした神の私達への隣人愛、アガペ、を理解し、煩悩、罪、に支配されない禅定のような境地にある無我の生き方へと改心することだったことを忘れてはいけません。

こうしたカトリックの教えにを反映した憎しみ、恨み、怒りなどの煩悩的感情を隣人愛の為に克服した良き例は、フィリピンのエルピディオキリノ大統領だといえましょう。キリノの大統領は、最愛の妻とすべての子供が日本軍により殺害させ、日本に対する怒りや恨みは到底言葉では表現しきれないものだったことでしょう。そして、殆どすべてのフィリピン人は日本による軍政による過酷さを極めた生活を強いられ、殺害され、多大な犠牲を払わされたことなどから、その対日感情は怒りと憎しみに満ちたていました。そうした中で、戦後、アメリカのお膳立てで独立を果たしたフィリピン共和国の大統領がキリノです。彼は、戦後の新独立共和国としてのフィリピンを統率していく上で、こうした国民の煮えたぎった反日感情を、自分自身の日本に対する怒りや憎しみと向きあいながら対日政策を考えねばならない辛い立場にありました。勿論、彼自身、そして、代表するフィリピン国民の怒りと憎しみの対日感情をそのまま反映させた政策を取るならば、現在でも中国や韓国が行うような対日政策をしていたでしょう。しかし、キリノ大統領は、何か、こうした感情的なレベルを超越したところに悟り始め、更に自分自身のカトリックとしての良心と日本により苦しめれた犠牲者としてのフィリピン人の怒りや憎しみとの葛藤の板ばさみの中で苦しみ続けました。そして、ついに、こうした煩悩的感情である怒りや憎しみの火を燃やし続けたままでは、本当の意味での戦争を終わらせたことにはならないということ真実に開眼したのです。そして、まだ多くのフィリピン人が煮えたぎる反日感情を抱き続ける中、まず、自ら率先してこうした煩悩的感情を祈りにより神の恵みの力で克服し、キリストが教えた隣人愛でもって日本との国交回復と感情的な和解に向けての手を差し伸べてきたのです。しかし、こうしたことは、当時のフィリピン人の多くにとってはとても信じられないことでしたが、徐々にカトリック教徒としてキリノ大統領の導きの意味が理解できるようになり、今では、ベニグノ・アキノ3世大統領が、かつてのいがみ合ったアメリカと日本はフィリピンにとっての最高の友人であるとまでフィリピン国民に宣言できるようにまでなりました。

これこそが、イエスキリストの隣人愛の教えにある、仏教でも教える、憎しみや怒りなどの煩悩的感情といった戦争の火種を消すことの良き例ではないでしょうか?そして、それを率先した敬虔なカトリック教徒であるキリノ大統領は、自分の我を神の意思に“assume”、つまり、受け入れてもうことで、捨て、その変わり、その御子であるキリストの教えにある隣人愛を当時まだ憎らしかった日本へ差し伸べられるだけの精神的な勇気が与えられたのです。こうしたキリノ大統領が示したキリストの教えによる煩悩の克服による隣人愛の実践は、戦後の世界平和を願う私達すべてが模範とすべきものです。

また、8月15日は、盆明けのイブでもあり、現世へ”里帰り”している先祖の霊がそろそろ極楽浄土へと戻る準備をしている時でもあります。こうした御霊を安心して送りだせるようにする為にも、ただ送り火を焚くのではなく、私達の心が煩悩のない禅定の境地にある心であることを示すことが大切ではないでしょうか?そうでないと、御霊も心配で心配で、旅立ち辛いかと思います。特に、あの長い長い戦争で犠牲となった英霊や御霊はとくにそうでしょう。

聖母マリアの被昇天、Assumptionという英語のラテン語からの語源には受け入れるという意味があることは先に示唆しましたが、受け入れるということは、森田療法でもいうように”あるがままに”つまり、自分の我による執着なしに受け入れるということです。そのいい例がマリア様が神の意思のお告げを受け入れたことです。そして、このマリア様が今度、その任務を全うされ、天の父の元、そして、御子イエスのいる元である天へとあるがままの姿、つまり体も心も魂もそのままで受け入れられたわけです。

こうした受け入れは、70年前に昭和天皇が行ったポツダム宣言の受け入れと、天皇陛下ご自身が、戦後日本を占領した連合軍の最高司令官であったマッカーサー元帥へ示された自分の身柄を受け入れることの引き換えに国民を救うように願われたお心にもみられるのではないでしょうか。そして、こうした受け入れを願うこころは、謙虚さそのものであり、無我の表れでもあります。先述した霊操を編み出したロヨラの聖イグナチオも”Suscipe”という真摯な祈りにおいて、神に向かい、どうか私の意志を受け取っください、なぜならば、私は我を放棄し、あなたのご意思のままに自分を捧げたいからだと願ったからです。

