Monday, March 23, 2015

非武装平和なのか?、武装平和なのか?:歴史を踏まえて日本の安全保障と分断的イデオロギー戦争を考える

非武装による平和?、武装平和?、どちらが現実的に平和でしょうか?

いや、どちらが相対的に平和なのでしょうか?

この問いについて考える上でやはり歴史や地政学から学ぶところが大きいですね。

どうも、戦後の日本の平和教育や平和感覚、この問いに対する反応により分かれていると思います。そして、この問いへの答えの違いが、イデオロギーの違いによる戦後日本の分断を進めていることを示していると大変懸念いたします。

先週、駐日アメリカ大使やアメリカ沖縄領事を殺害しようと計画していた沖縄の過激派が逮捕され、韓国のような大事にならずほっとしますが。。。こうした事件、日本の恥ですね。日本は危ない国だという悪いイメージを与えますから。

幕末時に日本で起こった生麦事件(薩英戦争にで膨れ上がり、ヒヤっとさせられましたね)、また、日清戦争の2年前に起こった朝鮮での壬午事変なども彷彿させます。

こうした事件は、安保闘争の時の赤軍活動をも思い出させます。当時の過激派、振り出しは”反戦”、”反米”、といった共産主義イデオロギーによる”平和”概念だったのですが、自ら武器を取り、しかも、関係ない人を多く犠牲にし、現実、反平和的になってしまいました。そして、保守強硬派によって鎮圧され、比較的”平和”になりました。

戦後、沖縄はどうも赤軍や安重根のようなテロリストの温床ですね。これが日本の非武装化を目指す平和教育のもたらすものですか?

この毛色の平和教育って、棄民扱い同様にされた昭和20年の沖縄の人々の感情をうまく利用して”反戦平和”という奇麗ごとでイデオロギー操作により日本を分断しようとするとても危険な心理作戦なのではないでしょうか?

昭和47年に沖縄が日本にアメリカから返還されたのは日米同盟なしにはありえません。そして、アメリカ占領時以来、沖縄には米軍が駐屯しているからこそ、沖縄を始め、現在の日本全土と台湾の安全保障があるのですがね。

えっ?私の考えは間違ってる?沖縄に米軍がなければ沖縄は狙われない。日本が武装しなければ日本は狙われない?そんな寝言を言うの、もう70年が限界でしょう。

ここ10年間にどれだけ中国とロシアが日本に対する領海および領空侵犯をしているか。えっ?それは貨物船とか旅客機がうっかりして日本の領海や領空に入ってきたから?

そんな暢気なものではありません。許可なくそうやって国際法上の我が国の絶対的権益領域に侵入してくるのは駆逐艦、巡洋艦、潜水艦や偵察機、爆撃機などですよ。しかも、領海侵犯する中国籍の漁船はしっかりと武装してますから。連中の行動は国際法や国際慣習の礼儀を欠いた無礼な行為といったようなものではなく、それ以上の、むしろ、侵略を念頭にした下見のような行動だと思うのは私の妄想でしょうか?勿論、日本政府、外務省、はこうした事件がある度に駐日中国大使や駐日ロシア大使を呼びつけて抗議してますが。。。馬の耳に念仏ですな。

日本、なめられてないですか?

沖縄を筆頭に、日本全土を非武装化すれば中国もロシアも来なくなるって?

それじゃ、竹島や北方領土問題の根底にある歴史的事実だけでなく、フィリピンが平成初期に1898年以来100年近く君臨していた米軍を追い出した結末をあなたは知っているのですか? だから歴史に疎い人が平和云々と言い出すと本質から外れた議論となり、つまらぬイデオロギー戦争になってしまうのですが。。。

米軍がフィリピンから撤退したとたん、暢気なフィリピン、その自国軍の力はたいしたことなく、それ故、無防備同然であった故、地下資源豊富な南沙諸島を中国から分捕られ、今ではそこにしっかりと中国の軍事基地があり、中国はいつでもフィリピン本土を侵攻できるんですがね。

まあ、フィリピンも今では目が覚めたようで、アキノ(息子)大統領はアメリカへの軍事援助要請だけでなく、3年前に安倍首相に対し、日本からの軍事援助を頼むようになりました。日本は、かつてフィリピンに多大な苦痛と損害をもたらしたから、そうした歴史的な借りがあるので、安倍首相も、こうしたフィリピンからの要請を、”平和憲法”を盾に断ると、仁義を欠くというか、道義的じゃないですよね。いや、こうした過去の歴史的な”負い目”があるからこそ、日本は平和憲法を盾に、一切、他国との軍事的援助云々とかいった関わりを持つべきでないと主張する方もおられるでしょう。まあ、どちらの歴史的認識、解釈の方が平和の為なのか各自、自分の頭でしっかり考えねばなりません。