8月15日は、私達皆が、自己の中にある我を聖イグナチオの”Suscipe”祈りにあるように放棄し、そうすることで煩悩を克服し、禅定んのような平安で、乙女マリアのような穢れ無き心でもって隣人愛を実践していく決意を新たにする日であるとしましょう。こうすることで、いつまでも私達の心の中で燃え続ける戦争の火種である煩悩的感情の火を消しましょう。


平和への願いをこめて祈りのうちに、合掌。

Wednesday, August 5, 2015

広島原爆投下70周年目に際し、核兵器問題の本質である煩悩と罪の克服に向けて考える

今日は、広島原爆投下70周年記念日です。この日は、人類が人類に対して人類史上初めて核兵器を使用したことを記念する日でもあります。

犠牲者への慰霊と、今も苦しまれておられる被爆者の方々の苦痛の軽減と苦痛からの癒しによる開放を心よりお祈り申し上げます。

犠牲者の御霊と被爆者の方々が先頭に立って展開される核兵器のない平和な世界を目指す非暴力手段による戦いは、人類史上初めて原子爆弾が人類に対して人類により使われた所、広島、から始まりました。戦後70年目の今日も、この平和への戦いは続行しております。

世界で唯一の被爆国として、日本はこれからも非核原則を貫き、非核世界平和実現キャンペーンのリーダーとしてその道義的責任を末永く全うしていかねばなりません。核兵器大国であるアメリカとの同盟関係の中で戦後70年間平和を享受してきた日本、ある意味では、既に、アメリカの核の傘下での平和ともいえましょうか。そして、アメリカを始めとする同盟国との集団的自衛権行使に際し、日本が従来維持し続けてきた非核原則が更に困難になるかもしれません。こうしたこれからの厳しくなる現実に備える為にもどうしても克服しておかねばならない落とし穴があります。

よく、戦後70年経った今でさえ、広島と長崎への原爆投下によってあの長い苦しい戦争、大東亜戦争、の幕を閉じさせることができた、と考えている人がいますが、本当にそうでしょうか? そうした考えは、アメリカの一般市民殺傷を目的とした原爆の使用を正当化する屁理屈と同じであるばかりではなく、私達が今後も一同になって取り組んでいかねばならない原爆、ひいては、核兵器の問題の本質を欠いた考えではないでしょうか?

こうした考えは、被爆され、被爆により愛する家族や友人を失い、今でも、被爆による様々な心身的、スピリチュアル、実存的、な後遺症に苛まれ続けている人達が毎日直面する現実に対してあまりにも無頓着で侮辱的な見方でもあるといえましょう。こうして被爆とその二次、三次的な問題により、戦後70年経った今も毎日苦しんでいる人達にとって、昭和20年8月6日の広島への原爆投下は、新しい戦争の始まりなのです。そして、あの70年前の暑い日に始まった戦争は今でも続いているのです。

広島原爆投下に始まった被爆者達が戦い続けている戦争はただ被爆のトラウマとその後遺症が引き起こす様々な苦しい症状と戦うことだけでなく、今後、絶対に人類が核兵器を使用することがないように、非核世界平和の実現に向けての戦いでもあるのです。世界から核兵器がなくなり、イデオロギーの対立、地政学的、経済的、問題などがすべて解決しなくても、核兵器がまったく不必要な世界が実現すれば、昭和20年8月6日に広島で始まったこの戦争の使命が果たせたといえましょう。

私は、心理学と神学(カトリック)が専門なので、どうしても、こうした専門分野の観点からこのテーマについて考えてしまいます。こうした私自身から観て、広島への原爆投下に始まる非核平和への戦いは、本質的に、人類の間違った核への執着を断ち切る精神的な戦いであると信じます。なぜならば、なぜ、アメリカは昭和17年のシカゴ大学におけるフェルミという物理学者の核分裂実験成功を発端として、ロスアルモスの砂漠の中の研究所で進められたマンハッタンプロジェクトという原爆開発事業を膨大な予算で推し進めたのでしょうか?

この背景の心理は一貫して、不安でした。当初、ナチスドイツが対アメリカ戦にむけて原爆開発をすすめており、アメリカとしてもそれに対抗する為、つまり、ナチスによる核の脅威へのコーピングとしてアメリカはマンハッタンプロジェクトを立ち上げ、独自の核兵器開発に躍起になったのです。しかし、このプロジェクト半ば、ナチスは降伏し、アメリカへの核の恐怖はなくなり、本来なら、この時点でマンハッタンプロジェクトを中止し、核の恐怖からの開放感を享受すべきだったのですが、なぜ、アメリカはそれでもマンハッタンプロジェクトを強引に押し進め続けたのでしょうか?

この時点では、かつての不安という心理が、科学者達の未知の強力な核兵器への好奇心的な執着、そして、原爆開発へ多大な投資をした企業や投資家達の金銭的な貪欲な執着があると考えられます。だから、たとえ、ナチス降伏により核の恐怖からの不安がなくなったとはいえ、原爆開発プロジェクトを慣行せねざるを得なかったのです。この執着の心理は、一度何かの依存症に陥ってしまった人が、誰が何と言おうが、理屈では依存がいけないことをわかっていても、どうしても止められないようになってしまった中毒状態に例えられる精神病理だといえましょう。

こうした中、当時、まだアメリカと対戦中の日本は、マンハッタンプロジェクト完遂にとっての格好のターゲットとなったのです。実は、日本も、アメリカに比べれば非常に小さなスケールでしたが、独自の原爆開発を秘密裏に仁科博士をリーダーとして湯川博士も関わり、理化学研究所で行っていました。まあ、これは失敗に終わりましたが。もし、日本の原爆開発が成功し、アメリカより先に原爆を手に入れていれば、日本はアメリカへ原爆投下していたでしょうか?考えただけでも、背筋がぞっとします。

つまり、現在も続行中の世界の核兵器問題の本質には、不安への間違ったコーピングが引き起こした核兵器への執着があり、この執着を包み込んでいるのが核兵器を保有することイコール安全であるという妄想的な安心感です。そして、この不安、不安から引き起こされた執着と妄想的安心感という、核兵器の存在をいつまでも許し続ける依存症的な精神病理を絶ち斬る為ことが、70年前のこの日に広島で始まった非核平和実現への戦いの本質なのです。

ただ、どうも腑に落ちないのは、こうした非核平和への戦いに熱心に参加されている方々の中に、原爆と投下されたことの責任は日本政府が取るべきだ、と厳しい口調で議論する一方、原爆を実際に投下したアメリカ政府に対しては、同じような厳しい口調で責任追及したり、怒りをぶちまけたりしていません。こうした人達の考えは、日本がアジア諸国を“侵略”したり真珠湾を奇襲攻撃してアメリカに宣戦しなければ原爆なんて落とされなかったんだ、ということのようです。だから、アメリカ政府よりも、日本政府の方に責任があると考えているのです。

しかし、いつまでもこうした考えでいては、本当の非核平和は訪れません。そして、日本政府であれ、アメリカ政府であれ、原爆投下と被爆者達の苦しみの責任を執着的に追及し続けることがあたかも一種の非核平和への道であるかと勘違いしていないでしょうか?
確かに、原爆投下に対する政治的責任と道義的責任は、アメリカ政府だけでなく、日本政府にもあります。しかし、どちらの政府にどれだけの責任があるからどうのこうのと70年経った今でも血眼で議論することは、問題の本質追及し解決することを欠いたものであり、的外れな不毛な議論だと言っても過言ではないでしょう。なぜならば、こうした議論の背景には、理性が欠けた感情論しかないからです。だから、怒りという激しい感情の矛先を問題の表面的レベルでしかあっちこっち、アメリカ、日本と振り回すだけなのです。しかし、理性によってこうした感情のベクトルを決めれば、その矛先は、本質的には日本でもアメリカでもなく、人類すべてに共通の心のアキレス腱ともいえる、仏教でいう煩悩、キリスト教でいう罪、の心にあるのではないでしょうか?この問題視的は何も、人間の本質が悪であるというような、韓非子や荀子による法家思想的な性悪説を言っているのではありません。ただ、人間の心は本来、慈悲や愛を求め、お互いに共感し合えることで進化学的にも存続し繁栄することができるものであり、こうした進化論に沿った生物学的、心理学的な事実は、人間が生来持っている善である心の本質を煩悩や罪という穢れを改心という精神的な禊により回復しようという、仏教やキリスト教にある宗教学的な教えと同じものなのです。

こうした、日本政府であれ、アメリカ政府であれ、何か特定な対象を非難の対象とをすことで、原爆問題、核兵器問題を議論する意義を見出すことは、キリストを殺したのは”ユダヤ人”であると批難することでキリスト教における”十字架”の意味を理解する間違った考えと本質的には同じ心理です。だから、キリストを十字架での死に追いやった本当の問題は、不安、嫉妬、怒り、そして妄想的な安心感の追求や自己的利潤追求への執着といった人類共通の心のアキレス腱を狙う悪魔による心の腐敗であったことを見過ごしてしまうのです。よって、日本政府にどれだけの批難の対象があり、アメリカ政府にどれだけの批難の対象があるかどうか怒りによる感情だけでしか議論できない人は、こうしたキリストの死にまつわる間違った議論と同じような愚を犯しているのではないでしょうか?

よって、問題の表面的なレベルに拘ることなく、もっと、理性を活かしたマクロな視点と深い洞察力で広島と長崎の苦しみと核兵器問題の本質について考えねばなりません。

確かに、日本が軍国主義に走っていなければ、日本がアメリカに宣戦なんぞしていなければ、そして、日本がもっと早く、最低でもイタリアやナチスドイツが降伏した時点で連合国軍に降伏していれば、原爆投下はなかったと言えないわけではなりません。