フィリピンは戦後しばらく熱狂的反日感情を持っていた国でしたが、アキノ政権に関する限り、今では日本の軍事力拡大について大賛成するようになりました。

長いアメリカの傘の下で暢気になりすぎて、自国軍を強化することを忘れていたフィリピン。。。19世紀末の米西戦争以前からの対スペイン独立闘争や、アメリカ占領後3年間血みどろの対アメリカ抵抗戦争をやったかつてのフィリピン独立闘志の愛国心は、すっかりとアメリカによる洗脳で消され(アメリカへの忠誠を頑固に拒み続け日本に亡命したリカルテ将軍は別ですが)、連中皆、アメリカ軍の傘の平和の下で暢気になった。そして、アメリカに忠誠を誓い、アメリカからお金を沢山もらって、アメリカ統治下のフィリピンでの重要なポストについた。そして、昭和16年12月に旧日本軍がフィリピンを奇襲攻撃し、あっという間にフィリピンを占領したら、フィリピン人、アメリカに保護されていると思い込んでいただけ、びっくりし、あわてて武器とって抗日ゲリラ戦を展開したんです。そして、日本の降伏と共にフィリピンはアメリカによるお膳立てでその翌年表面上独立しても、やはり、中国やソ連が世界中に撒き散らす共産スパイの脅威にあり、いざという時の為に駐屯し続けた米軍や保守的マルコス政権が執った厳しい戒厳令によりフィリピンを共産勢力による分断から守ることができた。でないとフィリピンでも共産革命かクーデターが起こり、ベトナム戦争や朝鮮戦争のような惨禍に陥っていたでしょう。でも、南シナ海を挟んだベトナムで冷戦がらみの血みどろの戦争が起こっていても、フィリピンは駐屯する米軍やマルコスによる戒厳令のおかげでそうならなかった。その代わり、徹底的に赤の容疑がかけれれた人達は”処分”されましたが。当時の戒厳令下のフィリピンは、憲兵隊がいた頃の日本のような感じでしたから。。。

こうしたフィリピンの辛い過去の経験からも、平和ということの相対性を改めて実感させられますね。

長年ベトナムを含むインドシナを植民地としていたフランスがラオスやベトナム北部で活発になりはじめた中国からの後押しを受けた共産ゲリラ活動への対応に手を焼き、撤退しはじめた頃、アメリカのケネディー政権は南ベトナムを反共産勢力の砦とすべく準備を進めました。当時、キューバ革命があったりした時代で、冷戦時でもとても緊張してた時でしたし。南ベトナムへ米軍を配置し始めケネディーとは、最近、沖縄の過激派から暗殺脅迫をうけた現在のケネディー駐日アメリカ大使の父親です。

こうしてアメリカが後押ししてた南ベトナム、ケネディー大統領暗殺後のジョンソン政権になってから北からの共産ゲリラ活動がより活発化し、あの悪名高きベトナム戦争の流血と枯葉剤の泥沼へはまりと込んだ末、昭和50年をもって完全消滅しましたね。単なるアメリカの後押しだけでは、いかに無力かってことを思い知らせた歴史的教訓だと思うのですが。。。

しかし、平成元年の秋におこったベルリンの壁の崩壊に象徴される米ソの冷戦が終わり始め、その翌翌年のソ連崩壊により、冷戦が終りました。それで安心しきったフィリピン、100年ちょっと前にスペインから独立できると思っていた期待を踏みにじり占領し続けたアメリカ軍をやっと追い出せる”平和”な時代となったと追い込み、米軍を追い出したとたん、寝耳に水のように中国がフィリピン領南沙諸島を完全に占領してしまったんです。

フィリピンの南沙諸島からの教訓、尖閣諸島と沖縄について考える上で大切だと思います。

北方領土や竹島のように一度占領されてから、取り戻すのは、相当な労力と時間がかかります。それに費やす労力に比べ、手を付けられないように強い用心棒、つまり、強い軍事的防衛力で守る方が安上がりだと思うのですが。歴史的教訓から言えば、日清戦争後、日本はロシアを始めとする三国干渉を受けましたね。そして、もう戦争をしたくなかった日本は平和の為に、日清戦争での勝利により当時の国際慣習で合法的に得た遼東半島の権益をロシアのいうままに清に返還した。ところが、それは清に返還されるどころかロシアが略奪し、ロシアは渤海や朝鮮半島に向けての南下政策を着々と始めたのです。これは、主権国日本の独立にとっての脅威でした。当時の朝鮮、日清戦争のお陰で1,000年近く続いた中国からの冊封支配から開放され、日本の後押しにより主権国として一時、大韓帝国として独立したのですが、それは殆ど形だけで、実質的には主権国とはいい難いもので、権力者同士の内輪もめが絶えず、非常に治安が悪い状態でした。こうした朝鮮情勢の中でロシアは三国干渉によって日本から略奪した遼東半島を足がかりに満州侵攻を確かなものとし始め、朝鮮と満州のロシア化を防ぎ、日本の独立を守る為に、日露戦争へと至ったのです。皮肉なことに、ロシアとの風波を立てたくないという平和心が、その地政学的な結末により、あだとなって、ロシアと戦争をすることになったのです。こうした三国干渉と日露戦争の歴史的なつながりからの教訓を踏まえ、平和と思い、不戦努力だと思い込んでいた事がかえって戦争を招くということもあるということを私達は認識しておかねばなりません。