しかし、原爆問題や核兵器問題を、どこの国の責任云々と怒りによる感情論であれこれ議論して、日本が軍国主義に走らず、真珠湾を攻撃したりしなければ原爆は日本に落とされなかったから日本政府が悪い、とか、アメリカはもうすでに天皇陛下の昭和20年7月の御前会議時点で明確にされた戦争早期終結に向けてアメリカと和解する意向を察知し、しかも、ヨゼフグルー元駐日大使が日本との和解交渉を進言していたにもかかわらず、こうした事実を故意に無視し原爆を投下させたことから、アメリカが憎らしいと言ったところで、どちらも非核平和実現と広島と長崎の苦しみへの癒しにとって本質的には不毛です。
矛先が間違った怒りは、新たな憎しみを産み、そしてその憎しみが新たな怒りの連鎖反応を引き起こし、それを核兵器への妄想的な安心感を追求することになれば、再び、核兵器が長崎に続いてどこかに落とされかもしれません。キリストの死をユダヤ人のせいにし、ユダヤ人への憎しみを扇動させ、この憎しみの連鎖反応が世界の歴史にどのように影響してきたかを考えれば、問題の本質を欠いた考えの的外れの恐ろしさが理解できるでしょう。広島で始まった私達んの反核平和と癒しの戦いは、こうした本質を欠いたことが引き起こした愚の轍を踏んではならないのです。

私は、かつて、日本人として、そして、広島と長崎で被爆された方を数人知っているので、原爆投下を決断したトルーマン大統領がすごく憎かったのですが、もっと歴史を学び、トルーマンの立場の辛さについて考えるようになれば、トルーマンに対しての憎しみが、彼に対する気の毒さに変貌してしまいました。

トルーマン大統領、さぞ、辛かっただろう、誰にも言えない辛さがあったはずだろう。。。といった一種の共感でしょうか。

トルーマン大統領だって一人の人間として、原爆なんか投下し多くの罪のない広島と長崎の一般市民を大量殺戮することで戦争を終結するのではなく、日本と終戦交渉を進めたかったはずです。しかし、そうさせない圧力がトルーマンや戦争終結に向けての対日交渉を買って出た日本通でもあったグルー元駐日大使などのアメリカ政府内部の原爆利用反対派にかけられていたのです。この圧力の本質こそが私達の怒りのベクトルの矛先が向けられるべき対象ではないでしょうか?

生来善である人間の心を悪で腐敗させ、お金儲けの為になら動物だけでなく同じ人類すら平気で何人でも殺せる、核兵器開発と販売による利潤を執着的に追求する依存症的な精神病理こそ、70年前の今日広島で始まった私達の反核平和の戦いの矛先ではないでしょうか?

そして、こうした精神病理の種は、この反核平和と広島と長崎への癒しの為に戦い続けている私達の誰にでもあることをも決して忘れてはなりません。この恐ろしい精神病理の種は仏教でいう煩悩であり、キリスト教でいう罪の心です。これが本当の魔物であり、問題の本質でもあり、克服すべき落とし穴でもあるのです。




広島原爆投下、人類が人類に対して始めて核兵器を利用した日、そして、反核平和への戦いが始まった日から70周年を記念する今日、私達はまず、人類共通の心の内部にある隠れた煩悩という敵に正義の矛先を向け、愛と慈悲を"武器”として、常に己を理性と精神的内省により律っしながらこれからも、まず、人類の心共通の煩悩、罪、から戦っていきましょう。そして、本来善である人類の心の本質を死守していきましょう。この戦いこそが、被爆により犠牲となった無数の方々の御霊と被爆者の今でも続く苦しみに癒しをもたらし、世界から核兵器のない本当の平和が実現できることの戦いの本質でもあるわけですから。


Monday, March 23, 2015

非武装平和なのか?、武装平和なのか?:歴史を踏まえて日本の安全保障と分断的イデオロギー戦争を考える

非武装による平和?、武装平和?、どちらが現実的に平和でしょうか?

いや、どちらが相対的に平和なのでしょうか?

この問いについて考える上でやはり歴史や地政学から学ぶところが大きいですね。

どうも、戦後の日本の平和教育や平和感覚、この問いに対する反応により分かれていると思います。そして、この問いへの答えの違いが、イデオロギーの違いによる戦後日本の分断を進めていることを示していると大変懸念いたします。

先週、駐日アメリカ大使やアメリカ沖縄領事を殺害しようと計画していた沖縄の過激派が逮捕され、韓国のような大事にならずほっとしますが。。。こうした事件、日本の恥ですね。日本は危ない国だという悪いイメージを与えますから。

幕末時に日本で起こった生麦事件(薩英戦争にで膨れ上がり、ヒヤっとさせられましたね)、また、日清戦争の2年前に起こった朝鮮での壬午事変なども彷彿させます。

こうした事件は、安保闘争の時の赤軍活動をも思い出させます。当時の過激派、振り出しは”反戦”、”反米”、といった共産主義イデオロギーによる”平和”概念だったのですが、自ら武器を取り、しかも、関係ない人を多く犠牲にし、現実、反平和的になってしまいました。そして、保守強硬派によって鎮圧され、比較的”平和”になりました。

戦後、沖縄はどうも赤軍や安重根のようなテロリストの温床ですね。これが日本の非武装化を目指す平和教育のもたらすものですか?

この毛色の平和教育って、棄民扱い同様にされた昭和20年の沖縄の人々の感情をうまく利用して”反戦平和”という奇麗ごとでイデオロギー操作により日本を分断しようとするとても危険な心理作戦なのではないでしょうか?

昭和47年に沖縄が日本にアメリカから返還されたのは日米同盟なしにはありえません。そして、アメリカ占領時以来、沖縄には米軍が駐屯しているからこそ、沖縄を始め、現在の日本全土と台湾の安全保障があるのですがね。

えっ?私の考えは間違ってる?沖縄に米軍がなければ沖縄は狙われない。日本が武装しなければ日本は狙われない?そんな寝言を言うの、もう70年が限界でしょう。

ここ10年間にどれだけ中国とロシアが日本に対する領海および領空侵犯をしているか。えっ?それは貨物船とか旅客機がうっかりして日本の領海や領空に入ってきたから?

そんな暢気なものではありません。許可なくそうやって国際法上の我が国の絶対的権益領域に侵入してくるのは駆逐艦、巡洋艦、潜水艦や偵察機、爆撃機などですよ。しかも、領海侵犯する中国籍の漁船はしっかりと武装してますから。連中の行動は国際法や国際慣習の礼儀を欠いた無礼な行為といったようなものではなく、それ以上の、むしろ、侵略を念頭にした下見のような行動だと思うのは私の妄想でしょうか?勿論、日本政府、外務省、はこうした事件がある度に駐日中国大使や駐日ロシア大使を呼びつけて抗議してますが。。。馬の耳に念仏ですな。

日本、なめられてないですか?

沖縄を筆頭に、日本全土を非武装化すれば中国もロシアも来なくなるって?

それじゃ、竹島や北方領土問題の根底にある歴史的事実だけでなく、フィリピンが平成初期に1898年以来100年近く君臨していた米軍を追い出した結末をあなたは知っているのですか? だから歴史に疎い人が平和云々と言い出すと本質から外れた議論となり、つまらぬイデオロギー戦争になってしまうのですが。。。

米軍がフィリピンから撤退したとたん、暢気なフィリピン、その自国軍の力はたいしたことなく、それ故、無防備同然であった故、地下資源豊富な南沙諸島を中国から分捕られ、今ではそこにしっかりと中国の軍事基地があり、中国はいつでもフィリピン本土を侵攻できるんですがね。

まあ、フィリピンも今では目が覚めたようで、アキノ(息子)大統領はアメリカへの軍事援助要請だけでなく、3年前に安倍首相に対し、日本からの軍事援助を頼むようになりました。日本は、かつてフィリピンに多大な苦痛と損害をもたらしたから、そうした歴史的な借りがあるので、安倍首相も、こうしたフィリピンからの要請を、”平和憲法”を盾に断ると、仁義を欠くというか、道義的じゃないですよね。いや、こうした過去の歴史的な”負い目”があるからこそ、日本は平和憲法を盾に、一切、他国との軍事的援助云々とかいった関わりを持つべきでないと主張する方もおられるでしょう。まあ、どちらの歴史的認識、解釈の方が平和の為なのか各自、自分の頭でしっかり考えねばなりません。

フィリピンは戦後しばらく熱狂的反日感情を持っていた国でしたが、アキノ政権に関する限り、今では日本の軍事力拡大について大賛成するようになりました。

長いアメリカの傘の下で暢気になりすぎて、自国軍を強化することを忘れていたフィリピン。。。19世紀末の米西戦争以前からの対スペイン独立闘争や、アメリカ占領後3年間血みどろの対アメリカ抵抗戦争をやったかつてのフィリピン独立闘志の愛国心は、すっかりとアメリカによる洗脳で消され(アメリカへの忠誠を頑固に拒み続け日本に亡命したリカルテ将軍は別ですが)、連中皆、アメリカ軍の傘の平和の下で暢気になった。そして、アメリカに忠誠を誓い、アメリカからお金を沢山もらって、アメリカ統治下のフィリピンでの重要なポストについた。そして、昭和16年12月に旧日本軍がフィリピンを奇襲攻撃し、あっという間にフィリピンを占領したら、フィリピン人、アメリカに保護されていると思い込んでいただけ、びっくりし、あわてて武器とって抗日ゲリラ戦を展開したんです。そして、日本の降伏と共にフィリピンはアメリカによるお膳立てでその翌年表面上独立しても、やはり、中国やソ連が世界中に撒き散らす共産スパイの脅威にあり、いざという時の為に駐屯し続けた米軍や保守的マルコス政権が執った厳しい戒厳令によりフィリピンを共産勢力による分断から守ることができた。でないとフィリピンでも共産革命かクーデターが起こり、ベトナム戦争や朝鮮戦争のような惨禍に陥っていたでしょう。でも、南シナ海を挟んだベトナムで冷戦がらみの血みどろの戦争が起こっていても、フィリピンは駐屯する米軍やマルコスによる戒厳令のおかげでそうならなかった。その代わり、徹底的に赤の容疑がかけれれた人達は”処分”されましたが。当時の戒厳令下のフィリピンは、憲兵隊がいた頃の日本のような感じでしたから。。。