竹島と北方領土は、当時、日本にこうした領土略奪を阻止できるほどの軍事防衛力がない時に失いました。遼東半島、平和を願う心故に騙されてロシアにプレゼントし、それが引き金となり、戦争をすることで奪回。そして、それが更に、日本と中国との摩擦の火種となっていき、盧溝橋事件を皮切に、あのような戦争の泥沼にはまり込んでいったとも考えられるのではないでしょうか? 侵略戦争と教科書に書くべきかどうか拘っていても、歴史が教えんとする本質的なことについて盲目になります。

戦後70年、いまだに竹島と北方領土は外国から不法占領されていることを考えれば、自国軍がないが為に失った領土を取り戻すことがどんなに困難であるか思い知らされます。かつて、日本国民が安心して漁業ができた竹島、そしてかつて漁業を営む日本人で栄えていた北方領土の過去の平和と繁栄を戦争をすることなしに取り戻せるのはいつでしょうか?三国干渉と日露戦争からの教訓を踏まえながら考えねばなりません。

こうしたことを考えれば、尖閣諸島がまだ我が国の実効支配化にあることは幸いなことです。日本にとっての竹島や北方領土のように、また、フィリピンにとっての南沙諸島のように、自国軍の力のなさ故、一度不法占領されれば、そう簡単に取り返すことはできませんし、それにこうした領土問題に対する戦争という軍事的解決は避けたいし。ということは、取られぬように、しっかりと強い自分達の軍隊で、それだけで不安なら、より強大な軍事力を持つ同盟国との安全保障協定を用心棒として守り続けることの方がより平和的だと思うのですが。

日本の竹島と北方領土問題を鑑みた、こうしたフィリピンの南沙諸島喪失についての苦い経験、日本の安全保障とっての教訓となると思うは私だけですかね?

まあ、今の所フィリピンが中国から分捕られたのは南沙諸島だけですが、もうそこにはフィリピンの喉元を突くように、中国軍が軍事基地を設置しています。そして、フィリピン経済を実質的に牛耳っているのは華僑だし。仮に、あくまでも、仮にですが、もし、仮に、フィリピンが中国の支配下に落ちてしまえば、沖縄の米軍なしの台湾なんて3日もあれば中国軍により陥落され、そうなれば、米軍なしの沖縄、そして非武装化された日本本土も。。そして、南から非武装化された駐日米軍なしの日本、つまり、日米安保なしの”平和”なはずの日本は、北から”このチャンス待ってました”と言わんばかりのロシア軍が北海道から侵攻してくるのではないでしょうか?

えっ?大丈夫?そんなことは絶対にないって?じゃ、あなたは”反戦、非武装”のプラカードを掲げながら、日章旗を燃やして中国軍やロシア軍を歓迎いたしますか? 中国とロシアに分断されることが日本の平和なんですか? 日本人としての愛国心って平和実現の障害なのですか?朝鮮半島に38度線があるように、日本でも38度線でもって、中国とロシアが”仲良く、平和裡に”日本を山分け?

あなた自身のイデオロギー、あるいは、それに対する偏見などが、がこうした問いへのあなたの答えに影響します。

日本政府はやはり、今まで以上に沖縄の人達からの理解と協力を、歴史的教訓を基にしながら、得ないと沖縄の平和と安全保障、ひいては、日本の平和と安全保障が脅かされます。安倍首相や中谷防衛大臣が取る、”お前らとは話しても無駄だ”といった態度では、いくら沖縄からの要請も譲歩の色を示さない強行的なものであるとはいえ、かえって沖縄と日本政府との溝が深まり、鷸蚌の争漁夫の利の愚に陥る恐れがあります。ここは、やはり、総理、防衛大臣を始めとする日本政府のリーダーの器量が試されます。想像以上にしんどいでしょうが、沖縄県、日本政府、共に、歴史的教訓や地政学的変化を踏まえ、イデオロギーの違いによる分断の恐ろしさを認識しつつ、粘り強く交渉し続けることで沖縄と日本政府の溝を埋めていって欲しいものです。


私達に今先ず求められていることは、日本を分断する、反政府、反米テロを造成させやすい土壌に肥料をやるような危険なイデオロギーから沖縄を筆頭に日本を守ることです。この心理的な危険なイデオロギーに対する応戦こそ、戦後私達が享受している日本の平和と安全保障の為に不可欠です。その為には、日本だけでなく、近隣諸国を始めとした世界の歴史をしっかりと知ることが大切なのです。

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