こうしたフィリピンの辛い過去の経験からも、平和ということの相対性を改めて実感させられますね。

長年ベトナムを含むインドシナを植民地としていたフランスがラオスやベトナム北部で活発になりはじめた中国からの後押しを受けた共産ゲリラ活動への対応に手を焼き、撤退しはじめた頃、アメリカのケネディー政権は南ベトナムを反共産勢力の砦とすべく準備を進めました。当時、キューバ革命があったりした時代で、冷戦時でもとても緊張してた時でしたし。南ベトナムへ米軍を配置し始めケネディーとは、最近、沖縄の過激派から暗殺脅迫をうけた現在のケネディー駐日アメリカ大使の父親です。

こうしてアメリカが後押ししてた南ベトナム、ケネディー大統領暗殺後のジョンソン政権になってから北からの共産ゲリラ活動がより活発化し、あの悪名高きベトナム戦争の流血と枯葉剤の泥沼へはまりと込んだ末、昭和50年をもって完全消滅しましたね。単なるアメリカの後押しだけでは、いかに無力かってことを思い知らせた歴史的教訓だと思うのですが。。。

しかし、平成元年の秋におこったベルリンの壁の崩壊に象徴される米ソの冷戦が終わり始め、その翌翌年のソ連崩壊により、冷戦が終りました。それで安心しきったフィリピン、100年ちょっと前にスペインから独立できると思っていた期待を踏みにじり占領し続けたアメリカ軍をやっと追い出せる”平和”な時代となったと追い込み、米軍を追い出したとたん、寝耳に水のように中国がフィリピン領南沙諸島を完全に占領してしまったんです。

フィリピンの南沙諸島からの教訓、尖閣諸島と沖縄について考える上で大切だと思います。

北方領土や竹島のように一度占領されてから、取り戻すのは、相当な労力と時間がかかります。それに費やす労力に比べ、手を付けられないように強い用心棒、つまり、強い軍事的防衛力で守る方が安上がりだと思うのですが。歴史的教訓から言えば、日清戦争後、日本はロシアを始めとする三国干渉を受けましたね。そして、もう戦争をしたくなかった日本は平和の為に、日清戦争での勝利により当時の国際慣習で合法的に得た遼東半島の権益をロシアのいうままに清に返還した。ところが、それは清に返還されるどころかロシアが略奪し、ロシアは渤海や朝鮮半島に向けての南下政策を着々と始めたのです。これは、主権国日本の独立にとっての脅威でした。当時の朝鮮、日清戦争のお陰で1,000年近く続いた中国からの冊封支配から開放され、日本の後押しにより主権国として一時、大韓帝国として独立したのですが、それは殆ど形だけで、実質的には主権国とはいい難いもので、権力者同士の内輪もめが絶えず、非常に治安が悪い状態でした。こうした朝鮮情勢の中でロシアは三国干渉によって日本から略奪した遼東半島を足がかりに満州侵攻を確かなものとし始め、朝鮮と満州のロシア化を防ぎ、日本の独立を守る為に、日露戦争へと至ったのです。皮肉なことに、ロシアとの風波を立てたくないという平和心が、その地政学的な結末により、あだとなって、ロシアと戦争をすることになったのです。こうした三国干渉と日露戦争の歴史的なつながりからの教訓を踏まえ、平和と思い、不戦努力だと思い込んでいた事がかえって戦争を招くということもあるということを私達は認識しておかねばなりません。

竹島と北方領土は、当時、日本にこうした領土略奪を阻止できるほどの軍事防衛力がない時に失いました。遼東半島、平和を願う心故に騙されてロシアにプレゼントし、それが引き金となり、戦争をすることで奪回。そして、それが更に、日本と中国との摩擦の火種となっていき、盧溝橋事件を皮切に、あのような戦争の泥沼にはまり込んでいったとも考えられるのではないでしょうか? 侵略戦争と教科書に書くべきかどうか拘っていても、歴史が教えんとする本質的なことについて盲目になります。

戦後70年、いまだに竹島と北方領土は外国から不法占領されていることを考えれば、自国軍がないが為に失った領土を取り戻すことがどんなに困難であるか思い知らされます。かつて、日本国民が安心して漁業ができた竹島、そしてかつて漁業を営む日本人で栄えていた北方領土の過去の平和と繁栄を戦争をすることなしに取り戻せるのはいつでしょうか?三国干渉と日露戦争からの教訓を踏まえながら考えねばなりません。

こうしたことを考えれば、尖閣諸島がまだ我が国の実効支配化にあることは幸いなことです。日本にとっての竹島や北方領土のように、また、フィリピンにとっての南沙諸島のように、自国軍の力のなさ故、一度不法占領されれば、そう簡単に取り返すことはできませんし、それにこうした領土問題に対する戦争という軍事的解決は避けたいし。ということは、取られぬように、しっかりと強い自分達の軍隊で、それだけで不安なら、より強大な軍事力を持つ同盟国との安全保障協定を用心棒として守り続けることの方がより平和的だと思うのですが。

日本の竹島と北方領土問題を鑑みた、こうしたフィリピンの南沙諸島喪失についての苦い経験、日本の安全保障とっての教訓となると思うは私だけですかね?

まあ、今の所フィリピンが中国から分捕られたのは南沙諸島だけですが、もうそこにはフィリピンの喉元を突くように、中国軍が軍事基地を設置しています。そして、フィリピン経済を実質的に牛耳っているのは華僑だし。仮に、あくまでも、仮にですが、もし、仮に、フィリピンが中国の支配下に落ちてしまえば、沖縄の米軍なしの台湾なんて3日もあれば中国軍により陥落され、そうなれば、米軍なしの沖縄、そして非武装化された日本本土も。。そして、南から非武装化された駐日米軍なしの日本、つまり、日米安保なしの”平和”なはずの日本は、北から”このチャンス待ってました”と言わんばかりのロシア軍が北海道から侵攻してくるのではないでしょうか?

えっ?大丈夫?そんなことは絶対にないって?じゃ、あなたは”反戦、非武装”のプラカードを掲げながら、日章旗を燃やして中国軍やロシア軍を歓迎いたしますか? 中国とロシアに分断されることが日本の平和なんですか? 日本人としての愛国心って平和実現の障害なのですか?朝鮮半島に38度線があるように、日本でも38度線でもって、中国とロシアが”仲良く、平和裡に”日本を山分け?

あなた自身のイデオロギー、あるいは、それに対する偏見などが、がこうした問いへのあなたの答えに影響します。

日本政府はやはり、今まで以上に沖縄の人達からの理解と協力を、歴史的教訓を基にしながら、得ないと沖縄の平和と安全保障、ひいては、日本の平和と安全保障が脅かされます。安倍首相や中谷防衛大臣が取る、”お前らとは話しても無駄だ”といった態度では、いくら沖縄からの要請も譲歩の色を示さない強行的なものであるとはいえ、かえって沖縄と日本政府との溝が深まり、鷸蚌の争漁夫の利の愚に陥る恐れがあります。ここは、やはり、総理、防衛大臣を始めとする日本政府のリーダーの器量が試されます。想像以上にしんどいでしょうが、沖縄県、日本政府、共に、歴史的教訓や地政学的変化を踏まえ、イデオロギーの違いによる分断の恐ろしさを認識しつつ、粘り強く交渉し続けることで沖縄と日本政府の溝を埋めていって欲しいものです。


私達に今先ず求められていることは、日本を分断する、反政府、反米テロを造成させやすい土壌に肥料をやるような危険なイデオロギーから沖縄を筆頭に日本を守ることです。この心理的な危険なイデオロギーに対する応戦こそ、戦後私達が享受している日本の平和と安全保障の為に不可欠です。その為には、日本だけでなく、近隣諸国を始めとした世界の歴史をしっかりと知ることが大切なのです。

Tuesday, March 10, 2015

平和の意義、重み、についての再考のすすめ



 今日、平成27年三月十日は、昭和二十年三月十日の東京大空襲からの第70周年記念日です。改めて犠牲になられた方々の御霊に黙祷でもって祈りを捧げます。そして、明日、三月十一日は、東日本大震災からの第四周年記念日であり、日本人として、更に、私と同じ日本人の多くが苦しみ、命を失ったことについて、犠牲者の御霊に祈りを捧げながら、その意義を改めて深く考えたいと思います。特に、今を生きる残された日本人として、これらの痛ましい経験から私達はいったい何を学び続け、これからの私達の生き方、そして、民主主義立憲君主国である日本の在り方とその将来についても考え続けていかねばなりません。 

東京大空襲だけでなく、日本の他の主要都市をあっと言う間に火の海の生き地獄にした大空襲、そして、それらの極めつけとも言うべき、人類史上初めての原子の火による生き地獄となった広島と長崎の、赤ちゃんやそれをかばう母親もが被った、罪無き一般市民の苦しみと死、について改めて心を寄せて戦争の恐ろしさや愚かさ、そして、平和の重要な意義について考え、行動し続けることが私達の責務です。東京裁判史観により唯一の加害国と見なされている日本という国の一国民として、そして、東京裁判史観的な見方ではタブー視されがちな、東京大空襲をはじめとるする日本各地でのさまざまな空襲や原爆というとてつもない大量殺害兵器、更に、沖縄本土戦、南樺太や満州における侵略による被害国の一国民として、改めて戦争と平和、そしてその背景に潜みがちな、本当の悪について考えていたいと思います。

しかし、どうも今でも東京史観的に、平和教育イコール日本の過去の戦争責任の糾弾といった一次方程式な考えをしている人がいるようです。確かに、日本の戦争責任をしっかりと客観的に認識することは平和教育にとって不可欠な必要条件です。しかし、それは決して十分条件になりうるものではありません。それどころか、こうした単純な考えだけの平和教育はかえって反日思想と結びつき、日本とアジア諸国の連帯感に亀裂を入れるだけの非常に危険なものとなりかねません。

良識ある日本人として、私達は平和教育の名においてこのような愚に陥ってはなりません。一方、過去の戦争責任の認識を怠ってもなりません。日本の平和、そして、世界平和に貢献できる日本人として、私達は、過去に日本軍によって苦痛を強いられ、殺された人達の国の人達と一緒になってどうして日本があのような軍事行動ととるようになったのか、広い範囲での歴史的、地政学的、更に、心理学的要素までをも含んだ統括的な議論を進める必要があります。まあ、私のこうした提案に対して条件反射的に、私が故意に平和教育問題を複雑にして、皆を混乱させ、そのどさくさに、過去の日本の戦争責任を希薄化させる危険なものだと早合点する方もいるかもしれません。私は、そのような方にこそ、こうした私の平和教育の提案で挑戦したいのです。日本だけを叩き、それをあたかも平和教育だとしてしまうようなものでもなく、過去の日本の戦争責任だけでなく道義的責任から逃避したりそれを希薄することなく、より客観的に包括的に、人類すべての問題として皆で一つになって議論し続けることこそ、より意義があり実りのある平和教育だと信じております。

こうした平和教育への取り組みを新たにする努力こそ、70年前の東京大空襲、そして、大阪などの他の都市での空襲、広島と長崎での原爆投下、更に、旧日本軍による上海、南京、シンガポール、マニラなどのアジアの諸都市での空襲や爆撃などで苦しみ、犠牲になった無数の罪無き一般市民の方々の御霊への償いだと思います。

過去の日本の戦争責任イコール悪の元凶だと東京裁判史観のように一次方程式に結論つけるのは、キリストを殺したのはユダヤ人であると決め付けるような恐ろしい神学理論と同じようなものです。

正統な神学を学んだ人は、キリストを殺したのは、人類誰もが潜在的に持っている病的な心理的な可能性でると認識しています。ユダヤ人として生まれたキリストは、同じユダヤ人の陰謀により当時、ユダヤ人を植民地支配していたローマ帝国の手によって罪なく大罪悪人だけの為の極刑に処せられたのです。私達、誰もがキリストを殺したくて自分たちで直接手を汚さずに、支配しているローマ人の手により殺させたユダヤ人になり得るのです。だから、ユダヤ人という聖書にある表記は、寧ろ、私達だれもが心の奥底に潜ませている妬みなどの病的な心理の潜在性なのです。聖書を心理学の眼で読めば、キリストを殺させた心理的背景に妬みがあることがわかります。妬みの心理はユダヤ人特有のものでなく、人間、だれもがその可能性を秘めています。

旧約聖書の創世記のアダムとイブの話に照らし合わせて考えるならば、こうした危険な心理的可能性は、彼らによる原罪の賜物かもしれません。一方、仏教でいうならば、これは、私達が波羅蜜多や随喜などの精進をする中で克服すべき煩悩によるものだといえましょう。妬みは、自我への執着の一つですから。

これと同じように、東京裁判史観的な考えは、キリストを殺したのは、ユダヤ人とみなす間違った考えに並行します。歴史的には、キリストをローマ人の手で殺させたのは、心無きユダヤ人でした。同じように、歴史的には、大東亜戦争において多くの罪無き人達が苦しみ殺された背景には理性による統制ができなくなった過去の日本の軍国主義があり、日本はその道義的責任があることは事実です。しかし、それだけで事を結論付けることは、将来の紛争予防、解決、ひいては、戦争防止と終結への効果はありません。こうした考えは、将来の紛争の火種となるだけでしょう。しかも、”平和”の名においてですから、それこそ偽善的ではないでしょうか。

キリストの処刑の例で説明したように、大東亜戦争において多くの人々が苦しみ殺されたことは、東京大空襲や広島と長崎の例などからも言えるように、被害国、加害国、といった分別をするものではなく、人類共通の問題です。 妬みのような人類共通の心理的弱点がもたらし得る戦争や殺戮の狂気について、過去の加害国、被害国の分け隔てなく一緒に考えないと、過去の犠牲者であっても、将来の加害者になる可能性はいつでも潜んでいます。よって、過去の日本の軍国主義の悪魔だけを叩くのではなく、旧日本軍、そして、かつての日本そのものが、どうしてあのような殺戮の背景にある道義的責任の対象となったのか、そして、アダムとイブを原罪に陥れた悪魔のように、旧日本軍とかつての日本、大日本帝国、を軍国主義へと陥れた外因的要素について、広角的、包括的に歴史的、地政学的な観点からだけでなく、心理学的な観点から、更に、仏教やキリスト教などの宗教的、神学的な観点からも検証していくことが不可欠です。

要は、私達一人一人の心の持ち方なのです。その為には、先ず、常に自分の心の中を見つめ、妬みなどの基となりうる潜在的心理的要素を、内視鏡検査による癌化以前のポリープ早期発見と排除のように、見つけ出し、摘みとることが大切です。間違ったイデオロギーや歴史観に振り回されて一次方程式な考え方をしない為にもこうした心の訓練を常時怠らないことが大切です。